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生物はなぜ死ぬのかを読んで思うこと

生物はなぜ死ぬのか
小林武彦(著)

新宿のブックファーストを帰りに立ち寄った時にレジ前のあり、気になり購入しました。「私達は、次の世代のために死ななければならないー」確かに死ななくていいのであれば、長い進化の過程で死ななくなる可能性もあるかもしれないのですが、そうでないのは何かしら理由が、生物学の視点からもあるのだろうなと思い、購入して読んでみました。

表紙です。

本の紹介

生物学の視点から「死」について書かれています。「誕生」「絶滅」「死に方」「なぜ死ぬのか」が書かれていました。生物としての誕生と進化から死について書かれています。一人一人の個人の死についてではなく、生物全体としての死と生について書かれているのは生物学だからこその視点かなと思いました。人のこれからとAIについても書かれており、新しい発見がありました。
 NHKNewsのおはよう日本で紹介されて有名になったそうです。おかげで私も本屋で見つけることができました。

著者の意見

「死」という究極の問いに生物学的視点から考えていくことで、生きる意味や自然との関わり合いの大切さが見えてきます。死は生きているものから見たら、生きた「結果」であり「終わり」ですが、長い生命の歴史から考えると、存在していることの「原因」であり、新たな変化の「始まり」なのです。生と死、変化と選択の繰り返しの結果としてヒトもこの地球に登場することができました。そして最も重要なことはその舞台となる地球を、自らの手で壊すことがないように守っていくことです。
 多様でいることを大切にし、変化を好み、そして間違え、反省し、人に共感して笑ったり泣いたりして人生を送れたら最高ですね。

読んでのまとめスケッチ

時計で考えてみました。

生き物として考えること

生物が誕生した確率が「25メートルプールにバラバラに分解した腕時計の部品を沈め、ぐるぐるかき混ぜていたら自然に腕時計が完成し、しかも動き出す確率に等しい」という内容が、印象的だったのでちょっと違うと知りながらも時計を例にしてまとめスケッチを書いてみました。

ゼロではないとしても、ほぼゼロでそんなことかき混ぜて時計ができるなんてことは、起きないのではないかと思いましたが、「ドレイクの試算」では銀河系にある約1000億個の恒星とその恒星の惑星の数などなどを考慮して、電波を使えるようになる知的生命体が存在するのは10個くらいになるそうです。そうするとどこかにありそうな気もしてきます。そのようないつもと違う単位やスケールの話があり、勉強になります。

生物学の観点であるため、ヒト個人の生死というよりも地球上の生物全体で考えると、死が次の生(全体が絶滅しない)のために必要であることがわかります。そして、ヒトとしても、細胞がガンになる前に老化して、新しく誕生し続けていく仕組みがあるなど、進化の結果があります。生物は「単独で存在でき、それ自身で増えることができること」とされていますが、地球全体での生物を考える機会となりました。

その流れで、死と世代交代を適宜行っていかないといけない、といった結論が書かれると思っていましたが、人間が感情の動物であるので、死を恐怖する物として、長生きを目指すのは当然で、長生きする中で次世代のために(生を続ける)結論が、教育と提案されていて意外でした。

「死ぬこと自体はプログラムされていて逆らえませんが、年長者が少しでも元気に長生きして、次世代、次々世代の多様性の実現を見届け、そのための社会基盤を作る雑用を多少なりとも引き受けることは、社会全体にとってプラスとなります。ですので、長生き願望は決して利己的ではなく、当然の感情です。」

極力老化しないように、体に気をつけて生活すること、教育と社会基盤、雑用とを引き受けていくことがこれから必要になるのだなぁと思いました。ほとんどの人が願うように、ピンピンコロリを私も目指したいと思います。

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