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不自然が当然

車で1時間半ほど。
先日知り合った農家の田植えのお手伝いに行ってきた。
と言っても、途中で雨が降ってきてしまって、ほとんどお役に立てないまま、お茶をご馳走になって帰ってきたのだが…。
面白いお話をたくさん聞かせていただけたので、メモがてら書いておく。
あとで書き直したい。


今日お世話になったのは、自然農法でお米作りをされているご夫婦。
除草剤は使わないし、機械に頼り切らないで昔ながらの道具を使いながら田んぼを世話している。苗も自分たちで育てたもの。
三つ子の魂百までと言うけど、米作りにおいても最初の苗がちゃんと育っているかどうかが肝心らしい。

除草剤の威力がどれほどのものなのかピンときてないないところがある。
田んぼ自体は小さい頃から通学路で目にしてたけど、除草剤を撒いてない田んぼなんて、多分なかったのだと思う。
雑草なんてちょろっとしか見かけたことがない。
撒かなければ、田植えの数日後にはわっと雑草たちが顔を出してくるらしい。
あと、除草剤を土に混ぜると、おたまじゃくし達が一斉にどこかに行ってしまうらしい。

なんだか…
便利さや見た目の良さだとかを叶えるために、自然な在り方をねじ曲げざるを得なくなっている。
不自然なことにも気づかないで、気づいても目をそらして。
そうする中で、段々とその不自然が当然に変わっていく。
こわいことだなと思う。

「機械に乗ると土の気持ちがわからなくなる」という言葉、印象的だったな。
土の状態は均一じゃないから、道具越しに手に伝わる感覚を頼りに力加減を調整して耕さないとだめみたい。
機械にはそんな耕し方できない。
腕がその時期だけ太くなるくらい力が必要らしい。

あと、手植えで苗を植えるのと機械で植えたのでは、苗の育ち方が全然違うんだとか。
人の手であれば、根を優しくほぐして植えることができるけど、機械では鉄の爪で苗をむしって刺すことになる。
実際に手植えをやってみて、そんなに繊細さが求められる作業と感じなかったけど、苗には伝わるんだなあ。

私は、なんでもかんでも人の手作業に価値があるみたいな考えは嫌いだし、機械に任せて効率化できることがあるなら、どんどん投資したらいいと思う派なんだけど。
米作りに関しては、人の手で手間をかけた分、ちゃんと意味があるみたい。

機械と薬を使えば、お米はできる。
でも、それはそれなりのお米なんだろう。

また近いうちに、改めて田植えのお手伝いと、草刈りにも行きたい。

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