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東京を飛ぶ人たち。

東京。

北関東に住む私にとって、たまに、友達と会ったり、お笑いライブを見に行ったり、歌のライブを見に行ったりする街である。

週末の新宿駅の駅前では、夢を堂々と掲げながら歌う若者たちの歌声が、喧騒や現実に書き消されまいとしながら、足を止めた人々に吸い込まれていく。

そして、足を止めた人々の手には、ブランドのロゴの入った紙袋と、スタバのコーヒーとスマートフォン。

まるで、太陽を見るときの黒い眼鏡のよう。
ないと、眩しくて、目がくらんでしまう。
もしかしたら、盾なのかもしれない。

夢は、まさに正論であり、
正論は、時に矛にもなるのだ。

東京では、
むやみやたらに、立ち止まらない。
地下鉄の乗り換えはスムーズに。
東京の人と話す時は、スマートに。(訛りに気を付ける)

これは、あくまでも私の、東京に行く際の心構えである。

でも、私は東京が好きである。
何でもあるからだけじゃない。

時々、路地裏に、穴の空いた夢や情けなさや、寂しさや悔しさや、虚しさといったものが、吐き出されていたり、投げ棄てられていたり、落ちているから、それを見つけると、東京の人間臭さを感じて、自分も人間臭くというか、泥臭く生きても良いのだと思わせてくれるからだ。

東京で夢を持って頑張る人たちも
夢がなくても頑張っている人たちも、

やっぱり東京で、ひたすらに頑張る人たちなのだ。

勿論、田舎にも、同じようにフィールドはあり、
ひたすらに頑張っている人たちがいる。

でも、やっぱり、私にとって東京は、特別な街なのだ。

サナギは、蝶になり飛んでいき、脱け殻や亡骸は、誰にも拾われることなく、土に還っていく。

それを隠しもせずに、堂々とみせてくれるのは、東京だけだろう。

私は、東京では、飛ばないし、飛べないけど、
いつか、東京まで飛んでいけたらいいなと思っている。

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