a scope「仏教」編を聞いて思うこと
COTEN RADIOから始まり色々な音声コンテンツを聞いています。そのなかでCOTEN代表の深井さんがパーソナリティーをつとめている「a scope リベラルアーツで、世界を視る目が変わる」も聞きました。
どの話も自分に新しい視点を持たせてくれる内容でしたが、松波龍源さんの仏教の話がいつも良くわかっていなかった仏教についてわかりやすく説明してくれていて一番面白かったです。今まで疑問だった点がわかった気がします。
・悟ることと人を助けることがつながっている理由
(自分が悟るなら個人で修行して、人助けはそんなにしなくても良いのではない?もちろんした方が良いのだけど)
・鎌倉時代にそれぞれ特徴を持った仏教が出てきた理由
(唱えるだけの仏教や踊る仏教って何?修行とかしなくていいんでしたっけ?)
とかです。
いままで、『死んだらどうなるのか?』『完全教祖マニュアル』などを読んで、宗教を学んできましたが、a scopeを頑張ってまとめれば、仏教についてのとっかかりを頭に入れることができそうだと感じたので、大体1話毎で一枚のスケッチにまとめてみました。何度も聞くことになったので、聞くのも描くのもかなり時間がかかりました。整理された文字情報がほしかったです。
a scopeのタイトルごとに、Spotifyのリンク、まとめたスケッチの順で各回整理しています。
まとめに間違っている箇所もあると思いますが、私の理解不足です、すみません。参考程度にみていただき、松波さんが説明している一次情報の音声を聞いていただければと思います。
#13 実は極めて論理的。「仏教」の世界へようこそ
第1回目の放送ですが、大体の疑問点が解消される回です。
悟ることと人を助けることがつながっている理由は、下記順序の思考によって成り立ってます。
苦からの脱却できると悟った人となる
悟った人をブッタといい、釈迦はブッタである
釈迦の導きで悟る人がいる
人を悟らせることができる人はブッタであるといえる
釈迦の前にも悟った人はいた
釈迦以外でもブッタになれるといえる
人を悟らせることができれば、悟らせた人はブッタであるといえる
人を苦から脱却させる方法でブッタになろう!
人を苦から脱却させる(人を助ける)をする理由が自身が悟ること(ブッタになること)につながっている理論です。確かにそう言われるとそうなるなぁと早速悩み(苦)から解放されました。
「仏教の世界となるべきブッタ」のまとめスケッチ
ではどう人々を悟らせるかという問題があり、それを解決するための思考法が「即身成仏」になります。それぞれの人に合った教え方で人々を悟らせようという考えです。(なんとなく即身成仏に怖いイメージがありましたが、即身仏とごっちゃになっていることに気づきました。)
お経唱えまくり、自我がゲシュタルト崩壊するまで唱えまくって、悟らせるという力技に思える話が出てきます。それはこの次の自我と苦の話が関連してます。
#14 仏教と西洋哲学を比較すると、何が見えてくる?
松波さんの知識量に圧倒される回です。
『西洋哲学は前の考えの一部を否定したり修正したりで、スクラップアンドビルドで構築された学問になっており、全体としての体系が不安定である。仏教はブッタの教えに則っているのであれば教えを補強していく積み上げ型になっており、体系が安定していて、ブレがない。』
聞いていてそんな印象を受けました。
では積み上げられてきた仏教はどのような考えなのかという話をスケッチでまとめました。
「私・自我とは何か?」のまとめスケッチ
個人の認識により、自我も苦も存在する。その固定的な認識から脱却することで、苦からも脱却できるという考え方なんだと思います。
鎌倉時代にそれぞれ特徴を持った仏教が出てきた理由は、1回目の即身成仏と自我から脱却させるという思考から理解できます。
苦から脱却させたい人々が文字も読めない
そうなると経典も理解できない
できることは何かを唱えることしなかなさそう
とにかく念仏を唱え続けてもらおう
自分が念仏なのか、念仏が自分なのか、よくわからなくなってもらおう
ゲシュタルト崩壊を起こすことで、自我から脱却してもらおう
自我からの脱却で苦から脱却となり、悟ってもらおう
これが念仏を唱える宗派であって、「いや、これだけだとまだ足りない!踊ってトランス状態になって脱却してもらおう!」と考えたのが踊りながら念仏を唱える宗派になっています。(言い切っていいのか不安ですが。)
社会の課題に対して、世の中の人が今できうる中で、どうやったら解決できるかを考えて実践できる超優秀な人たちが日本の仏教界を牽引していました。「いやいや、念仏唱えるだけって。ましてや踊るなんて」とか思っちゃってましたが、その時代のスーパー頭がいい人たちがめちゃくちゃ考えて考えた結果でした。そんな自分の浅はかさに恥ずかしさ(苦)を感じます。
#15 仏教を知れば、「悩み」にうまく向き合える
1回目で苦から解放されましたが、2回目で苦を感じてしまいました。そんなどうしても感じてしまう苦に対してどのように向き合うかが説明される回です。
「それでも感じる苦に対する向き合い方」まとめスケッチ
苦を感じなくするためには、何も期待しなかったり、心を無くしてしまうという考えを想像してしまいがちですが、そうではなく、結果と原因との因果関係を理解することを勧められています。
がっかりしたり、怒ったり、悲しんだり、理解なしで過剰に感じてしまうことで、苦製造機が稼働する燃料を投下してしまうので、メタ認知することでその燃料を停止して製造機自体を稼働させない努力をしようということが効果的なんだと思います。
そもそもメタ認知を発動させることが、私には難しいのですが、松波さんクラスになると肉体的な苦痛にもメタ認知をすることで、痛みを弱めることができるそうです。仏教での苦行も精神を肉体の制限から脱却させる試みということを聞いたことがあるので、できるんだと思います。
私の場合は、そこまで俯瞰的に自分を見つめられる自信がないので、何か苦を感じたら、「メタ認知、メタ認知、メタ認知、・・・」と念仏のように唱え続けてみようかと思います。自分がメタ認知しているのか、メタ認知が自分をしているのか、自分がメタ認知で、メタ認知が自分でと思えたら、苦から脱却できそうです。(が、そこまで唱え続けられず、スマホで今の辛さへの解決策を検索してしまいそうです…)
#16 結局、仏教の「悟り」とは何なのか?
深井さんと野村さんの疑問を聞いていき、全体をまとめられる回です。
諸行無常や色即是空や空即是色などなど、4回目の本題とは違いますが、今までの放送を聞いて何となくふんわりイメージしか抱けていなかった言葉をまとめてみました。囚人のジレンマは実は3回目の放送の終わりに出てきますが、輪廻転生を説いた理由の説明が面白いです。
「仏教の難しい言葉」のまとめスケッチ
「悟り」とは何かを4回聞いた中で自分なりに整理してみます。
「悟り」
→苦から脱却する
→自我から脱却する
→相対的な繋がりで理解する(線引きしないで理解する)
→原因と結果の因果関係を理解する(時間軸を含めて理解する)
→全てのものを「それ」を「それ」として理解する
→真理を理解する
自分が見ている赤を説明するには、自分の見ている色以外の全ての色以外の色とげんみつにいうとなると説明されていましたが、その赤をその赤と理解できるようになることが悟った状態と言えるんだと思います。
a scope の凄さと松波さんの凄さ
a scopeは深井さんがゲストの方と深い会話をしていく中で、野村さんが都度整理したり、質問してくれるので非常にスムーズにわかりやすく勉強できます。
でもその分、わかった気になりがちだなぁと整理する中で感じました。1回聞いてなんとなくわかったつもりだったのですが、何度も何度も聞く中でわかってくる瞬間がありました。仏教回以外の他の回も何度も聞いてみようと思います。
今回聞いている中で、松波さんは哲学や物理学などあらゆる学問を学ばれていて、その分野から仏教を見て比較したり、説明できるめちゃくちゃすごい人だと気づいてしまいました。a scopeは、視点を多数持ち、世界の見方をかえていく番組なのですが、松波さん自身が複数の視点をもっていて、a scopeを体現している人でした。
私は聞いて気づいたのですが、文章からも気づけるみたいです。
何度も聞いて文字をメモしたりで結構な時間かかってしまい、文章化されていればとおもいながらまとめていたのですが、ちゃんと本も出ていました…。Spotifyのリンクを探す中で見つけてしまいました。
自分が認知できている範囲がまだまだ狭いんだなと痛感しました。恥ずかしい限りです。
「メタ認知、メタ認知、メタ認知、・・・」
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