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他人事で生きるなんて。

デイケアの見学と説明会に行ってきた。
転職活動の選択肢の1つに入れるどうか、明確にしたかったからだ。

見学に行った施設は、とても素敵なところだった。
利用者の方々はみんな、生き生きとしていて笑顔で、若々しかった。
働いている方々のお話も聞いたのだが、「人って、自分も含め、いつどうなるか、分からない」「自分の言動ひとつが、相手に良いくも悪くも影響してしまう可能性がある」という話に、思わず大きく頷いてしまった。

とくに、「人って、いつどうなるか、分からない」には、すごく共感してしまった。

なぜなら、私自身「ホームレスになったらどうしよう」と考えたこともあったし、「ニートになったらどうしよう」と怖くなったこともあったからだ。
 
そして、残念な事に、私には、そうならないと言い切る事は出来ないし、この先も出来ないと思っている。


でも、それを友人に、冗談っぽく話す度に、笑いながら「大丈夫だよ。」と返され、そして、その度に「なんで、大丈夫だと言えるんだろう」と、逆にそう言える友人を羨ましく思うのである。

本音を言えば、私だって「大丈夫だ」って思いたいのだ。
思いたいのだが、出来ないのである。

何故なら、私だって、何らかの拍子に、車のアクセルとブレーキを踏み間違えてしまう可能性はあるし、このまま転職先が見つからなければ、ニートになってしまう可能性だって、決してゼロではないのだ。ニートは困るし、怖いが、あり得ることなのだ。

つまり。

誰だって当事者になりうる。
と、私は思っている。

もし、私だったら?


だからこそ、そういうニュースを見るたびに、他人事として見ることも、切り捨てることも出来ないのだ。

ニートで苦しんでいる人に、「働かざる者、食うべからず」なんて絶対に言えないし、なんらかの依存性で苦しんでいる人に「意思が弱いからだよ」なんて、口が裂けても言えないし、また言いたくもないのだ。

何故なら、私だって何らかの事情で、そうなってしまう可能性がなくはないのだから。
つまり、全然他人事ではないのだ。

だから、切り捨てられるのは怖い。

だから、切り捨てる人にはなりたくない。

小学生の頃、体育の時間のマラソンで、一番走るのが遅い私に「一緒に走ろう」と、途中まで一緒に走っていたのに、最後の方に「ごめんね、先行くね」って、先に行ってしまう友人の後ろ姿を見送る時の切なさと惨めさを私は知っている。

だからこそ、今の私は、最後まで見捨てない人でありたいと思っている。

まだまだ先だが、そんな就労支援員になりたいと思っている。

最後に、何度も寝落ちしそうにながら、このnoteを書いていたら、私は文章を書く事が好きだった事を思い出した。

明日も絶対に書く。

なんて、言い切れない 笑。

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