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いいねよりも、会話を続けたい

ここ数日のnote毎日更新と、twitterの投稿で、気付いたことがある。

一つは、自分のために書いていた文章が、誰かにとっても意味を成す場合もある、ということ。いろんな本で言われていることだけれども、実際にたくさんの「スキ」をもらって、ようやくわかった。そして、本当に驚いた。

もう一つは、私は「いいね」や「スキ」の数よりも、誰かからの一言にかなり敏感だということ。これは良い意味も悪い意味も持っているんだろうと思いつつも、そういう性分なのだから仕方がない。

だから例えば「いいね」が50個つくよりも、「今のtweetは、面白い視点だね」とか「このnote、共感した!」という一言をもらうと、その日の嫌なことが吹き飛ぶくらい嬉しい。

より正確に言うと、誰かから褒め言葉や共感が欲しいというわけではなく「え〜これってどういう意味なん?」という質問や「今度これやろう!いつにする?」というような会話のラリーが生まれる方が、断然好きだ。誰かと繋がっている感覚をより強く感じられて、心地が良いのだ。

普段仕事で利用しているslackも、スタンプのリアクションが多いコメントよりも、スレッド(返信)が伸びているコメントを目で追ってしまう。

オンライン上では、感覚のすり合わせや状況確認のために、報告ではなく会話によって共通認識を作り上げていく方が、結果的には効率的だし精度が上がる。だから会話が良いというのもあるだろう。

ただ私は、無駄に続く会話も投稿者の人柄が伝わってきて、心が和む。弾む。その気持ちをまた誰かに伝えたくなる。

「スキ」のボタンを押してもらえるだけで十分幸せなことだとわかっているし、noteやtwitterは誰かと話したくて書いているわけではないけれど、それでも会話が続くと、間違いなく誰かとつながっている感覚が広がり、まるですぐ隣で話しているようで満たされる。

その幸福感をいつまでも求めてしまうのは、寂しいから誰かと一緒にいたいのか、単純に会話の楽しさを味わっているのか。それとも両方か。

もう少し、自分を観察することにしてみよう。


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