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いつのまにか、が来る前に。

向日葵の花言葉をはじめて調べた。
咲いている時は気にならなかったのにな、と、花瓶の水を捨てながら思う。
しおれだして、いよいよもう枯れてしまいそうだ、
と思った時にはじめて、自分が向日葵について何も知らないことに気づいた。

何科であるとか、花言葉が何であるとか、
正しい水の替え方も、枯れた花が何ゴミに分別されるのかも、
何も知らないまま、毎日水を換え、眺めていた。

そして今朝、下を向いた花を片手に、
検索窓に「向日葵 花言葉」と打ち込んだ。
僕はいつもそうだ。
終わりにすこし、間に合わない。

小学校の卒業式からの帰り道、家までの近道を見つけた。
祖父のお通夜の後、はじめて祖父に手紙を書いた。
旅先でも、町を出る日の朝になって初めてガイドブックを開く。
誰かとのサヨナラが苦手で、いつも後悔がたくさん残る。

日常に鈍感すぎるのだ、と思う。
目の前の景色がずっと続くと思っていて、
変化に気づいてからようやく向き合いはじめるけれど、
それはいつも、すこし遅い。

向日葵だって、いつか枯れることは知っていた。
にもかかわらず、今日の朝、茶色く変色した茎に気づくまで、
それは明日も咲いている花だった。

グラデーションの日々を同じ名前でくくって、
些細な変化を見ようともせず、
咲いている、枯れた、の2つの言葉でしか花を語れない。

いつのまにか向日葵が枯れていた。
いつのまにか昨日が終わっていた。
いつのまにか春が過ぎていた。

そんなこと、あるはずがない。

春がはじまって、気温の変化があって、
コタツを片付けて、駅までの道に紫陽花が咲いて、
サンダルを履くようになって、花火大会の日程をチェックして、
そいういった日々があって、春が過ぎる。

それらの日々を無関心に素通りして、
終わりにだけ感傷的になって、
無視した期間を取り繕うように優しい目で、過去形を書き残す。
「春が楽しかった。」

もちろん、その気持ちを否定する気はない。
楽しい思い出があるのは嘘じゃない。

でもやっぱり、
雨で中止になったお花見とか、
満員電車でぶつかった肩とか、
美味しくなかったランチとか、
楽しかった、という言葉ですくってしまうと、
隙間からこぼれ落ちる思い出や感情は絶対にある。

落語家の立川談志さんの言葉を思い出す。
「落語は忠臣蔵の討ち入りした四十七士じゃなく、
逃げちゃった残りの赤穂藩士二百五十三人が、どう生きるかを描くもんだ」

僕は落語家でもなんでもないけれど、
主役になることのなかった感情こそ言葉にしたい。

そして、今思うことをすくい上げ、言葉にすることは、
終わりに間に合うための一つの方法なんじゃないかなと思う。

現在形の生々しさは、物語になった過去より、無邪気に輝く。
それによって照らされる景色がある。

だから今、目の前のことを、感情を、言葉にしようと心に決める。
未来に語られる世界じゃなくても。

いつのまにか、が来る前に。

23時17分に眠い。
ピーナッツが美味しい。
部屋を片付けるのが億劫。
夜の夏の匂いが懐かしい。

雨が嫌い。
花が好き。
ビールが苦い。

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「最初と最後の一文が決まった文」を、7人で書きました。書き始めは「向日葵の花言葉をはじめて調べた」、書き終わりは「ビールが苦い」です。
https://note.mu/ikeikeikkei/n/n9a50800cc95b

読んでいただき、ありがとうございました!