因果律

なぜあなたの会社の社長は思いつきで行動しているように見えるのか

今週書いた「あなたの会社の社長はなぜ朝令暮改が多いのか」がとても多くの方に読まれましてね。

「これこれ、こういうことなのよ、みんな読んで!」という社長たちと、「こういうことだったのか」「いや、そうだとしても、さすがにうちの社長はひどすぎる」というスタッフたちの鬼RT。

双方とも、溜まってたのね。

それならば、ついでにもうひとつ思っていることを言わせてもらうよ。それが今回のテーマ「なぜ社長は思いつきで行動しているように見えるのか」――。

僕も、社内で「池田さんって、いつも”論理的に考えろ!”って人に言う割に自分は思いつき多いスよねw」「また何か思いついちゃったんスかァ?」「あ、(何かが天から)降りてきたんスね」とか良く言われます。

でも、俺だって最初はそうじゃなかったんだ……!こう見えてロジカルなんだぞ…!!

社長という生き物は、いつから思いつきで行動しているように見えるようになるのでしょう。(キングダムの)呉慶タイプ(知略型)だった人が、なぜ徐々に麃公タイプ(本能型)に近づいていくのか。

今回はその謎に迫ります。

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経営ってのは、KKD ――経験と勘と度胸―― だ…! 昔々、そう教わりました。

「KKD」は「経験(KEIKEN)、勘(KAN)、度胸(DOKYOU)」の頭文字を取ったもので、製造業を中心に、職人技として昔から続いている管理手法です。トラブルが起きたときなども、「経験・勘」により打開策を見つけ、「度胸」でその策を推進することができます。ITの分野では、長年の経験から過去の事例を元に判断し、プロジェクトの見積りを算出する方法をKKD法と呼んでいます。(出典:日本の人事部)

でも、トライバルを創業した13年前は、会社の経営経験も、経験に裏打ちされた勘もなく、持っているのはいくばくかの度胸だけ。経験はないし、勘も働かない。

だからこそ、自分の使命を果たすため、自分の信念を貫き通すため、社員の雇用を守るために、とにかくがむしゃらに働いた。実務をやりながら、経営に関する本もたくさん読んだ。試行錯誤しながら先輩経営者の経験談に耳を傾け、藁という藁をつかんで仕事をした。

失注が続いて心が折れそうになったり、資金繰りが厳しくて胃袋が溶けそうになったり、採用方針をミスって社内の雰囲気が最悪になったりしながら、なんとかそれらを乗り越え、数年かけてようやく会社の経営は軌道に乗った。

「会社が潰れる――。」

経営者にとって、これ以上、怖いことはない。だから、「あ、もうこの会社は(しばらくは)潰れないな」と思えたとき、経営のvolumeが攻めに転じたんだと思う。僕は、ギアチェンジして、力強くアクセルを踏み始めた。

思い返すと、たぶんその頃から、会社経営(意思決定)が「論理(知略)」から「感性(本能)」に移行した気がする。

それまではロジック、必然性、筋道、合理性、妥当性などを重視していたのに、いつのまにか、目的、感性、情動、情熱、直感、動機みたいなものを重視するようになった。

それはそれで心地よかった。「あれ、俺って論理的で合理的な小難しい左脳人間だと思ってたのに、意外と右脳人間の素地もあった的な?」と悪い気持ちがしなかったからだ。

でも、そうなったらそうなったで、現場スタッフたちからは(先に挙げたとおり)「直感スかw」「勢いww」「勘てwww」といまいちウケが悪い。

まあそりゃそうです。人にはいつも「MECE(ミーシー)に考えろよ」とか、「論理が破綻してる、はいダメー」とか言ってるくせに、自分はどんどん直感的な意思決定が増えていく。

説明しようにも、いつものように完膚なきまでロジックで説明し尽くすことができない。

どこまでひねり出しても「なんとなく……!」なのだ。

なぜだなぜだなぜだ、、と悶々としているとき ――本を通して―― この方に出会った。

三枝 匡さんという実業家をご存知だろうか。

三枝氏は、一橋大学卒了後、三井石油化学工業(元三井化学)を経てボストン・コンサルティング・グループの日本採用第一号を務め、スタンフォードでMBAを取得後、ベンチャーキャピタル代表を経て、不振企業の再建支援を行う事業再生専門家として独立。2002年からはミスミグループ本社代表取締役社長CEO、2018年からはミスミグループ本社シニアチェアマンを務めている。

コマツの産機事業本部の事業再生は、有名すぎる良著『V字回復の経営』で詳しく著されている(必読)

そんな三枝氏が、『V字回復の経営』より10年も前(1991年)に著した『戦略プロフェッショナル』の戦略ノート(小説の節目ごとに要点がまとめられている解説パート)を読んだとき、全俺は泣いた。

すごい!まさにこれだ――!

鳥肌が立った。少し長いが、引用させていただく。

※この本はビジネス小説形式で経営におけるリアルな現場を描いている世界最高レベルの良著なので、読んでない人はぜひ手にとってほしい。人生でもっともROIの高い700円の使い道であることをお約束する。

(ある会社の社長)「三枝さん、私はこれまで会社の方針を決める時に、あまりロジックで考えてきませんでした。あれこれ理屈をこねても、結局、訳の分からないことが多い。最後は結局カンでしたね」

(三枝)「ええ、それはよく分かりますね。経営の中でカンというのはものすごく重要ではないでしょうか」

「でも、企業経営のコンサルタントの人がそんなこと言ったら、何かおかしいですね」

「いや、実績のある練達した経営者の場合、彼の言うことを側近が理解しようとしても分からない。しかし結果的には、その経営者の言うことが当たっているということが多い。横で見ていると、何か動物的なカンがあるように見えるんです。実は、そうじゃないんですが……」

『直感の経営』(日本経済新聞社)の著者ロイ・ローワンは、理屈と数字だけで経営判断を下すMBAたちを「言語明瞭な無能力者」(望月和彦訳)と呼んでいる。

(中略)経営者はいつも何かが見えない状態で方針を決めなければならない。もし時間がたって誰がみても結論は明らかだというところまで待つのなら、その社長はいなくてもいいということになる。つまり社長がリーダーシップを発揮するためには、どうしてもカンで決めていく部分がかなり多いのである。

失敗経験と経営の因果律

カンと言っても2つあるように思う。1つは不思議な精神力のようなもので、ピッチャーの投げた快速球が絶好調の打者には止まって見えるとか、右脳の働きで感覚的に何かをつかむ、あるいは瞑想、自己催眠、気、霊媒、その他もろもろの精神的なものから啓示を受けるといったたぐいのことだ。

この種のカンは企業経営の中でもとくに研究開発などで大切である。

とくに声を大にして言いたいのは、企業の中で「うまく説明できないけれどもこの先に何かある」といった感覚を簡単に殺してはならないということだ。MBAが論理だけで利益の見通しなどを問いつめると、こうしたカンは簡単に企業組織から放逐されてしまう。米国経済が70年代、80年代に崩壊した理由の1つは、ここら辺りにあったと私は思っている。

もう1つのカンは、感性や精神的なものでなく、もっと論理的な判断に関係する。深からいちいち分析結果を聞かされたり、論理的説明を受けなくても、何となく結論が見えるというようなカンの場合だ。

例えば、部下の言っていることがどんなに正しいように聞こえても、トップが「それは絶対に違う」と言い切る時、そのトップにはどんなカンが働いているのだろうか。

まずすぐに考えられるのは、カンと失敗経験の関係だ。人からカンが良いと言われる経営者は、過去に失敗をあれこれたくさんやっていると、身に覚えがあるはずだ。

(中略)失敗によって見えてくる原因と結果のつながりを、私は「経営の因果律」と呼んでいる。カンの冴えた人は、この因果律を実体験からたくさん知っているのである。

歴戦の経営者には見えている「因果律」

この図を見たときに、僕は寒気がした。

「俺の頭の中だ!」

そう思った。

自分なんて、まだ歴戦の経営者と呼ばれるほどの経験は積めていない。それはよくわかってる。でも、大きな経営的意思決定をするとき、自分も頭の中で2軸の分析やMECE的整理なんてやっていない。だいたいガラガラガラガラ……ポン!ということが多い。

経営の因果律は、たび重なる失敗によって、「あ、こっちの因果律じゃないんだな」という新しい因果律が足され、次からさらに精度の高い因果律になると言われている。

しかし、それを手に入れるためには、膨大な量の失敗経験を積まなければならない。それは、時間的にも、資源的にも、会社経営的にも厳しい。

そのため、三枝氏は、著書の中で「失敗の疑似体験のススメ」を説いている。

ただ漫然と仕事をして、漫然と失敗したのでは、因果律は新しく更新されない。失敗の疑似体験をするためにはしっかりしたプランニングが前提であり、目標や計画が明確に設定されているからこそギャップが明確になり、学びの解像度が上がるとしている。

高い目的意識と、しっかりしたプランニングの上、やりながら考える。やる、うまくいかない、修正する、やり直す、そのプロセスの中から新しい因果律が足され、上書きされる。それが次のより良い意思決定の布石になる。

カンは本来、経験の蓄積から出てくるものだが、しかし筋道を立てて考えるやり方(プランニング)を繰り返すことでカンの体得が加速され、ただ経験に頼るだけの人よりもはるかにカンの冴えた経営者ができあがるのである。(出典:三枝匡著『戦略プロフェッショナル』)

あたなの会社の社長が、毎日思いつきで行動しているように見えるのは、きっと「経営の因果律」で仕事をしているからだ(たぶん)

視座やスピードが違う者同士、共通言語で会話ができず、双方にイライラが募ることもあるだろう。考え方や意思決定も、「知略、論理、合理、フレームワーク、MECE」な現場と、「本能、感性、勘、因果律、ガラガラポン」のトップと違うことで、衝突が起こることもあるだろう。

でもそれは、前の記事にも書いたとおり、できるできない、偉い偉くないではなく、経験や役割や習性の違いからくるものだから、両者違うということを両者が認識し、丁寧にすり合わせていくしかない。

思いつきばかりで行動する社長の頭を一度かち割って、中を覗いてみたいと思っていた人もいるだろう。これがそれだ。

両者の相互理解が進み、幸せな現場が訪れることを願ってやまない。

(注意)

社長はなんでもかんでも因果律を免罪符にしないように。たとえ因果律による意思決定だったとしても、現場への丁寧な説明は当然の義務として行うことが大前提なのでそこのところよろしくお願いしますネ。

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