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【連載】コロナ禍備忘録#5 過去の振り返り(2012年バンコク)

コロナ2年目の夏が間もなく終わろうとしている。一週間前、いつものように学生達とZoomミーティングを始めた時のこと、ある学生が言った。

「先生、今年は気候が変ですね。夏と秋の境目がわかりません。暑さ寒さも彼岸までと言いますが、今年は異常気象です。」

Zoom上にいる他の5名の学生が一斉に頷く。しかし・・・。

彼女はほんの挨拶代わりに気軽に言ったのだろうが、私はふと考えた。

「今年は異常気象・・・?では通常年はどうなのだろう・・・」

その後数秒間、私は過去の夏から秋への季節変わりのことを必死に思い返した。しかし、何ということだ。何も思い浮かばない!

学生の挨拶挨拶代わりの一言にもまともに返答できない自分は一体どうしてしまったのか。いよいよ脳が疲れてしまったのか。年を取ったか。

内心パニックに陥りながらしばらく考えて、ようやく合点がいった。

私はコロナ前20年近く、この時期に日本にいたことがないのだ!

授業がないこの時期、東南アジア、南アジアのどこかで調査活動や国際交流勤しんでいた。長らく日本の夏から秋への変わり目を経験していない。

私の二男は今月二十歳を迎えた。振り返ってみれば、私は彼が生まれた頃からずっと東南アジア、南アジアと共に夏を過ごしていたのだ。そして13年前にこの地域の学生との交流を志してAAEEを起ち上げた。夢中になっていたのであろう。

そんな私にとって、昨年と今年は、現実世界にいるのに仮想空間に身を置いているような不思議な夏であった。

コロナ禍の犠牲にはなりたくない。負けない!と自身を叱咤激励して日々取り組んできた。その結果、今年7月下旬から今日(9月19日)に至るまで、何も予定を入れずに休んだ日はたったの一日だけ。猛烈に活動した。今になって冷静にセルフ・リフレクションしてみたが、たぶん私は、コロナ前のようにアジア地域で活動できない自分の悔しさをオンライン交流にぶつけていただけなのかもしれない。だとしたならば、それに付き合わせられた学生たちにはやや申し訳ない気持ちにもなる。

ちなみに、コロナ禍での学生たちの活躍は以下の前回の記事を参照してほしい。

https://note.com/ikes822/n/n7a26f06392fa

パンデミックで世界中の人々が移動を制限されている。SNSに馴染んた人々は、移動制限下、パソコンやスマホで2年前、3年前の自由気ままな時代を振り返り、コロナ前を懐かしむ。そんな「思い出」投稿を目にするにつけ:

「過去にすがることはしない!」

と強がっている自分がいた。

「前を向く!」

しかし、今日、気持ちがどん底に落ちてしまい魔が差した。過去のよき時代を振り返ってしまったのである。

過去のブログ

打ち明ける。およそ10年前、私は、自分の活動を別ブログにてかなり積極的に発信していた。しかし、ブログ開設後数年経ったある日、私はなぜだか急に内気になりそのブログを非公開にしてしまった。そのブログを久々に読み返してみると、当時の私の生き生きとした姿が蘇ってきた。私自身の行動は現在にも増して愚かであったが、生き生きとした自分が描かれていた。その中のいくつかの記事をここで改めて紹介することを決意した。読む暇のある方はお茶でも飲みながら読み流してほしい。

2012年バンコクでの出来事

当時私はネパール在住であった。当時80歳近くの両親が「我が子の身を案じて」ヒマラヤの麓まで来てくれた。約一週間の滞在の後、その両親を日本に見送るために、中継地バンコクまで見送りに行った。バンコクの空港で両親を見送った後、私はカンボジアとベトナムに調査に出かけることにしていた。以下はその時に起こった事件である。

「バンコクでの大事件(財布紛失)」(2012年12月16日の記事)

 わざわざネパールまで来てくれた両親を見送るため一昨日バンコクに到着し、乗り継ぎの関係で一泊した。昨日、「お別れの前にタイ料理でも」という両親の提案に応じ、空港近くのショッピングモールでタイ風しゃぶしゃぶレストランに挑戦。(ネパール料理に比べ)タイ料理は遥かに口に合うらしく、二人ともまるで子どものように勢いよくしゃぶしゃぶを食べ続けた。嬉しそうな両親の姿に安堵した。

 会計を終え、帽子を買いたいいう母の求めで20メートルほど先のお店に入る。時間がないので、すぐ目についた帽子を母に差出し、「これ似合うよ」と勧め、すぐに支払いの準備。しか~し!! 財布がない。いくら探しても財布がない!!!
 普段ならば財布などなくなっても動揺はない。小額しか持ち運ばないからだ。でも、両親の滞在中は違う。できるだけ日本に近い環境を整えるために一桁多い現金に加えクレジットカードも入れてあった。
 レストランからの移動は直線20メートルのみ。しかしレストランに戻って聞いても皆知らないという。会計をしたときには確かにあったのに・・・」もう時間がない、でも探さないと・・・
「ウワー やばい!やばい!」三人でパニック状態に陥った。
 しかし、両親の無事帰国が先決、とりあえず空港に向かった。
 空港へ向かうタクシーの中。お別れのしみじみとした雰囲気とは程遠い。財布を紛失した動揺と、両親の搭乗時間が迫るあせりで緊迫していた。実は私は両親を見送った後にカンボジアとベトナムに調査に出かけるのだが、その際にクレジットカードがないことは致命的とは言えずとも痛手が大きい。
 空港に到着し慌しくチェックインを手伝い、記念撮影もなくあっさり両親と別れ、財布を紛失したショッピングモールに戻った。しかしどの人に聞いても知らないという。この時点で覚悟を決めた。「もう財布は戻ってこないだろう。」体から力が抜けただ呆然とその場に立ち続けた。
 どのくらい時間が立っただろう、突然目の前に一人の女性が現れた。「私についてきて下さい。」言われるままの彼女の後を追うと、着いた先はこのショッピングモールの本部オフィス。彼女は言った。「実はショッピングモールの中はすべて監視カメラで撮影されています、これからあなたの写っている映像をすべて確認します。おそらく何が起こったかがわかると思います。まずは何時頃にモールに入ったか思い出してください。」
 「あ、その方法があったか!まだ望みがある」急な展開に戸惑いつつも期待に胸が膨らむ。パソコンの前に座り彼女と共にモニターの中の人の動きにじっと目を凝らした。程なくして、数時間前の私と両親の姿がパソコン内に映し出された。「これが僕でこれが両親です!」私は興奮気味に伝える。彼女は画面に映し出された私を拡大し、スローモーションで慎重に画面をズームインして(特に財布が入っているであろうジーンズのポケット部分)観察する。これほど自分の行動を注意深く観察したのは生まれて初めてのこと。こうして財布がなくなって慌てふためいている自分をじっくりと観察すると、「まさかこれが自分か?」と目を疑うほど滑稽でだらしなく、思わず吹き出してしまった。
 分析を終えた彼女は私にこう言った。「ビデオの見える範囲では財布を落としたり盗まれたりした形跡はありません。唯一残された可能性は、ご両親としゃぶしゃぶを食べたレストランの客席のテーブルの下のみ、そこは確認しましたか?」「はい、確認しました。ないと言われました。」「では、もう無理ですね。」やはりだめか・・・。がっくりと肩を落とす。
 するとそこに今度は身長190センチを越す大柄のタイ人男性が現れ、流暢な英語で「ここにメールアドレスと名前と滞在先のホテル名を書いて」と小さな紙を私に手渡した。とても親切そうな方だ。言われるままに記入すると、彼はそこに財布の特徴や中身の情報をタイ語で加えその紙を何枚もコピーした。
「ついてきて下さい。」
彼に促されて黙って彼の後を追う私。一体どうするのだろう。何と彼は私が通った道沿いの店のすべてのスタッフにその紙を渡し始めた。店のスタッフたちは彼のタイ語での説明を受けてようやく状況を理解したようで私を心配そうに見つめた。続いて彼は、私を自家用車で20分位離れた警察に連れて行き、私に代わってすべて手続き(盗難・紛失届け)を終えてくれた。さらに、そこから40分も離れた私のホテルまで送ってくれた。
 実が彼はショッピングモールの改装を請け負う会社の社長。仕事途中に私が困っていることを聞きつけ仕事を抜けてきてくれたのだそうだ。ホテル到着間際「困っている人がいたら助けるのは当たり前のこと。僕が困っている時には人に助けてもらうのだからお互い様。この考え方、タイ人の基本ですよ。財布は出て来ないかもしれないけど、できることはすべてやったから後は待つだけ。余計な心配はせずにタイの滞在を楽しんでください。」と述べ、さらに私の心を見透かしたかのように「僕はタクシーではない。助けたくて勝手に助けたのだからお金はいりません。困っている人からお金をもらったら罰が当たる。」と笑いながら加え、私を車から降ろして去ってしまった(電話番号だけはもらった)。カトマンズのスーツケース事件でも助けてもらったわずか数日後の出来事だったので、「この世の中には善人がたくさんいるものだ」と、財布を無くしたショックをも忘れてしまうほどの感動を覚えた。
 滞在するホテルはこれまで何度か滞在しスタッフは顔なじみだ。中でも英語の上手いフィリピン人のスタッフは僕にいつも親切にしてくれるが、この日も事の成り行きを聞いて、「できることがあれば何でもしてあげるから遠慮しないで言ってね」慰めてくれた。部屋に戻ってすぐにクレジットカード会社に紛失手続きの電話をし、その後しばらくベッドに横代わりそれまでの出来事を思い返した。あのレストランに入らなければよかった・・・。クレジットカードを財布に入れたのは失敗だった・・・。財布をポケットに入れていなければ・・・などと後悔ばかりが先にたつ。しかし「もう考えても仕方がない!仕事、仕事!」と自身に言い聞かせてパソコンを開いた。
 メールをチェックする。
「ウォーーーーーーー!!」
思わず大声で叫んでしまった。叫びながら部屋中を飛び回る「奇跡だー!奇跡だー!」
 以下がメールの文面。
Hello, We are Police Tourist in Suvarnabhumi Airport Thailand.The Police meet your black wallet it have money inside. We need to turn it back to you. So please contact me or call ***-**** Tourist Police Suvarnabhumi Airport Thailand.
<(訳)こんにちは、こちらはタイ、スワンナブーン国際空港ツーリスト警察です。お金の入ったあなたの財布を預かっています。あなたにお返ししなければならないので、直接こちらに来ていただくか、以下の電話番号までお知らせください。>

 財布が見つかった・・・。
 すぐにフロントに降りホテルのスタッフに報告。全員ガッツポーズで大騒ぎ。
その日はもう遅かったので、翌日、つまり昨日の朝、一時間かけて空港警察を訪れた。すると本当に私の財布があり、中身も抜かれていなかった。警察の方に誰が届けてくれたのか聞いたがよく分からないとのこと。誰が届けてくれたか調べてほしいとお願いしたら、忙しいからダメと断られてしまった。
 その後ショッピングモールに行ってお礼を言うと皆さん大変喜んでくれたが、誰が届けてくれたか知る人は誰もいなかった。ホテルまで私を送り届けてくれた彼の電話番号に何度電話してもつながらない。
 一体どこで何が起こって財布を紛失したのか、あの短時間の間に誰が私の財布を見つけたのか、なぞが多い事件であったが、またしても多くの善意ある人々に救われた。
 「東南アジアや途上国では盗難や詐欺に気をつけなさい」という忠告を日本ではよく耳にするが、私の体験はまったく逆。ネパールでのスーツケースにしろ今回の財布にしろ、あきらめかけた僕を現地の皆さんが励まし助けてくださり、結局戻ってきた。
 私は基本的に運のいい人間ではあるが、それだけでは済まされない。彼らの思いやり、やさしさ、奉仕精神から学ばなければならないと強く思う出来事であった。
 長文を最後まで読んでくださった皆様、ありがとうございました。





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