見出し画像

親友と言える存在はできるのか

こんにちは!大学生のあいけーです!
今回は、「親友」と呼べる存在はできるのかという疑問について僕の考えを共有したいと思います!
今日も張り切っていきます!

結論

先に結論かた申しますと、

相当なきっかけや転機を経験・共有しない限り、親友と呼べる存在はできない

と考えます。

僕の考えている「きっかけ」や「転機」というのが一体どういうものなのかが分かりにくいと思うので、説明させていただきます。
僕の考えるそれらは、「災害を一緒に乗り越えた」「部活動をずっと一緒にしていた」「なにか大きなプロジェクトを一緒にやり遂げた」などになります。

人生に大きく影響したりするレベルの経験をしなければ、その人を親友と呼べるとは言い難いのではないでしょうか。

【親友】の定義

結論と簡単な理由を述べましたが、ここからは、【親友】という言葉の定義について僕の考えをお伝えします。

自分を犠牲にしてもその人を助けたいと思うか

まず僕はこの定義を上げます。
正直にいうと、僕はその人と関係を持って利益があるかどうかをすごく考えてしまいます。理由は、僕の時間が限られているからです。楽しくもないし、気持ちもないのにその人と関係を持ったところで無駄な時間になるのは当たり前だし、逆にその人に対しても失礼だと思うので、僕は自分がいて楽しい・利益があるかどうかを考えて関係を持ちます。

その人が犯罪を犯した時にそばにいてあげられるか

次はこの定義を上げたいと思います。
当然ですが、犯罪を犯すことは絶対にしてはいけないことでありそのようなことを犯してしまう人間は自分のことを考えられない人間だとも思ってしまいます。
そうした中で、自分が犯罪を犯してしまったその人と一緒にいられるかどうかをすごく考えます。理由は、犯罪を犯した人のそばにいるのはリスクの方が大きいからです。当然ですよね?
だからこそ、犯罪を犯してしまった人のことを考えて一緒にそばにいてあげられる人ということはその人が親友と呼べる存在・信頼できる存在になるということではないでしょうか。

僕の場合

ここまで親友の定義について述べましたが、ここからは僕の場合はどうなのかということをお伝えします。

僕は親友と呼べる存在はいません。

しかし、自分が犠牲になるかもしれない状況でも助けたい人はある程度存在します。それは、僕がこれまで部活動を一緒にしてきた仲間であったり、大学で4年間ずっと話してくれた友人もそうです。
助けたい友人はいるのですが、【親友】となってくるとそうではないのです。本当に難しいと感じます。

相手が助けてくれたりしたら・・・

小見出しでもありますが、僕があまりその人に対して思うところがなくても、相手が助けてくれるともしかしたらその人のことを想うようになるかもしれません。
相手が親切にしてくれる場合もあるかもしれないので、その時は親友になるかもしれません。

まとめ

最後まで読んでいただきありがとうございました!
結局なところ、

結局人を信じ切ることが大事

ということではないでしょうか。
ワンピースのルフィーみたいに人を信じる能力があれば、親友と呼べる存在はすぐに作ることができるかもしれませんね。
しかし、人を信じすぎると裏切られたときのダメージが大きいのでそこは注意したいところですね笑笑
ちなみに僕は人を信じ切ることは難しいと思うので、このトピックについて他の記事を出したいと思います。


下記に僕の他の記事を載せておくのでよかったら読んでください
ありがとうございました!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?