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怯えることなく生きたいと思った。

羨ましいという思うことすら少し躊躇いそうになるくらい、美しい生き方だった。

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「人生フルーツ」、津端修一さん・英子さんの建築家夫婦を追いかけたドキュメンタリー。

友人に勧められたから観てみよう、くらいの軽い気持ちでチケットを購入したということもあり、初めはどうしてこの二人が選ばれたのかがわからなかった。ただ淡々と日常を繰り返す姿に、少し退屈さすら感じていた。

こんなにゆるい日常から始まった映画が、どういう起承転結で進んでいって、どんなドラマがあって、アンコール上映が実現するくらい評価されたその理由はなんなんだろうと構えながら観ていた。

映画はそのまま終わった。

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映画を観終わって後悔したのは初めてかもしれない。

スクリーンに映っていたのはドラマではなかった。練り上げられた脚本はなかった。そこには夫婦二人の積み重ねてきた時間があって、種から育て上げて実った果実があった。

そしてそれが、あまりにも美しかった。

誰かの人生を、面白がろうと思っていた姿勢を悔いた。起承転結を求めていたことが恥ずかしかった。そこには、ただ二人が生きていた。誰かに観せるためじゃなく、未来へと続けていくために、着て、食べて、住んでいた。

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映画を観ている時、祖父のことを少し思い出した(修一さんと少し似ていたからというのもあると思う)。弱って行く祖父の姿を見るのは苦しくて、お見舞いの帰り道に、よく収束していく人生を、長く生きる意味を考えていた。

「人はいつも途中にいる」と誰かが言っていた。生まれてから死ぬまで、僕らはずっと何かの途中だ。それはどちらかといえば悲しいことだと思っていた。何かを成し遂げることができる一握りの人をのぞいて、僕らは自らが目指した完成形を知ることなく道半ばで死んでいく。

年を重ねればその可能性も高くなる。だから、なるべくやりたいことを今のうちに終わらせて、美しいまま散ってしまうのがいいと思っていた。老いて弱っていく姿を誰かに見られたくないと考えていた。

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スクリーンに映る二人の姿を観て、その考えが大きく揺れた。

二人が生きていたのは収束していく日々ではなかった。未来へと拡散していく今日があった。そこには誰かに手紙を書くような、誰かに畑の野菜を送るような、そんなあたたかな想いがあった。そしてそれがあまりに美しかった。

風が吹けば、枯葉が落ちる。
枯葉が落ちれば、土が肥える。
土が肥えれば、果実が実る。
こつこつ、ゆっくり。
人生、フルーツ。

映画の中で繰り返し出てきた言葉を、口に出してみる。

未来を確信することができたなら、途中の人生こそ、幸せなのかもしれないと思った。

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四季はめぐる、時代は進む。変えられないし、変える必要もない。そこには悲観も楽観もいらない。

どうにもならないことがあって、どうにかできそうなことがあって、きっとそれで全てだ。ゆっくりと向き合えばいい、僕らにはそれしかできない。

その迷う姿が、決める覚悟が、期待することが、虚しさが、自分だけのルールが、土壇場の一言が、繋がった未来で果実となる。そう信じてみようと思う。

怯えることなく生きたい。

人生は、歳を重ねるほどうつくしい。

読んでいただき、ありがとうございました!