なぜバカをバカと放置してはならないか

標記について。まずは結論から。

【結論】
我々はコロナではなく、実はバカとの戦いの只中に入った。
社会を継続するためにはバカを疾く速やかにこの世から隔離する必要がある。人類と天然痘が共存共栄し得ないように。


【本論】
1.バカの放置が命を脅かす事態に入った

味覚嗅覚を喪失、あからさまな感染者にもかかわらず嘘をついて高速バスに乗り、地元でバーベキューに興じた輩が、なぜか縄目も受けず医療機関の恩恵に浴しているようですね。

他にも『台湾でできたマスク販売の統制どころか、まともな布マスクも配れない政府』『国家の一大事にお肉券お魚券に気勢をあげた議員』『国民の命より責めやすい政局を優先した議員』『外国人だけの前で主張を繰り広げる(でも手は汚さない)カルロス・ゴーンを彷彿とさせる感染症の専門家』『経済を一顧だにせずゼロリスクを志向する専門家会議』『高齢者は社会の贄になれと自粛を取っ払おうとする経済原理主義者』など、人によりバカ認定者は異なるでしょうが、

バカの放置が
ダイレクトに自分や大切な人の
命に関わる


事態に突入したことは、論を待たないと思われます。

中でも冒頭の『人類が対処法未確定のウイルスに罹患しながら』『自分の暮らす社会の要請を理解できず』『ウイルスを拡散させる』『社会の貴重なリソースを使わせ、他の対応を結果として遅らせる』輩については、満場一致でバカ認定できると思われます。(反論あればぜひお聞かせ願います)

※検索できる情報に基づき最大限に配慮して「自分は若いから重症化しないと思った」「飼い犬が心配で仕方なかった」「動いているから大丈夫だと思い、また窓も開けられるしタクシーよりも狭くないから、高速バスを使った」「バーベキューは家の中でないし、食べ物も焼くからいいと思った」として、こんな程度の認識しかない者に選挙権を含む社会参加を認めるべきなんでしょうか。

『他人は変えられない、腹を立ててもしょうがない』『バカと同じレベルに降りるな、無視して自分のすべきことに集中』という従来型のアプローチは、このようなバカの前では無力です。このようなバカがウイルスを広め続ける限りSTAY HOMEは続くし、経済活動はできず、破産者が増える。そして、生命のタイマーも学年のタイマーも事情を察してロスタイムを与えてはくれません。

2.バカは止められるのか

では、私たち人類が懇切丁寧に話せば、この手のバカは変えられるのでしょうか。答えは「否」でしょう。
ケーキが切れない「境界知能」の犯罪者に、医療的・専門的支援が必要なように、この手のバカには、数多の試行錯誤を重ね、分かるような方法を発見し、かつそれを実行できる意志力を育てなければいけません。
無理です。その間に人が死にます。それは、あなたの大切な人かもしれません。

3.ではどうすればよいのか

社会から離すしかありません。我々人類は、はしかだって、ポリオだって、天然痘だってーいきているんだともだちなんだ~♪とはしませんでした。
「人間に害がある、社会を破壊する」の1点の理由で、隔離し、排除し、ついに天然痘は厳重に閉じ込めた瓶の中以外に存在を許さないところまでやってきました。
しかし、ここに、輩が「人」であるというだけで、「人権」という高い壁が立ちはだかります。人権があるがゆえに、いかに愚かで社会を危険に晒す行いをしても、法律に書いていないという一点だけで、名前を出されることもなければフルスペックの医療が受けられ、名前を晒した者や危害を加えた者を逆に訴えて、獄に送ったり賠償金をせしめることができる。。誠に誠に誠に業腹ですが、中国や韓国などの統制国家が、日本のような民主主義国家よりもこの点では一枚も二枚も上であると言わざるを得ません。
ならば「人権」がなくなるのはいつか。死者になったあとである。

当然、もし政府の意に沿わないもの=バカと認定し、それを排除対象にしたら、北朝鮮と一緒です。それは、ディストピアです。
ですが、我々の社会と理性は「このバカを除かないと『じき』国が滅びてしまう」と「こいつを処分しないと無辜の人が『今』死ぬ」の区別は、まだできると信じています。
だから社会からバカを追放しなければなりません。疾く速やかに、バカを三途の向こう岸に送りましょう。

バカのせいで感染した仲間を、仲間が殺めて涙を流す前に。

終わりに

私が上記本文のどこかで「このコロナ自粛の経済苦で、自営業の友人が自ら世を去りました」「身内が仕事中にうつされて、今も病院で苦しんでいます」なんて書いていたらどうでしょうか。
『暴論』か『正論』を分けるものなんて、そう、そんなものです。