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これは届かない手紙です

わたしは、書きたいはずなのに書けない日々が続いています。作品を公開することは手紙を書いて送ることと同じだと思えば、わたしは誰にあてるでもないものをいつも書いていた。
いうなれば己を慰めるために書いていた。いつもわたしは、わたしのために書いていた。
今書こうとしているものも自分のための物語なのだと思う。誰かのための物語は書けないから、過去の、未来の、いつだかのわたしにあてて書いている。わたしが必要とした物語を、わたしは書いています。まだ書けていません。


最近、何かが嫌なわけでもなんでもないのに、とても空虚なような気がして、たぶん沢山のものを充分に持っているはずなのに、何もかもないような気がしてしまいます。
何をも成してきていないのだと自省しているのかもしれません。
いくら言葉を覚えようと、己の心の機微と言葉を紐付けられていなければ、当然ながら何も言葉にはできなくて、言葉にできないまま途方に暮れています。けれど、言葉にできないこのわだかまりが、いまは少し、いとしいと思ってもいるのです。

わたしは変わりました。変化しています。
置き去りにせざるをえなかったものたちと、今のわたしとの距離を思うことが増えました。
生きているから仕方ないのだという諦めが、草木を濡らす雨のようにわたしに降り注ぐのです。それは夏のあたたかな雨の温度で、とても優しく、心地よく、そして、寂しいものです。

大事だったはずのものが色あせ、過去になってゆきます。
それを最近は、気がつくたびに振り返って、そして、過去のある地点に置き去るしかないのだとため息をつくのです。
大切だった人の誕生日を、過ぎ去ってから思い出し、好きだった気持ちが、ずいぶんと過去になってしまったことを感じました。つい最近のことです。
ともに過ごした日々のうえに、今を生きる日々が重なって、少しずつ遠くなっていくことを、あなたがどこかで元気でいますようにと祈りながら寂しく思ったものですが、最近は、寂しく思うこともなくなりました。

失ったときはこの痛みをずっと抱えていくのだと思いました。そうしていきたいと思いました。痛みが消えなければずっとおもっていられるのだと信じていたからです。それをきっと未練というのでしょうが、わたしにとっては、なお生き続ける恋心でした。
時間薬はとてもよく効いてしまうので、しらずついていた心の傷は塞がってしまい、血も流れるのをやめ、痛みは思い出せなくなっていきます。生きるということは、別れの連続なのだと思います。

春が嫌いなのだと、わたしを祝うあなたに言った。
一緒に育った犬も魚も、新しく得た友達も、大事にしたものはみんな春に死んでしまったからです。爛漫と花が咲く芽吹きの季節ほど嘆き悲しんで生きてきたので、今も別に春は嬉しい季節ではありません。
寒い冬のほうがずっと好きですが、嫌いというほど強い感情を春に持てなくなってきました。これは成長ではないのだと思うけれども、同時に、歳を重ねてきた、その証明なのだろうと思います。

あなたのことを忘れ始めているのだと気がついた今年、寂しいとすら思わなくなった自分が、少しこわいです。
何かひかるものを探そう、と思い始めました。なんとなく、世界の本当の美しさのようなものに気がつき始めたような気もします。自分の身で息をすることを思い出したのかもしれません。

大事にするということを継続する、それをいつかの過去にはできなかったけれど、これからのわたしはおそらく、それができます。
それをしたいと思える宝物をまた、探してみたいと思っています。ただあるがままにぼんやりと歩いてきた。けれど、歩いてこれた。
そしてわたしはまだこの先を歩いて行かなければならないから、立ち止まって思い出すことを、来年以降はするかもわかりません。
歳を重ねるごとに、一年ずつは早さを増して過ぎ去ってゆくので、あなたはついてこれないのです。

さよならを重ねて、重ねて空いた手にまた何かをつかむのかもしれません。
書かねばならないと思っていた。過去、そうしていないと自分の心を確かめられなかったからです。わたしの心はここにあると記しておかなければ不安だったのかもしれません。
書けないと感じる今、今こそ、自分に向き合い始めたのかもしれないと思います。これからのわたしが何をやろうと思うのか、やりたいと感じるのか、楽しみであり、また、少しこわいです。

冒険という言葉がいつも胸の底でぎらついているのです。本来ならその言葉のまま、心の示すままにどこまでも思いつくままに走り抜けていくのがわたしだった。
やりたいことをやりつくすために生きているのだと思っていたけど、やりたいと思っていたことをひとつずつクリアしてきてしまったから、そろそろ新しいなにかを探さなければなりません。過去のわたしが望んだものを叶えてしまったので、おそらく手持ち無沙汰なのです。

自宅に押し込められる昨今だからこそなのか、なぜかひしひしと世界の広さを痛感します。飛行機が飛ぶようになったらまた海外に行きたい。英語を少し、学び始めました。独学ともいえないような触りかたですが、それでも、一歩を踏み出せたことがわたしは嬉しい。
学生の頃、語学学校への進学を家庭事情で諦めたことがずっと引っかかっていて、あの時希望の学校へ行っていれば今のわたしではなかったと思うたび、後悔ともいえないような何かが苦かった。だから、あの頃のわたしがなりたかったわたしへ少し舵をきってみています。I feel weak.

わくわくする気持ちを取り戻したいと思う。何かを作りたいと思っている。何もしていない、何を成さない自分でも、大事にしていいのだとやっと認められてもきた。だから、生きていこうと思う。明日突然死んだとしても悔いのない今日を、また今日を重ねて。

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