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能力のあるなしでなく、向き不向きがあるだけだ

お昼ごろに名古屋に着き、味噌かつで
有名なお店でランチを取ることに。

とても混み合っていたのでカウンターへ。
デシャップ(厨房で調理された料理が
上がってくるところ)のすぐ近くで、
お店の人の会話がまる聞こえの場所に
案内された。

ひとり、新人さんなのか、何度も注文を
間違え、どの商品をどこへ運んだら
良いかわからない店員さんがいた。

その彼のせいか、ただでさえ忙しいお昼時、
お店が回っていない模様。他の店員さんが
あきらかにイライラしているのが分かる。

「もういいから、持って行かないで
そこで動かないで!」

そんな感じで注意された彼を見て、
私はきゅーっと胸が苦しくなった。

まるで過去の自分に会ったような
気がしたからだ。

一生懸命やろうとすればするほど、
わけがわからなくなって空回りをしてしまい、
周囲がイライラしているのに気づいても、
自分ではどうにもできずに、心の中で
「ごめんなさい ごめんなさい」を繰り返す
自分の気持ちが急にわーっと迫ってきた。

どうして自分は、普通のひとが
簡単にできることができないのだろう。

胸のきゅーっとした苦しさは、
さらに過去までさかのぼる。

小学校の時のバスケの試合で、いつのまにか
マークする相手を見失い、先生と周囲に
「何やってんだ!向こうだよ!」と
大きな声で注意されたこと。

このときも、どうしたら良いかわからずに
「ごめんなさい ごめんなさい」と
思っていたな。

とんかつを食べながらじわっと涙が…。
つらい…。

たまにふと、このように過去の小さい私が
現れて胸がきゅーっとなることがある。

そのたびに、「人としての能力の差では
なくて、単に向き不向きだったんだ」と
思うと心が穏やかになる。

今も接客やチームでのスポーツは
苦手だけど、そのぶん人よりも簡単にできて、
得意なこともたくさんある。

出っ張っていても、へっこんでいても、
それが魅力になることを知っている。

例えばこんなふうに、過去の傷ついた
思い出を生々しく思い出して、
文章に書けること。これだって、
自分で言うのも気恥ずかしいが
立派な才能だ。
 

でも、小さいころの私は
それを知らなかった。
 

彼は、ちゃんと知っているかな。
 

君にも、好きで得意で勝てること、
絶対にあるよ。

がんばってね。そっと心の中でエールを
送ってお店を後にした。

私は、向いていないことを無理矢理頑張って、
心をきゅーっとさせて「ごめんなさい
ごめんなさい」と言っている人の才能を
見つける手伝いをしたい。

周囲のジャッジで自分の可能性を閉ざして
いる人はたくさんいる。

だれにも、ごめんなさい、なんて
言わなくたっていい。堂々と、生きればいい。

自分の向き不向き、好き嫌いが明確化されると
とたんに強くなる。何があっても這い上がれる。

踏まれても、アスファルトからでも、
深く地中に根をはり、かわいい花をさかせ、
種を飛ばす。そんな人たちを増やしたい。

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