見出し画像

自己啓発本は、タイトルだけで分かった気になる。

今日は、初対面の人の前で、思い切りお腹が鳴ってしまうという悲しい出来事があった。

笑ってごまかしてはみたものの、誤魔化しきれず。
お腹の音を誤魔化せたら良かったのに、何も出来なかった。

でも、笑って貰えたので、良かったというか、救われた。
ビジネス笑い(愛想笑い)も時には大事だ。

ちなみに、帰り際にも、ガラスの扉にぶつかりそうになったり、エレベーターとは逆の方に間違えて行きそうになったのも、バッチリと見られ、ビジネス笑いとビジネス心配をされるという失態もおかしてしまった。

本来、笑って誤魔化すのは、あまり好きではないのだが、今日はアリだったと思う。

と、そんなわけで、今日は「誤魔化す」について、考えてみる事にした。

まず、誤魔化す方法としては、

泣いて誤魔化す
笑って誤魔化す
などがあるが、
よく考えてみたら、小学生以来、泣いて誤魔化した事はない事に気が付いた。

小学生の時に、凄く厳しくて怖い先生がいて、やれ声が小さいだの、やれドッジボールの球をとったら自分で投げろだの、よく怒られていたのだけど、同じくよく怒られていた友人は、泣いて誤魔化すという技を獲得し、かるくひと泣きしては、許してもらっていたのだ。

そして、それを見ていた私は、

「泣くなんてずるい」

という、妙な正義感と 
「泣いて許してもらっていいな」という、羨ましさとのくだらない戦いを繰り広げた結果、「意地でも泣かない」という妙な境地にたどり着いたのである。

あれから、大人になった今でも、本当に不器用というか、
損をしているという自覚はある。

だからその分、悩みや迷い、葛藤があり、noteにぶちまけているのだ。

そして、ぶちまけるだけでは飽きたらず、認めてほしい、慰めてほしい、正解を教えてほしい、良い人になりたい、いや私は私。嘘でもいいから、夢はきっと叶うと言って(総じてかろうじて 笑)という時に、私は、自己啓発本のタイトルに癒されようと本屋に行くのだ。

もちろん、買うこともある。

でも、大体タイトルがすべてなので、最後まで熱が続かないことも多い。

でも逆に、このタイトル凄い!と感心したりすることも多いのだ。  

インパクトって、すごく大事。
分かりやすさも、やっぱり大事。
(忘れていたが、内容もかなり大事)

というわけで、タイトルを楽しんだり、タイトルだけで癒されたり、勉強になることもある自己啓発本に、私は結構癒されてしまうのである。

ただ、自分の買った自己啓発本のタイトルを、人に見られるのは、絶対に無理な話である。見られたら最後、その人の前から姿を消すか、新たな自己啓発本を探すしか方法はないからである。

私は●●に悩んでますというのが、ひと目でバレちゃうのは、人前で裸になるより、恥ずかしい。

だから、自己啓発本には、無地のカバーもいいけど、内容とはあまり関係のない軽めでポップなタイトルの入ったブックカバーを付けてほしいと思っている。

 最後に、少し前にテレビのバラエティー番組で、実在する本一冊と、それっぽく適当に作ったタイトルの本、数冊をそれぞれどんな内容の本なのか、アドリブでみんなに説明して、どれが実在する本なのかを当てた人が勝ちというゲームをやっていて、面白かったのを思い出した。

星新一さんのショートショートバージョンも、おもしろそうだ。

ただ、芸人さんとか、面白い事を考える人じゃないと成り立たないのが、難点である。

最近、はまっているおるたなさんとか水溜りボンドがやったら、きっと面白いんだろうなぁ。

それぞれの番組のカラーに合ってるかどうかは、素人の私には分からないので、別にして。

ただ、巷には自己啓発本が、たくさん出ている事と、星新一さんのショートストーリーもたくさんあるのが、難点ではある。出版社くくりとか、宇宙人くくりとか。いや、なんか違う気がしてきた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?