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人生とは、シミュレーションである。

人生は「シミュレーション」だなぁと思ったりします。

「生きるのに頭の中でいろいろ想定することが大事」「イメージトレーニングは重要」とか、そういった類のことが言いたいわけではなくて、「シミュレーション」という単語そのものです。

ぼくは自分が完璧にできてるとは思えないけど、日本語の誤用とかがけっこう気になるタイプです。「的を射る・得る」「元旦・元日」「一本締め・一丁締め」とか、日本語が時代で変わるとは言えど訂正したくなるのです。

でもこの「シミュレーション」ってやつはどうも苦手で、文字で書くには「シミュレーション」とは書くんですが、話すときはどうしても「シュミレーション」と言ってしまうのです。

考えてみると、人生もこれと一緒だなあと思うわけです。みんな正しいことを全て残らずすべきだと言うのはわかってる。わかっちゃいるけど、というやつで、ダメだと分かっていつつも間違っていることをやめられないこともるんです。

「本音と建前」で言うところの建前は、実際の意味として「立前」とも表記されるほうの語で、こちらは棒手売や大道商人(→実演販売など)の商品を売る際の口上を指している(Wikipediaより)

ぼくにとって「シミュレーション」は建前なんです。商人の売り文句のように、綺麗ごとではこれからも「シュミレーションじゃない!シミュレーションだ!」と言い続けていくんです。

でも綺麗ごとだけで生きていくのも案外つらい。

アメリカの心理・経営学者D・マグレガーは性悪説に基づく「X理論」と性善説に基づく「Y理論」を組み合わせたXY理論と言うものを説いています。人が働く理由をポジティブな考え方とネガティブな考え方があるとし、二つを上手く組み合わせる必要があるということです。

きっとぼくらはどちらかで生きていくことはできなくて、根っから持っている善と隅っこで生きている悪、その二つを抱えて生きていかなきゃならないんです。

ある講演会でフォトグラファーの保井崇志さん @_tuck4 さんが、SNSでは良い人でいるほうが気持ちが楽だ。嫌な人でいるのは心が疲れる。そんなことを仰ってました。

甘い甘いフルーツにちょっと苦い皮があるように、少しくらい苦味を抱えて生きていくのも良いかもですね。

いけぽん


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