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原因と結果が逆

どちらが原因で、どちらが結果か。
それを見誤るケースがあります。

例えば、学歴です。
「高学歴の人は出世する」という考え方は因果が逆です。 
高学歴が出世するのではなく、出世する人は結果的に高学歴な人が多いというだけです。 一言で言ってしまえば、優秀だから高学歴で出世もすると言う事です。
高学歴だから・・・ ではないのです。

スポーツのフォームもそうです。 上手い人のフォームを真似ても上手くなりません。 そもそも真似したつもりでも同じフォームになってません。

これも、原因と結果を間違えて理解しているからです。
フォームは結果として現れているだけです。
上手くなる原因(要因)はフォームではないのです。

ですから、フォームを真似るのではなく、どうすれば自然とそのフォームになるのかを考えるのです。 結果的に真似る事に違いありませんが、そのアプローチが全く違います。 ギクシャクしながら形だけ真似てみるのか、意識せずとも自然とそのフォームになるようにするのか。同じフォームを真似するにしても、フォームを要因として認識するか、結果として認識するかの違いで考えが違ってくるのです。

「諦(あきら)めなければ成功する」 これもある意味で逆に思えます。
「成功する人は諦めない」が本当の所でしょう。 両者の違いは何でしょうか? 

前者は、もう諦めたいくらいくじけている心境での言葉です。後者は、初めから諦める気などさらさら無い事を感じさせる言葉です。
つまり、この言葉の本質は「諦める/諦めない」という事ではなく、そんな事を超越した意識を持つ事だと思います。

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そもそも、失敗を失敗と感じている(マイナスのイメージ)時点で成功は遠くなります。失敗で得る事は必ずあります。それが貴重な知識となるわけですから、失敗は嬉しいのです。 

最後まで成功しなかったとしても、その過程で得られた沢山の知見は非常に重要なわけです。 その価値を認識できていれば、失敗など気にならなくなります。 そう思えないとしたら、失敗から何も学んでいない事になるでしょう。

私が回路を作る時に、運良く一発で動くと嬉しい反面がっかりもします。 失敗から得られる知識が無いからです。初めは、成功に到達しない事が苦痛でしたが、時が経つにつれ失敗が楽しくなるのです。 失敗せずに一回で成功するなんてもったいないのです。

ですから、「諦めなければ・・・」なんて心境にはなりません。
「諦めなければ成功する」と考える時点で、成功する可能性は低いと思ってしまうわけです。


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