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【平成回顧録】平成DAYS(です)よ!「1989年」

新しい番組は「平成DAYS(です)よ!」であります。

https://youtu.be/kMqlITEECUc

さぁ、始まりました。昭和からのルーツと令和への影響の架け橋となった平成の日々をたどる

平成回顧録を歌ってみた

『平成DAYS(です)よ!』

ルーツを知るきっかけや、難しい時代を生きるためへの影響になればと、当時の音楽を著作権の都合上、自分で歌いながら、その年の出来事・文化を語っていく番組です。

使用楽曲音源はカラオケ歌っちゃ王さまでお送りいたします。

https://www.youtube.com/channel/UC1tk9F5-MGXEq4LWnjmrtpA

本物の音楽はサブスクなどでぜひ聞いていただき、深堀りしたい出来事はぜひおのおのでお調べください!

それでは第1回1989年、平成元年からスタートしていきたいと思います!

7日間で昭和64年が終わり、平成の時代が始まります。今も続く消費税のスタート、ゲームボーイの発売、横浜アリーナ、幕張メッセが作られた平成元年。まずはこの年のCD売り上げ第1位のこの曲、プリンセスプリンセスで「Diamonds」!

プリンセスプリンセスは5人の女性バンドで、5人全員が作詞や作曲、ときに歌も担当します。この「Diamonds」も作詞はギターの中山加奈子さん、作曲は奥居香さん、現在岸谷香さんで、「Diamonds」のカップリングに収録されている「M」も名曲です。

プリプリ(プリンセスプリンセスの略称)は、この年のCD売り上げ1位と2位を獲得しました。

1 Diamonds 81万枚
2 世界でいちばん熱い夏 76万枚(オリコン調べ)

のちにいきものがかりの初代マネージャーになられる当時のマネージャーさんも、一丸となってプリプリを勢いづけたのでしょう。

僕が高校生のころ、プリプリの全曲集を持っていた友達の「イボ」!寅さんとロックと登山を愛する「イボ」という男からプリプリの英才教育をうけまして、僕はキーボードの今野さん、今でいう「推し」になりました。イボはギターの中山加奈子さん「推し」でした。個人的には「だからハニー」「ティーンエイジドリーム」「19 GROWING UP -ode to my buddy-」がおススメです。名曲たくさんありますからYouTubeの公式チャンネルみてください!

この年をにぎわせた音楽は
光GENJIの「太陽がいっぱい」工藤静香「黄砂に吹かれて」Wink「淋しい熱帯魚」爆風スランプ「Runner」バービーボーイズ「目を閉じておいでよ」
斉藤由貴「夢の中へ」永井真理子「ミラクルガール」矢沢永吉「SOMEBODY NIGHT」和田アキ子「だってしょうがないじゃない」吉幾三「酒よ」THE BLUE HEARTS「TRAIN‐TRAIN」
2000年にも再ヒットするECHOESの「ZOO」などです。

1988年に発売されたばかりの8センチサイズの小ぶりなシングルCD。
(1982年に世界初の音楽CDが発売されている。歴史的にはLD(レーザーディスク)が先。)
まだ平成元年は100万枚の売り上げには到達してないのですが、
のちに急速な普及により、90年代半ばには100万、200万と爆発的に売れる音楽バブルがやってきます。
8センチサイズのCDは99年あたりでマキシシングルという大きなCD(通常サイズ12センチ)に代わっていくので10年で市場から消えます。
短冊の形で販売されていまして、下半分をパキッと折って半分にできる謎のスペースがありました。
表のジャケットも折り曲げるのであれはなんだったんでしょうか?

この年の1月1日にMr.Children、ミスチルが結成され、歌謡曲・演歌からバンドが活発になっていきます。
2月に始まったテレビ番組「三宅裕司のいかすバンド天国」通称「イカ天」から
「フライングキッズ」
(追記・これもイボとともに夢中になったバンド。深夜のCMでたまたま聞いた「風の吹き抜ける場所」がとても好きになり、
解散ライブの「幸せであるように」の8センチサイズCDも持っています。浜崎貴司がソロになって初のライブを、大阪にイボと一緒に見に行きました。)
「BEGIN」「たま」「BLANKEY JET CITY」といったバンドが世に出ていきます。

さて、僕が高1のときに友達がコピーバンドをやっていて「俺のほうがもっとうまいわ!」と嫉妬に狂った思い出のある、
僕が音楽をやるきっかけにもなり、影響を受け倒した奥田民生!

解散して再結成をした今でも活動を続け、アルバム「ツイス島&シャウ島」が先日発売されたユニコーン。
この年に発売されましたユニコーンの「大迷惑」!

https://youtu.be/9vEw-r3mmfk

この曲はサラリーマンの悲哀を歌った歌で、奥田民生はユニコーンで「働く男」「ヒゲとボイン」とサラリーマンのなげきソングを作っていきます。
サラリーマンのなげきとは対称に「24時間タタカエマスカ」というリゲインのCMが流行しました。
今ではブラック企業案件ですが、この頃どこか、「新しくなった」とか「バブルの名残り」でエネルギーがありあまっていた印象があります。
流行語といいますと、今ではいろんなハラスメントの種類がありますが「セクシャルハラスメント」や、
これも今では大炎上案件でしょうが「オバタリアン」(追記・堀田かつひこ先生の4コマ漫画。86年公開された映画「バタリアン」とおばさんを組み合わせた造語。)
という言葉も流行語に選ばれています。

4月に発売された任天堂のゲームボーイは累計1億台が売れ大ヒットとなり、
ゲームボーイがなかったら今のニンテンドースイッチはありませんし、もしかしたらスマホの発想もなかったかもしれません。
僕も持ってました。単3電池4本をしょっちゅー買って、朝から晩までとにかく遊びました。
「スーパーマリオランド」「サガ2」「聖剣伝説」「カービィのピンボール」あーテトリスもありました、「ONI」とかね「リトルマスター」とかね、
もうキリがありませんが
(追記・YouTubeの画面は「倉庫番」で作りました。)
この年から急激に目が悪くなって、僕は2年後にメガネをかけることになります。
ちなみにゲームといいますと、CDの大容量を駆使したPCエンジンの「天外魔境」というゲーム。音楽は坂本龍一さん。
「徳さん」という金持ちの同級生が持っていて、夏休みは毎日徳さんの家に通う大迷惑な小学生でもありました。

さて、この曲は1990年の曲ですが、この年に始まった柔道アニメ。浦沢直樹先生原作の「YAWARA!」のオープニングテーマです。
作曲は次の年に特大ヒットをとばすKANさん。
今井美樹「雨にキッスの花束を」。

https://youtu.be/s-nXITkFM_w

「MONSTER」「20世紀少年」「あさドラ」と第一線で漫画を描き続ける浦沢直樹先生ですが、「PLUTO」という作品がありまして、
この漫画は手塚治虫先生の漫画「鉄腕アトム」が原作です。
その手塚治虫先生は1989年2月に亡くなられます。医師でもあった漫画の神様なら今のコロナ騒動をどう描かれていたでしょうか。

この年に始まったアニメといえば
「おぼっちゃまくん」「らんま1/2」「ドラゴンボールZ」「笑ゥせぇるすまん」「パトレイバー」「ダッシュ四駆郎」と、
コロコロやボンボンといった小学生から人気が出た作品がアニメになっていますね。
ちなみにコロコロで連載していた、ミニ四駆を題材にした「ダッシュ四駆郎」。ミニ四駆のデザインをコロコロで募集していたのですが、
のちに「シャーマンキング」の作者の武井宏之先生も募集されていて、そのデザインが採用されています。
そして武井先生、漫画家になり、のちののちののちに「ダッシュ四駆郎」の続編も描いてらっしゃいました。
(のむらしんぼ先生による「コロコロ創刊伝説」より。)
あ、アニメの「シティーハンター」に一回だけヤワラちゃんが登場して、冴羽遼をぶん投げてます!

https://amzn.to/3kD04X6

このアニメ映画、クロネコヤマトのCMでよく見ました。スタジオジブリの「魔女の宅急便」。
1974年の歌ですが、まいりましょう。荒井由実「やさしさに包まれたなら」

https://youtu.be/LfQ0MVIYFnM

今も新作を制作中の宮崎駿監督、「風立ちぬ」でも荒井由実「ひこうき雲」が使われていました。
この年の映画といいますと、ずっとピンチの「ダイ・ハード」、僕の中ではロードムービー・トップ3に入る「レインマン」、
なつかしさフェチの僕が泣くしかない「ニューシネマパラダイス」、やっぱりジャックニコルソンはすごい「バットマン」
昔テレビで織田裕二・三宅裕司の吹き替えで放送されていたことがありました、バックトゥザフューチャーの何かは忘れましたが、「バックトゥザフューチャー2」

僕がこないだ観た映画で、1989年公開の大林宣彦監督の「北京的西瓜」。
中国人留学生と八百屋の日本人夫婦との交流を描いた実話の作品なんですが、撮影中の1989年6月4日に中国で天安門事件が起きます。
(追記・天安門広場に民主化を求めたデモ隊に、軍隊が武力行使をして多数の死傷者を出した事件。)
中国で撮影ができなくなったんですが、このことも映画の一部にして、まぁ作品としては悔しかったかもしれませんが、
天安門事件が起こった日付、1・9・8・9・6・4を全部足した37。映画の途中で37秒間を真っ白にした映像が挟まれます。
このことを忘れないようにとメッセージにした映画でもあります。おススメでございます。

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昭和の終わりと共に、昭和のスターがこの年に去りました。漫画界では手塚治虫、映画界では松田優作。
そして、歌。美空ひばり。この年に発売したのは「川の流れのように」ですが、個人的にこの歌の生演奏を福島の団地でしたこともあり、
こちらをお送りします。美空ひばり「愛燦燦」。

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この歌の発売は前の年なんですが、1989年にヒットしました。小学生の僕には怖い人という印象しかなかったのですが、
(追記・「ろくなもんじゃねぇ」が主題歌になったドラマも、危ない雰囲気の主人公になにかわからないけれど目が離せませんでした。)
このドラマの暴力、怒声で確実に怖い人と、植えつけられました。
とにかくこのドラマの最終回が忘れられません。いつも行くGEOにはDVDがずっとレンタル中です。
長渕剛「とんぼ」。

https://youtu.be/R7rqzSd5qbE

テレビ・ドラマでは、トレンディドラマや、TBSのドラマが華やかに活気づいていた記憶があります。
時代劇もたくさんありましたし。土8戦争と呼ばれることになる時間帯では「ひょうきん族」が終了します。
(追記・土曜8時の時間帯。TBSでは子供たちに大人気だったドリフの「8時だヨ!全員集合」に対し、フジテレビがビートたけしや明石家さんまといった当時若手のエネルギーあふれる「ひょうきん族」をスタート。
どちらを見るかで子供の心は分かれ、「全員集合」は終了するがすぐに志村けんと加藤茶の「ごきげんテレビ」がスタート。
今度はこちらが大人気となっていく。その後も「やるならやらねば」「めちゃイケ」へとバラエティー番組は続いていく。)

バラエティー番組なのですが、当時滋賀県にいまして関西ローカルなので、東京とやってる番組がかなり違っていました。
(追記・関西では、TBS系はMBS(4チャンネル)テレビ朝日系は朝日放送(6チャンネル)フジテレビ系は関西放送(8チャンネル)日本テレビ系は読売テレビ(10チャンネル)。テレビ東京の番組は見かけるのが難しく、びわ湖放送で少し見られる程度だった。)
関西ではダウンタウンが夕方の4時にやっていた帯番組「4時ですよ~だ」が終わって、東京に進出し今も続く「ガキの使いやあらへんで!」が始まりました。
ガキの使いは、関西では放送時間がまちまちだったので見れたり見れなかったりと、不安定な状態だったので当時の記憶はあまりないです。のちにビデオで見ましたが。
個人的には「ギミア・ぶれいく」という小学生が起きてる時間帯でも内容でもない、大人のオシャレな雰囲気の「東京」の番組が大好きでした。
大橋巨泉・ビートたけし・石坂浩二・藤子不二雄Aと、大人たちがやりたいことをカッコよくやっていました。
ここから「笑ゥせぇるすまん」が放送されていたり、巨泉さんはゴルフをやっていました。「ビートたけしの使えない英語」みたいなコントをやっていました。
眠たさとの戦いでした。

https://www.youtube.com/channel/UCozHSCJikNZC24-W-LpPVDA

「筑紫哲也のニュース23」というニュース番組が始まりました。エンディングテーマで使用されました。
井上陽水「最後のニュース」。

https://youtu.be/66IsYG3LyOo

この年から日本では平成という時代が始まり、新しい時代への期待や、次々と出てくる新しい技術、文化や作品や商品。
まだ豊かさや、勢いが当時の空気を覆っていた気がします。
消費税導入やリクルート事件も関係して、日本社会党が自民党に勝つといった、「社会への関心」は今よりも地続きだった、高かったようにも思えます。
やはり今よりも、余裕やエネルギーが人々にあり「いちいち言われなくても考えればわかる」ということが根底にあった気がします。
(追記・「リクルート事件」政治家や官僚が逮捕された贈収賄事件。当時の竹下内閣の総辞職にも繋がっていく。)

4月に消費税が3%でスタートします。平成生まれの人は今まで総額いくら払い、今後いくら支払い続けるのでしょうか。
連続幼女誘拐殺人事件で逮捕された宮崎勤。ニュースではオタク的な趣味が過剰なほど報道されていました。
たくさんのビデオテープに囲まれた部屋の映像を今も覚えています。

ドイツではコンクリートの壁によって、東と西に別れていました。「ベルリンの壁」というものが本当に存在していました。
1989年11月に、人々によってこの壁は壊されました。そしてドイツは統一へと動き、新しい時代が始まろうとしていました。

追記・演劇について。宮沢章夫さんの「ニッポン戦後サブカルチャー史」によりますと、「砂漠監視隊」を最後にラジカル・ガジベリビンバ・システムが活動休止とあります。大竹まことさんがラジオでたまに話されている、劇場に砂をしきつめて上演した作品はこの作品なのでしょうか。宮沢章夫さんがトラックを運転して砂を運んだ、という話をされていた記憶があります。敬愛するイッセー尾形さんのビデオ「イッセー尾形がみたい!89」では『地下鉄』のネタに度肝をぬいた記憶があります。テレビでは見られない「芸」を観たからだと思います。パントマイムの人かな?と最初思ったぐらい動きが正確なのです。このクオリティを当時の東京で、生で目の当たりにしたなら表現の世界をあきらめるぐらいの悔しさを味わっていたと思います。

さて、いかがでしたでしょうか。

テキストを長々と読んでいただきありがとうございます。チェックする人間が「次の日の自分」しかいないので、間違っていないか、本当にそれは89年のことか、その出来事・事件とはいったい何なのかと、今もドキドキが止まりません。間違っていたら本当にすいません。当時の僕は滋賀県の小学3年生でしたので調べなおすところから始まりました。(最初は当時の歌を歌えたらいいやぐらいに思ってたのですが…)

さて、次回はあるのでしょうか…来週やるにしても間に合うのでしょうか…

それでは1990年でお会いいたしましょう。平成元年DAY(で)した。

オープニング「ミュージシュク」
エンディング「さよならパフォーマンス」
作詞・作曲・演奏/池崎浩士
サブスク→

参考資料
「ニッポン戦後サブカルチャー史」宮沢章夫著
「平成オタク30年史」新紀元社
「昭和50年男」CRETA
「キネマ旬報ベスト・テン90回全史」キネマ旬報社
「コロコロ創刊伝説」のむらしんぼ著

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