AdobeStock_ワークライフバランス

ワークライフバランスという言葉が嫌いです

この言葉って、下記の前提がありますよね。

WORK

辛いもの。辛いけど、生きていくために仕方なくやらなければならない労働。辛いから長時間やったらぶっ倒れるし、メンタル病むから駄目。

LIFE

楽しいもの。家族や友人と過ごすかけがえのない大切な時間。子育て。趣味時間。

==

”WORKはやりすぎると資本家に搾取されちゃうし、体壊すし、メンタル病む「辛いもの」だから、楽しいLIFEとバランスとって帳尻を合わせましょうね。”

ワークライフバランスという言葉に、上記のような前提があるようで、この言葉が好きではないのです。

確かに、ひとむかし前なら、そうだったのかもしれない。でも、現代の「仕事」って、いわゆる前時代の「労働」なんですかね?

労働【ろうどう】《名・ス自》体を使って働くこと。特に、賃金(ちんぎん)・報酬を得るために、体力や知力を使って働くこと(コトバンク)

現代だって、働いた労働時間分の給与をもらう仕事はたくさんある。ここで言いたいのは、「生きる上での仕事の位置づけ」のこと。

多くの人が持つ人生観、仕事観、幸福観は、その国の経済発展のフェーズや、経済的豊かさに大きく影響を受ける。

トライバルメディアハウスの開発拠点があるベトナムは、近年の経済発展が目覚ましい新興国だけど、現時点での平均月収は3万円くらいです。でもみんな、目がキラキラしている。

みんな、もっと(物的に)豊かになるために働き、稼いだお金は、車やオートバイ、家電や服の購入費に充てられる。日本でいえば、映画・三丁目の夕日の頃の価値観に近いかもしれない。

そういった国における仕事の魅力度は、所属する会社のミッションやビジョンへの共感性や、達成・承認・成長などの動機づけ要因よりも、給与や昇給チャンス、肉体労働ではないこと、職場の人間関係などが重視されやすい。

日本も、そういう(「♪24時間戦えますか?」的な)時代を経て、物的に豊かにはなったけど、いろんなものを失って、それを取り戻そうといまがあるわけです。少なくとも、いまの日本は、「生きるために仕方なく働く人」は少なくなりました。

多くの人は、今日食べるものには困らないお金を稼ぐことができ、家電も服も安く手に入れることができる。稼いだお金で、次から次へと「モノ」を購入していくことが幸せではなく、ゆったりとした時間や特別な体験をすることに幸福を感じるようになった。

国は成熟し、それにともなって、日本に住む我々の人生観や幸福感も変わったわけです。

仕事も同じです。

今日のパン代を稼ぐためのライスワークから、「何のために働くのか?」「誰の役に立ちたいのか?」「自分が社会に提供できる価値は何か?」「自分は仕事を通して何を成したいのか?」「自分が人生をかけて取り組む仕事(天職)は何なのか?」というライフワークを、多くの人が求めています。

「人生の中に仕事がある」考え方から、「仕事の中に人生がある」価値観へ変わってきたんです。

そんな成熟した仕事観・職業観の国で、ワークとライフのバランスをとりましょう!てどうなのよと。

うちも社会の公器として、法は遵守します。働き方改革という名の紋切り型の施策を講じられなくても、自ら生産性の向上、時短、多様な働き方の推進などには積極的に取り組んでます。法は守る。

でもそれは、いまの時代の人生観や幸福感の前提は、「仕事を通じて自己成長したい」「社会に貢献したい」「自分が成すべき使命を感じ、全うしたい」「好きを仕事にしたい」―― その結果、昇格・昇給し、経済的豊かさを手に入れたい、という「仕事とは志事である」という考え方に立脚したものです。

成熟した職業観を持つ人にとって、WORKとLIFEは、決して混ざることのない水と油のようなものではありません。WORKもLIFEも地続きでつながったひとつの人生そのものであり、そのどちらが不幸でも色あせた人生になってしまうかけがえのないもの。

仕事は辛いものではなく、今日のパン代を稼ぐためだけのものでもない。仕事とは、人や社会に貢献することで、自らが生きる意味や価値を実感することができる人間に与えられた最高のご褒美であり、尊いものである。僕はそう思います。

ワークとライフのバランスがとれていたとしても、金曜日の夕方が一番元気、日曜日夕方のサザエさんで憂鬱になるなんて人生が果たして幸せなのか。ワークとライフを分けすぎるから、そんな不幸な症候群が生まれる。

ワークライフバランスからワークライフミックスへ。バランスをとるのではなく、両方、ひとつの人生としてまるごと楽しむ。

せっかくいまの時代に生まれたんだから、そんな豊かな人生を送りたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?