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【ゲストインタビューvol.3】

イベント当日って時間の都合とか、テーマの都合で聞けないこと・話せないことってありますよね?
そんな見本市当日では聞けないようなことを発信する連載第3弾!!

セッション3より、元・冒険家の返町亮さんにお話をうかがいました!

返町さんのコーディネーターを務めるスミカズキと、不肖大森でインタビューしたことをまとめております。

話の核心部分、なぜ冒険を始め、冒険を終えたかは当日イベントで!

参加は事前申し込み制(当日券は+500円)となっているので、お忘れなく!!
https://ikikatamihonichi2018kobe.peatix.com/


>>profile
長野県のぶどう農家に生まれる。
大学時に2年間休学をし、世界を巡る旅へ。
その中でアマゾン川6,000km下るチャレンジをするも失敗。
その後は紆余曲折を経て、現在は冒険を休止している。

冒険家という生き方

返町さんにとって、冒険とは「無駄なことではある」といいます。
それでいて、以前であれば社会性もあったと。
例えば敬愛する植村直己さんが冒険をしていた時代はインターネットが普及しておらず、
人々の夢や希望が共有される数少ない場のひとつが冒険であったと返町さんは考えます。

しかし今はSNSを通じてどこでも、いつでも繋がっている時代。
冒険に見出される社会的な意味が薄まり、
「個人の限界への挑戦」という意味合いが強くなったと感じているそうです。

それでも冒険という行為に強い感情を抱いたのは、
それこそが自らの力を発揮できる分野だったからだといいます。

自らを体験至上主義であると呼ぶ返町さん。
頭で考えすぎて足踏みばかりしてしまうことよりも、
とりあえず行動してみることが大事であると考えています。
実際に冒険にとどまらず、様々な経験をしてきました。

例えば住み込みで、長野の山小屋でバイトをしたり、
メキシコで牛の足を仕入れる仕事をしたり。
時には少し怪しげなお店で働いていたこともあるといいます。

しかし募るのが「これではない」という感情。
自らが持つ力を発揮できる、そういう場を見つけられる人はラッキーだと語ります。

今は冒険がしたいという気持ちがないと思いつつ、
一方で挑戦してみたい・するべきだと考えている冒険もあるといいます。
冒険への気持ちが再燃すれば、あるいは。

日本に帰国してから9ヶ月。
現在は実家の農家の手伝いをしています。
そんな自分を「何もしていない枠」と呼びつつ、
とあるラジオ番組で耳にした言葉を借りて次のように語ります。
「冒険という行為はやめても、冒険という生き方はやめていない」

その言葉からは心の中で葛藤する、冒険家としての返町さんの姿を感じました。

>>photos


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