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買いだめを見るたび切なくなる心理

今日は、パソコンスクールの帰り道、スーパーへ行った。
かごをもって歩いていて、びっくり。
なんと、ペットボトル飲料売り場と、インスタント麺売り場と、パン売り場が、すっからかんだったのである。

その光景が目に入った瞬間、思わず目を疑ったのだが、よく考えてみたら、合点した。

そう、台風のせいなのである。

でも、理由が分かったところで、やっぱり納得できない。
納得できないまま、なんとも言えない気持ちになった。

人が生きるためには、水も食料も必要である。
台風は、それを脅かす危険がある。

分かっている。分かっているのだ。

でも、どうしても、あの東日本大震災を思い出してしまうのだ。

人間の本能を目の当たりにして、ショックを受けたあの時を。

あの時、ガソリンスタンドには、何だか不安だから、とりあえず、ガソリンを入れようする長蛇の列。

スーパーでは、なんでも良いからと買い占める人々。

頭のなかでは、当たり前の事だとわかっていた。

でも、私の心中は、すごく複雑だった。

どさくさにまぎれて
何だか心配だからとか、
みんな買ってるからだとか、
ひまだから来たのだとか、

誰かと笑いながら、並ぶ人たち。
私は、あれが苦手だった、

仕方のない事だ。

頭の中では分かっていた。

でも、私は無駄な抵抗だと知りながらも、ガソリンを入れるのをギリギリまで我慢することを選んだ。
少しでも、本当に必要としている人が入れられるように。
だから、最後の方は、いつガス欠になるか心配しながら車を運転していたのだ。
まだ残っているのに、給油をするなんて、私の良心が許してくれなかったのだ。

だから、今でも、あの時のトラウマのせいか、ガソリンは、早目早めに給油しないと不安になってしまう。

などと、偉そうに書いているが、私だって、切羽つまったら、同じことをしてしまうだろう、

それが、悲しいかな、人間であり、生きていくことなのだ。

それが、人間臭さなのかもしれない。

でも、やっぱり私は、あの行列には、並びたくないと思うのである。

人間って、思っている以上に、人間臭いのかもしれない。
勿論、私も論外ではないのである。

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