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夢の変遷

小学生の頃から、将来の夢をはっきりと描けなかった。

5つ離れた兄が中学生だったころ、図書館司書になりたいと両親に話していた。兄にぴったりな職業だと私は心の中で拍手喝さいだったけれど、母は「あんたは知らないだろうけど、図書館司書になるのはすごく大変なのよ。やめておきなさい。」と兄に正しい道を示していた。

その夜、母が父に「あの子は図書館司書になりたいだなんて、どうする気かしら」と言っていたのを目撃して、ああ、職業には選んで良いものと選んではいけないものがあるんだな、とぼんやりと理解した。

当時の私は、作家や考古学者は面白そうな職業だと思っていたけれど、きっと母は許してくれないだろうと思って誰にも言わなかった。

その後、私は中学3年生になり、美術科コースがある私立高校に興味があると母に伝えた。毎年いくつかの美術展で何かしらの賞を受賞していたので、母も賛成してくれるのではと淡い期待があったのだ。だが母は「あんたは図工の先生にでもなるの?図工教員は学校に一人しかいないのよ。もし先生になれなかったらどうするの?」と真剣に私を諭した。父がなんと言ったかは覚えていない。

そして私は市内の普通科コースしかない進学校へ進んだ。

それから絵を描くのはやめた。

月日は流れ、今日。2019年2月11日。あるワークショップで、職業リストの中から、自分が気になる職業名に線を引くという作業があった。

編集者、作家、書店員、イラストレーター、漫画家、デザイナー、アーティスト、美術修復家、学芸員......

どこかで見たことがあるものばかりだった。

一方で、自分の今の職業に関するような計算や設計というような仕事には、一つも線がなかった。

この一年で、だいぶ心に正直になったことは良かったけれど、子どもの頃の想いを引きずっていることが可視化されて、思わず苦笑してしまった。

夢は、誰かから言われて消えるものなんじゃない、と改めて自覚した。

当時、親は良かれと思って言ったとわかっている。そんな言葉ひとつでやめてしまった私にも原因がある。けれども、いま何をやっても満たされない気持ちを、どう解決させればいいのかわからないのも事実だ。

昨年から少しずつ絵を描き、デッサンの本を読み、ここ2ヶ月ほどはROM専になってしまったけれど前田デザイン室の作品や講義動画を見たり、Youtubeの動画でデザインや表現の勉強するようになった。

コルクラボでは、小説を読み、読書会に参加し、自分と誰かの物語をつなげることを意識し始めている。感情の言語化は私にはまだ難しいけれど、一年前よりは自分の気持ちに向き合えるようになっていると信じたい。

今日、新しく友人になった くりむー から「残り3歩のロングジャンパー(走り幅跳びの選手)」という言葉をプレゼントされた。彼から、高く遠くへ飛ぼうとする走り幅跳びは、最後の3歩が何よりも大事だと教えてもらった。そして私は、もうその最終段階にいるそうだ。

そこを飛び越えれば、どんな世界が見えるのだろうか。

見たい世界を見たいということすら叶わなかったあの頃の自分に「もう少しだよ」って、いま心から言いたい。




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