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www、それは全てを飲み込む宇宙

唐突に、雷に打たれたように、JKの頃にめちゃ流行った携帯小説を書いていたという黒歴史を思い出したので、お付き合いください。

華のJK、ホムペを作る

わたしの黄金期である平成18年から平成20年。つまり、セーラー服を身にまとい帰宅部の意識高い系としてチャリンコをとばし0.1秒でも帰宅時間を短縮するために己と戦っていた、JK時代。
他人の人生に何の影響も与えない恋愛事情や細事をつれづれなるままに綴り、ときにはプリ帳と化す、友達に見せびらかしたうえでコメントをもらうためだけに存在する個人ホームページ(通称ホムペ)作成がめちゃくちゃ流行っていた。今で言うインスタかしら。

わたしは奇遇なことに、情報処理科という当時の鹿児島にしては、まぁまぁマニアックな学科に通っていた。そしておじゃる丸をおかんとまったり見られる程度には暇を持て余していた。さらに幸運なことに、伝書蛍のデンボの真似をするという恒例行事を律儀に毎日こなすほど、心に余裕があった。
鹿児島の豊かな大地に育まれ、心身ともに極めて健康な状態だったのである。

なんかできそうやし、せっかくだから自由度の高い無料作成サイトで作るかと謎のこだわりをみせつつ、挑戦したらあっさりできた。当然、無料サイト側がHTMLを理解できれば作れるように試行錯誤した、他者への想像の賜物である。
調子に乗って仲良しグループ用のホムペも作るかという気持ちになり、そのままHTMLに手を染めまくった。これまたあっさりできた。

そのままことあるごとに、ホットいうにはおこがましいホットでないホットピンクとちゃんとしているライトグレイを多用、無料でかつ著作権フリーの手書き素材をところどころに配置、たまに文字の点滅やスクロールさせちゃったりなんかして、楽しくホムペを量産していた。
ちなみにこの時はPCを持ってなかったので、携帯、二つ折りのいわゆるガラケーでコピペとiモードを駆使して作り上げた。

そして事件は起こる。
瞬く間に、作ったホムペを介する友達との馴れ合いにも飽きてしまったのだ。
これはわたしが飽き性だからという理由だけではない。

その頃は友達と週5日、多ければ週7日の頻度で顔を合わせ、飽きるまで会話をしている。
もはや画面越しにテキストベースで話すネタなど、プリクラでも撮りに行かないかぎり、あまりやしないのだ。

そのタイミングで発生した恋空という携帯小説の大ヒット。

素人が小説を書き、自分のホムペにアップし蓄積していく、それが携帯小説。
恋空という名前からわかる通り、作品のジャンルは恋愛ものが大多数を占めていた。そして作者の年代は10代から20代前半。
わたしは109にいったことも日サロに行ったこともなかったけれど、あゆの恋愛ソングを無意識に口ずさむくらいには恋話が好きだったので、好奇心が疼いた。

携帯小説のヒットを皮切りに、縦書き横書き、改行論争の波紋がワールドワイドウェブ上で広がっていく中、思いついた。

そうだ、携帯小説を書こう。

1日おじゃる丸を見ずに携帯小説サイトを開設した。
これまた1日、おじゃる丸を見ずに何を書くか考えた。
そしてまた1日、とりあえず書き始め、その翌日から書き続けた。
そうこうしているうちに、完結した。

恋愛ものを書いたこと以外はさっぱり覚えていないが、あっさり終わりすぎてがっかりしました!とラップみたいな感想を貰ったことだけは覚えている。

そしてその後もわたしの黒歴史メイキングはとどまることをしらず、当時流行っていた女芸人の友近が頻繁にテレビで言っていた名言「人生には3つの坂がある。上り坂、下り坂、まさか。」から命名した友達とのホムペ、「上り坂、下り坂、まさか」を作成。
今もwww(ワールド・ワイド・ウェブ)の海の奥底にひっそりと佇んでいるはずだ。

最後に、QRコードができる前は読み上げられたURLを手入力でブラウザに入力してたの、すごくないですか。

ダブリューダブリューダブリュードット、から始まる響きに、無限の可能性を感じていたので好きでした。

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