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【インタビュー】息子と一つになる ~息子を亡くした友人の心の軌跡~ ②

前回までの記事はこちら。

■達成感と人の温かさを感じた屋久島の旅

高野山の次は今年5月の屋久島。一年越しの夢が叶った。
友人との二人旅だったが、現地集合のため、実質初めての一人旅のようなもの。方向音痴だというアサミさんは少し不安だった。
私は、
「国内だから日本語が通じる上に、英国留学の経験もあり、語学が堪能なアサミさんなら大丈夫。迷子になったら、人の温かさに触れるチャンス」
と伝えた。

旅行の直前、二つ先の駅にある行きつけの美容室に歩いて向かう途中、いつもと違う道を使ったアサミさんは、道に迷ってしまった。予約時間が迫っていたため、焦って近くにいたご夫妻に道を尋ねた。すると、「よかったら駅まで車に乗っていきませんか」と声をかけてくれた。有難く車に乗せてもらい、事なきを得た。屋久島の旅も大丈夫だと確信した。
旅はすでにここから始まっていたのかもしれない。

アサミさんの登山経験は、私と一緒に行った高尾山だけだった。しかも、行きはリフトという軽いハイキングのようなもので登山と呼べるほどのものではなかった。
そして、いきなり縄文杉トレッキングに挑戦した。往復7-10時間、推定歩行距離22キロ以上、高低差700メートルというかなり過酷な登山だ。
息子が亡くなってから車を手放し、日頃、どこへ行くにも歩いていたアサミさんは、体力も付いていたし、ガイドブックには笑顔のモデルさんの写真が掲載されていたのもあり、不安は感じなかった。後に、ガイドブックの写真は当てにならないという結論に達したのだが。

最初のトロッコ道は、雨で滑り、歩きづらかった。しかも、「いつまで続くんだ」と腹が立つほど永遠と伸びていた。
長かったトロッコ道が終わると、いよいよ登山道だ。急階段で始まる登山道を進むと、崖が現れ、両手を使ってよじ登る。
「行きに味わう苦しさは相当だった。きつくて、2回くらい引き返そうと思った」
と言う。
それでも前に進めたのは、息子がずっとそばにいるのを感じたからだった。そして、下山する人たちとすれ違う時に交わす会話に励まされた。

「もう登ったんですか?どうでしたか?」
「すごくよかったですよ。あと1時間くらいだから頑張って」

行きも帰りも、声を掛け合う人たちでいっぱいだった。
道幅の狭いところはすれ違えないため、お互いに譲り合って歩くことになる。ここは自分が止まって譲る番だとお互いに分かっていて、阿吽の呼吸で譲り合った。
譲られた人が「ありがとうございます」とお礼を言うと、譲った人は「いってらっしゃい」と送り出す。
登山者全員が仲間みたいだった。都会では味わえない不思議で温かな光景だった。

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縄文杉まで残り1時間半くらいのところにウィルソン株がある。
中から見上げた時に、空いている穴の形がハートに見えるということで人気のスポットだ。
前にいた男性が「ここから撮るとハートが見えるよ」と教えてくれた。ハートを見て元気が出たところで、最後の力を振り絞って縄文杉に向かう。
念願の縄文杉は、霧が立ち込めて幻想的だった。巨木はどっしりとした佇まいで、人の顔にしか見えなかった。

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感動と達成感を味わいながら、来た道を下山した。
足腰が痛いはずなのに、知らないうちに前へ前へと足が出た。息子が後ろから押してくれたのを感じて心強かった。
下山したところで、ウィルソン株で会った男性と再会を喜び合った。
終わってみると、往復6時間35分というハイスピードでの登山だった。

行きのバスで一緒だったオランダ人の女性とも再会した。
長崎の大学に交換留学生として日本に滞在中で、一人で縄文杉トレッキングに来ていた。自分よりも早かったから何かスポーツしているのかと聞くと、アマチュアでマラソンをやっているとのことだった。
また、フランス人のきょうだいらしき男女にも声をかけた。なぜ屋久島に来たのかと尋ねると、
「友人が3カ月前くらいに、東京、名古屋、高知、福岡、屋久杉を旅行した。その話をきいて、ぼくも絶対に屋久杉を見たいと思った」
と答えた。

翌日の屋久島は、50年ぶりの記録的豪雨に見舞われた。
宿泊していたホテルのロビーで、泣いている女性に会った。
声をかけると、フェリーで屋久島に来たのだが、3時間待っても宿泊予約をしたホテルからの車の迎えがなかったという。雨で道が冠水してしまったため、車を出すのは不可能だった。屋久島中のホテルに片っ端から電話をかけ、ようやく空き部屋があるホテルを見つけた。ずぶ濡れになりながら、やっとの思いでホテルにたどり着いた時、安堵感で泣いてしまったようだ。
アサミさんは、
「これ以上最悪なことはもうないから、もう大丈夫。ホテルに着いたし、あとは温泉に入ってゆっくり休めばいい」
と伝えた。
どん底を経験したアサミさんだからこそ伝えられた言葉なのだろう。
次の日、屋久島空港でばったり会ったその女性は、別人のようだった。
「お蔭様で元気になりました!今日、帰れますよね?」
という言葉に
「もちろん帰れるよ!」
と力強く答えた。

帰りの屋久島空港は、前日の豪雨で飛行機が全便欠航になったこともあり、狭い飛行場に2-300人くらいの人たちがひしめき合って順番待ちしていた。視界不良でいつ飛行機が飛ぶのかも分からない状態で、イライラする人がいてもおかしくない状況だった。

アサミさんが、飛行機のキャンセル待ちをしている時に、
「そうだ、こういう時はカルシウムだ。イライラしちゃいけないよね」
と言って、若い女性2人がミルキーのような長い棒の飴を舐めていた。
「いいね、それ。元気を貰った」
と思わず声をかけると、
「さっき私たちが落ち込んでいたら、これを食べて元気出してねと旅行者の方が分けてくださったんです」
と教えてくれた。そして、
「私たち、これを半分ずつにするから1本あげます」
とおすそ分けしてくれた。
自分はまだ帰れなくても、帰れることになった人に「よかったですね、帰れますね」と声をかける光景があちらこちらで見られた。
アサミさんも、その日の最終便にギリギリ乗れることが分かって、思わず「やったー!帰れる!」とウサイン・ボルト並みのガッツポーズをすると、近くにいた男性が「よかったね!」と言って拍手をしてくれた。
「ありがとう。おじさんも帰れるからね!」
と伝えた。

屋久島全体が優しさに包まれていた。
危機の時、人の温かさがより鮮明に浮かび上がってくるのかもしれない。そして、一期一会の出逢いを楽しむ、コミュニケーション好きなアサミさんだからこそ感じられた人のぬくもりだったのだろう。

■諦める勇気を知った北海道の旭岳登山

アサミさんが次に選んだ旅先は旭川だった。
今度は初めての一人旅。
屋久島のホテルで出逢った若い女性が旭川出身だったからというのが選んだ理由だ。
貯まっていたマイルを使って航空券を取った。富良野でラベンダー畑を見て、旭川でラーメンを食べて、旭山動物園に行くという計画だった。
ところが、出発6日前に私とランチをしたことで、計画は予想外の展開を迎えることになる。

「表参道で友人と待ち合わせをして待っている時に、客引きらしい怖そうなお兄さんが2人いて、ちょっと他のところに移動しようかなと思っていたら、『来月、旭川に行く。大雪山に登るんだ』という話をしていた。あら、私も旭川行くんだけど、と思ってビックリした」
とアサミさんが話した。
「その話を聞いたのは偶然じゃなくて、もしかしたら意味があるんじゃない?」
と、私は感じたままに伝えた。
そして、私が何気なくポロッと言った言葉をアサミさんは逃さなかった。
ガイドブックを見直し、ネット検索をして、大雪山登山を検討し始めた。大雪山はいくつかの山々の総称だと知り、今回はその中から旭岳を選んだ。
一人で調べてもよく分からないため、ホテル、観光協会、山岳隊に電話で問い合わせた。どの人も親身になって対応してくれた。富良野のホテルのフロント係は、アサミさんの思いを聞いて、「旭岳を楽しんできてください」と言い、キャンセル料無しで予約をキャンセルしてくれた。
「あの時の自分の動きはすごかった」
とアサミさんは笑った。

旭川に到着して、まずは電話対応をしてくれた観光協会に顔を出した。電話の担当者が、パンフレットや地図、バスの時刻表など登山に必要な資料を分かりやすくまとめておいてくれていた。有り難かった。

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旭岳登山の日は曇りだった。
ロープウェイもあったが、自分の足で歩いて登りたかった。
しばらく歩いていくと固く凍った雪道になった。足を滑らせないように気を付けて歩を進めた。標高1,600メートルにあるロープウェイの終点、山頂駅に着く頃には天候が急変し、膝まで霧が立ち込め、視界不良となった。

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ロープウェイの山頂駅付近で、ポーランド人の女性2人と会話をした。
「ここから少し歩いてみたけれど、これ以上登っても霧があって景色は見えないだろうから、やめて引き返してきた」
と2人は言った。アサミさんは、
「それもアリね。いい決断ね」
と返事をした。
9合目辺りまで登ったところで立ち止まった。ポーランド人女性たちとの会話を思い出した。
今は斜面だから上り下りが分かるが、山頂は平らだから、四方が真っ白な中ではどちらに下りればいいか分からなくなり、遭難する危険があると思った。これが今の私の限界だと判断した。そう思った瞬間にすごくすっきりした。
「諦める勇気」という言葉が浮かんだ。
上に登りたいという自我よりも、諦める勇気の方が大切だと感じた。
帰りはロープウェイを使って下り、バスで旭川に戻ってラーメンを食べた。冷えた体が芯から温まった。その後、旭川の駅周辺を散策してからホテルに戻った。

最終日、旭山動物園から乗ったタクシーの運転手が元シェルパで、
「そうですよ、諦める勇気って必要なんですよ。山登りする人は常にそれを持ってないといけない」
と言われた。

ふと気になって、旭岳に登った6月28日の歩数をスマホで確認した。19,723歩だった。

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7月23日は息子の誕生日だとすぐに気付いた。ああ、やっぱり息子がそばにいてくれたと感じた。
数字が気になり、数字を円にして書いてみたところ、人生最高の日(7月23日)と人生最悪の日(3月19日)がその数字の中にあった。

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その両方で一つだったんだと感じた。
旭岳を山頂まで登りたかったけれど登れなかったという経験と息子が亡くなったことが重なった。
「諦める勇気。自分ではどうしようもできないことがある。それをトモロヲが全身で伝えようとしてくれたのかもしれない。なぜ自分は旭川と旭(あさひ)岳を選んだのかと思っていたけど、トモロヲの戒名に朝陽(あさひ)が入っていた」
とアサミさんは呟いた。

■息子が旅を通して教えてくれたこと

屋久島の達成感と旭岳の諦める勇気。
アサミさんは、両方を経験したことで、登った時よりも諦めた時に少し強くなれた感じがした。

「自分の力を持ってしてもできないことがある。今はこれが私の限界なんだ。だから、『あの時、ああすればよかった』ではなくて、あの時できることを自分はやったのかもしれないと思った。でも、オオノ先生のカウンセリングでもマイさんのセラピーでも、自分を許すって出てくるでしょう?そこには一生たどり着けないと思う。何があっても自分を許すことはできない自信はあるんだけど、でも、限界を知ることができたというのは事実かな。もしかしたら、私はできることをやったのかもしれない、私ができる限界だったのかもと思えることで、ちょっとは楽になれたかな。それをトモロヲが一年かけて、屋久島から旭川の旅で教えてくれたんだとしたらすごい」
と語るアサミさんの表情は清々しく美しかった。
私は、トモくんの壮大な計画を思い、深い愛を感じた。

「最愛の息子を失い、最悪の体験をしたけれど、この世で最も美しいトモロヲの母として彼と過ごせた時間は、十分ではなかったとしても、世界中のどんなセレブより満たされた至福の時間だった。オオノ先生にこのことを伝えた時、『どん底の最悪な2年半を漂い、乗り越えられたことで、最高の14年と8カ月が、より素晴らしく感じられる』と言って下さった。間違いなくトモロヲは今でも、世界で、宇宙で最も美しい」

インタビューの中で、
「ボランティアでもなんでも、自分ができることを探さなきゃ」
と言っていたアサミさん。しかし、何かできることをしようと思わなくても、彼女の生き方に触れるだけでエネルギーをもらう人はたくさんいるだろう。
そんなアサミさんは、11月から飲食店で働くことにした。知り合いのお店に食べに行った時、その人の人柄と賄いに惹かれて即決した。自分は何がしたいんだろうと考えて、なかなか一歩が踏み出せずにいたが、直感に従い、ご縁があったところでまずは働いてみようと思った。

屋久島・旭川の旅を経験して軽やかになったアサミさんは、また新たな一歩を踏み出そうとしている。

(2019年9月30日インタビュー)

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