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\生き方見本市2018KOBEレポート/ セッション2B【地方でつくる生業と暮らし】

セッション2
B「地方でつくる生業と暮らし」


■ゲスト
東祥平  雑誌「つち式」主宰
木村淳史 テラコヤ伊勢型紙代表
吉野優美 一般社団法人最上のくらし舎代表理事

■コーディネーター
藤本遼  尼崎ENGAWA化計画代表/場を編む人


藤本:セッションBの『地方でつくる生業と暮らし』です。セッションコーディネーターの藤本です。よろしくお願いします!

僕の自己紹介ですが、尼崎を中心にまちづくりとかデザインをしています。25歳の時からぼちぼち尼崎を絡めながら生業づくり、仕事づくりみたいなことをしていて、「地方」ではないですがその辺の話もできれば。

「地方創生」という言葉が数年前から雑誌に載ったり言われたりするようになって、地方が注目されたり、あるいはお金が投入されたりという時期もありました。今改めて地方という言葉やそれって何だろう?と見直す、考え直す時間にもできたらなぁと思って、このセッションのテーマをつくりました。

この3人には山形と奈良と三重から、今日は来ていただいています。それぞれけっこう面白い特徴的な活動をされています。地方によって、例えば規模やまち並みが違います。また、人によって生業をお金にするか否か、お金にする場合それをどれだけ回すかも違います。実際に仕事をつくる、移住するということに関心を持っていらっしゃる方が多いと思うので、自分がその地域を選ぶ時のヒントを持ち帰ってもらえればと思っています。

最初7分ずつ自己紹介をしていただいて、僕からいろいろ問いかけをする流れになります。では、簡単にそれぞれ自己紹介をお願いします。吉野さんからですね、よろしくお願いします。

吉野:はい、よろしくお願いします。さっき手を挙げてもらったら、この中で山形県関係者が0%だったのがすごい悲しいんですけど、私が住んでいる山形県の最上(もがみ)地域は内陸の北部、最上川のふもとにあります。私自身は東京出身ですが、父が山形県新庄市出身です。都内の中高を卒業して、服飾系の大学を卒業した後にイベントや広告、バラエティー関係の会社に勤めたんですけど、クライアントさんとの契約が切れると次に続かない、ちょっと希薄な関係が続くことになんとなく違和感を覚えて。

いろいろな仕事の中でも農家さんなどとの関係値(関係の深さの値)が気になっていて、そういう仕事に携わる中で、山形県最上地域と関わることがありました。そこから関係者が増えていって、もっとこの地域にいたいなぁということで今の会社を作る流れになりました。あとでこの話はしますね。

都内にいた時、2011年に山形県のローカルテレビの番組で、50分くらいだったんですけどレポーターをしました。「しゃべれる」と言うと、「リアクションがおもしろいからいける!」と言われて(笑)。それで飛島(山形県唯一の島)の取材に行ったんですけど、ブルーベリー農家さんの目がめっちゃ綺麗だったんです。ブルーベリーへの愛もめちゃくちゃすごくて、全然生き方も仕事に対する向き合い方も違うなぁと思って、なんだこの暮らしぶりはと。

それからも山形県とこの島にはよく行っていて、農家さんの家にもお邪魔させていただくようになりました。せっかくつないだご縁を途絶えさせて、また違う仕事をするのは悲しいなぁと思って、この地域にいたいと思うようになりました。ただ、今人口が少なくなってきているし、今ある農家の暮らしが完全に引き継がれないという未来があります。それで、今の本質的な暮らしを伝えるためにも会社をつくりました。

まちづくりと空き家の再生、情報発信の3本軸でやっていて、地域の信用金庫さんとパートナーを組んで、日本財団の支援も受けながら共同経営しています。メインでやっているのは2人。東京出身で新庄在住の私と、新庄出身で東京に事務所を持っているもうひとりです。話が広がりすぎて情熱しかない私と、それをロジックに落としてくれる彼とビジネスパートナーとしてやってます。今はイベントスペースやコミュニティスペースとしての喫茶を作っていて、ゲストを呼んで話をしたり、勉強会をしたりしようと思っています。

いろんな関係者とやっているんですけど、地域の近くにいると銀行や行政、パン屋さん、農家さんみんなと友達になるんです。その人たちのためにいいつながりやいい暮らしをつくってみんなが豊かになっていくように、イベント的なことをやっていきたいと思っています。

(写真:左が吉野さん、右が木村さん)

藤本:ありがとうございます。ではお二人目、東くんよろしくお願いします。

東:僕は普段、奈良県宇陀市大宇陀(うだしおおうだ)というところに住んでまして、もともと大阪出身なんですが4年前くらいに移り住んで田んぼをやっています。野菜を作ったりニワトリを飼ったりもしていて、空気がすごい綺麗です。家は借家ですけど、250年ぐらい前に建てられたとこに住んでます。家のもともとの持ち主が西田さんという方で、残念ながら去年92歳で亡くなってしまったんですが、その世代の方ということもあって村仕事全般すごい詳しいんです。たまたま移住してからこの方と出会えたことで、田んぼのやり方や稲の刈り方等々教えていただきまして、いろいろとこんだけ早い段階でできてるって感じです。

稲に名前をつけていまして、こなみちゃんといいます。もうずっとこなみちゃんで、今年はこなみちゃん2018です。ニワトリも飼ってまして、当然名前があってニックといいます。やがては肉になる(笑)。コケコッコーと鳴く方がオスで、ニクオスです。メスは、ニクメスです。ヒヨコの時は、にくまると呼んでます。めっちゃかわいいです。

田んぼもやってるので、いろんな生き物に出会います。イモリにミズカマキリ、赤いバッタ。珍しいでしょ?たまに色彩変容するやつも出てきます。毎日ニワトリ用に採っているので、遭遇率が高いです。キリギリスやシュレーゲルアオガエルも。あとは、大豆や味噌を作ったりしています。ちなみに大豆にも最近名前をつけてまして、「ひだぎゅう」といいます。畑の肉って呼ばれてるのを知ってますか?それだけたんぱく質が多いんです。畑って火に田じゃないですか、それに牛をつけて「火田牛」。本場の飛騨の肉に怒られそうですけどね(笑)。

あとは、棚田全段流し素麺というイベントを毎年夏にやっていて、だいたい100m以上はあると思います。近所の子どもたちも来てくれて、前日からみんなで準備をします。

生き物たちと暮らす中で書いたものを6月ぐらいに自費出版しました。『つち式』という雑誌なんですが、最近なぜか奥野克己さんや石倉敏明さんっていう人類学者の方に取り上げていただいたので、みなさん是非買ってください!以上です。

(写真:手前が東さん、奥が藤本さん)

藤本:じゃあ最後木村くん、よろしくお願いします。

木村:こんにちは、はじめまして。職人とWebの二足の草鞋、ハイブリッド職人の木村淳史です。三重県鈴鹿市(すずかし)にある世界中のテキスタイルクリエイターが集まる白子(しろこ)というまちに住んでいます。三宮から電車で2時間半ぐらい、名古屋から1時間ぐらいのところにあります。

日本全国にある230の伝統工芸はあと数年でなくなると言われていて、伊勢型紙もその中の一つです。伊勢型紙が何かというと、生地を詰めるために使う道具ですね。例えば、加賀友禅や京都の友禅。浴衣、手ぬぐいもそうだったりします。もっと言うとネクタイとかアロハシャツとか、いろいろなものに使われてます。

僕の祖父も伊勢型紙の職人で、僕が初孫だったんですけど、この給料のままじゃお年玉もクリスマスプレゼントもあげられないというやばい状況だったそうです。ただ僕が物心ついた頃には、職人さんが窓際で作業していたので伊勢型紙はすごく身近になって、そういう風景が白子には普通にあります。

新卒で入った会社をうつ病でやめました。普通ですよ、普通にやっちゃいます。地元に帰って何か探そうとした時に「そうだ、伊勢型紙がある」と思って、いろいろ職人さんの話を聞いていました。話を聞いている中でよく出たのが、仕事を発注する業者に対する不満で、僕はもともと伊勢型紙を使った商品やサービスを使って、職人さんに仕事をお願いすることがやりたいなぁと思っていたので、まずは修行を始めました。始めたんですけどここ2年ぐらい、やってる間にどんどん職人さんがいなくなっているんですね。なぜかと言うと、みんな年齢が理由でやめていったり、亡くなっているから。

僕の親方は75歳とかなんですけど、親方の世代は「俺らの代で終わり」という考えが強くて、若い人でやりたいと思っても門前払いされていた状態だったんです。じゃあ自分で後継者を育成するしかないということで、203名の方から支援をもらって、「テラコヤ伊勢型紙」という修行型ゲストハウスを2017年5月にオープンしました。

コースは3つありまして、1つ目は1日体感コース。2つ目はオリジナルで浴衣や手ぬぐいが作れるオリジナル制作コース。3つ目は弟子入りコース。職人が型紙制作に関するすべてのことを教えます。弟子入りコースの場合は、希望者の方に仕事をお願いしていて、今は2名の方が一緒に仕事をしてくれています。

僕が目指すところは、「三重県鈴鹿市白子をテキスタイルクリエイターが集うまちにしていく」こと。どういうことかというと、まち全体で商品を作るということをやりたいと思ってます。現在テラコヤで型紙のデザインをしているんですけど、もし近くに染工房があればその型紙を持って行ってすぐに生地もできあがる。そこで、最近「ふぁっしょんしろこ」という服飾コワーキングスペースを開業しました。そこに作った生地を持っていけば、その生地を使って何かしら面白いものが作れるんじゃないか。それをショップで販売して、フィードバックをもらってもう一回デザインをして、ということをしたいなぁと思っています。実際にワンピースができあがったり、伊勢型紙のリピートという考えを足して、伊勢型紙でDIYの壁紙を作ったりもしています。

でもこれらは僕だけじゃ考えられなくて、なぜできたかというとテラコヤ伊勢型紙というのがあって、そこにデザイナーさんやDIYを生業としているクリエイターさん、そういう人たちが自然と集まるようになってできています。観光で人を集めるのではなくて、生産する楽しさで集めたいなぁと思っています。

そして、伊勢型紙は「稼いで攻める」伝統工芸です。今までは守る伝統工芸だったんですね。伝統工芸に指定されて国から言われたのは「お前らの技術や歴史はすごいから大丈夫」。ただ守った状態でここまで来てどうなったかというと、後継者不足や需要不足。もうにっちもさっちもいかない状態。ここまで来たら守ってたらダメ、いろんなところとコラボをしてやっていかないといけないと思っています。

はっきり言います。「稼げない伝統工芸は滅んじまえ」これだけは言っておきます。

もともと着物や浴衣が日常着だった時代は、白子がファッションの発信地だったんです。白子でデザインをしたり壁紙を作ったりして、そこから日本全国の生産地に届けていました。ということはもう一回ファッションの業界に復帰できるのではないかと、まち全体でそういうコンセプトを考えてやっています。

最後に言います。僕は伊勢型紙あんまり好きじゃないです。何が好きかっていうと、職人さんが窓際で作業している、この風景がある白子が好きというだけです。

藤本:ありがとうございます。それぞれの今の活動エリアでの出会いについて掘り下げていきたいと思うんですが、東くんはどうでしょうか?

東:僕は大学を辞めているんですが、辞めた後田舎に住みたいと思って、1年間神戸で働いてる間に、関西を中心に移住先を探しました。いろいろ回った結果奈良県宇陀市に決めた理由は、いろんな要素が僕にとってはちょうどよいと思われたからです。

どんな要素かというと、まず立地としてちょうどいい。特急が止まる駅が近くにありますし、大阪に出ようと思ったら1時間で出れます。あと僕は田んぼをやりたかったので、地形的にもちょうどいいと思いました。なぜかと言うと、米って主食じゃないですか。自分が食べる食べ物を作りたかったんで、田んぼがあるぐらい開けた場所じゃないとダメで、山もありつつ平坦なところもあるのが今の場所でした。

僕が住んでいるところよりもっと南に行くと山がすごく切り立ってきて、田んぼがあんまりない地域になってしまいます。それから、立地がいいからかまだ人がいるということで仕事も探しやすいかなと思っていました。そういうもろもろを勘案して、今のところに決めました。

藤本:知り合いがいるから行ったというよりは場所がいいからそこに決めて、それから物件を探したってことですか?

東:そうです。たまたま遠い友達が同じ地域で働いていたってことはありましたが。


藤本:吉野さんはどうですか?

吉野:今いる場所は父の出身地で、いとこもデザイン事務所をやっていたので全く知らないまちではなかったんですけど、暮らしを変えていくには関わる人みんなが仲間じゃないと困っちゃうんです。東京と新庄を行き来している中で、いとこが地域のマルシェとかの運営をしていて、行政がすごい身近にあるのを見ました。それで人材的にここだったら地域と一緒に何かできそうという可能性が、私の中にはすごいありました。私は外部の人なんですけど、外部の空気も入れながらやれるっていう可能性で決めました。

藤本:それは自分から入っていったんですか?それとも、ご両親やいとこのネットワークがけっこうあって、自分が入っていく感じだったんですか?

吉野:どっちもありますね。ある一定の地域に行くと、「お前はどこものだ」って言われましたし。私の父はもともとお米を作っていて、近くの神社とか地域と強い関わりも持っていたので、その点では入りやすかったですね。あとは自分から県内のいろいろなイベントに行って、友人が増えていきました。


藤本:木村さんは、大学の時に東京に出たんでしたっけ?

木村:そうです、それから東京で働いていました。僕の場合、白子に戻ってくるつもりはなかったんです。何で戻ってきたかというと、自分の地元をつくりたかったからということと、白子は精神的に安定したからです。仕事を辞めていたので精神的に疲れていました。

地元をつくるってどういうことかというと、僕は小さい頃シンガポールとアメリカに住んでいたことがあって、大学も東京なので、白子は地元だけど地元じゃない感があったんです。帰ってくるつもりもなかったんですけど、結局安心するのは白子だったという。

藤本:それはさっき言っていた風景みたいなものがどこかしみ込んでいるとか?

木村:そうそう。あとは、昔よく行ってた駄菓子屋さんが今でもやってるとか。

藤本:ありがとうございます。暮らしの中でどう関係性を紡いでいくかって、単に消費者・生産者っていうお金のつながりではなくて、一緒に暮らしをつくっていく仲間としてまちの人たちと関わっていきたいなぁという話があると思います。都会だとそんなに気にせず、むしろ他人としてそこにいる一方で、田舎や地方だったら「めんどくさい関係」だと言われていると思うんですけど、そういう話はどうですか?

吉野:ある商店街を中心に、空き家を回収しているんですけど、初めはやっぱり若い世代が出入りをしたり、軽トラが入ってきたりすると、住民からしたらいきなり自分の暮らしに入ってこられたことになります。表は人の出入りがあるんですけど、裏口では洗濯物を干していたりするので、知らない人が来て怖いと感じられたおばあちゃんもいて。そのおばあちゃんのお隣がたまたま高齢者を見守るエリア担当の人で、「おばあちゃんがこう言ってるよ」「あそこは抑えておかないとダメだよ」など教えてくださいました。

藤本:その人はコーディネーター的な、動いてくれる民生委員の人なんですね。

吉野:そうです。それで地域の自治会長さんに挨拶に行ったり、チラシを入れたり。オープンした時には、かき氷100円引き券を作って見に来てくださいと呼びかけたりしました。

藤本:他のお二人は、身近な地域の人たちとどんな風に関わっているんですか?

木村:地元に帰ってきた時は同級生はいない、知り合いもいないという状況の中、どうやって僕が中に入っていったかというと、たまたま出会った山野さんという社長のおかげです。その人きっかけでいろんな白子の事業者さんを紹介してもらったり、テラコヤの物件も見つけてもらったりしました。僕が「こういうことがやりたいんです」という話をしたら、いろんな人とつなげてくださったのも山野さんだったので、そういうキーマンがいたらやりやすいと思いますね。

藤本:テラコヤ伊勢型紙には県内や市外から興味のある人が来て、そこに滞在するイメージなんですけど、白子の人が来ることもあるんですか?

木村:そういうこともあります。職人さんがよく来たりしますね。こうしたらいいよという技術面の話とか、昔の伊勢型紙の話をしたりします。

藤本:東くんはどうですか?

東:僕もキーマンを見つけるという点ではすごく同じですね。森下さんというおじいちゃんがいるんですけど、その人が周りからの信頼も厚くて。「森下さんのところに家のお手伝いとか行ってます」と言ったら万事解決っていう。森下さんパワーで今までなんとか乗り切ってきましたね。

藤本:地域の子どもたちと関係性をつくるのは違ったりするんですか?

東:いや、これもつながっています。ある時、辞めたことは隠して「関西大学に行ってました」と言ったら、「じゃあ英語できるんちゃうか?孫に教えちゃってくれ!」と言われて。でもそれもこれも森下さんっていう安心材料があったから、僕に頼んでくれるんですよね。

藤本:縁だったり運だったりすると思うですけど、3人とも地域のキーマンとどう出会うかということが大事なポイントだという話ですね。移り住むってことは全く新しい仕事をしたり、自分で仕事を生み出したりしていると思うんですが、不安や難しさはありますか?吉野さんどうですか?

吉野:最初は山形県新庄に長く住むつもりじゃなかったんで、会社を立ち上げる時はまじで泣きそうでした。本当にやれるかなって。ビジネスパートナーに「私今すごい泣きそうなんだけど」と言ったら、「いや、俺もだよ」って。だたそれまでに応援してくれた方々がいて、事業計画を地域の信用金庫さんに出してもいたので、市長や市議会議員、情報マンの主婦のおばちゃんに相談した結果、「がんばりなさいよ」と言われて。やるしかないというか、ワクワクと不安が全部一緒になってましたね。

藤本:木村くんは新卒では某有名な衣料服メーカーに勤めていて、自分で事業を起こして、今いろんな展開されてると思うんですが、どういう風に進めてきたんですか?

木村:不安な点は常に今もあります。ちょっと前まで資金がショートしそうで、やべーみたいな感じになっていたぐらい。どういう風に進めていったかというと、僕はけっこう逃げ腰なので、逃げながら逃げながらここまで来ました。

テラコヤを立ち上げるのも、「こういう構想があります。物件を貸してください」と言って物件が決まるまで、1カ月も経ってないんです。でも物件があるだけじゃテラコヤを始められなかったので、職人さんが使っていた本物の道具が必要でした。でもそれが集まらなかったら、「やっぱりすいません、できませんでした」と言えるなって思っていたんです。

職人さんがいた地域は限られていたので、そこに1200件程チラシ配りをしたら、意外とみなさん譲ってくださって。集まってしまった、こりゃ大変だと。ただ物件はある程度綺麗になっていたんですけど、雨漏りしてたりちょっと使いづらい状態でした。僕自身あんまり資金がなかったんで、とりあえずクラウドファンディングをしてみようと。でも、もしクラウドファンディングをやって集まらなかったら、「すいません、やっぱりできませんでした」と常に逃げ道を作っていました。

だけど集まっちゃったんですね。ここまで来たらもうやるしかないと、自分をどんどん追い込んでいったというのはあるかもしれませんね。不安な部分は自分でうまく逃げ道を作っていて、でも不安って面白い、楽しいですよ。不安を感じるってことは挑戦してることなので。

藤本:東くんが移住を決めたのは4年前ってことなんですけど、神戸で働かれていた時の状況やそこではどういう活動をされていたんですか?

東:そもそも田舎に住みたかった理由は、自分の食べる食べ物を自分で作りたかったこと。神戸では当然叶わないことですから、そのためには田舎に行かないといけない。あともう一つは、都会があまりにも楽しくなかったこと。一見娯楽の数と種類ともに田舎よりあると思うんですけど、だたの性格かもしれませんがどれも楽しめませんでした。

大学在学中、ちょっとだけ畑を借りてやっていたことがあって、その時に快感や喜びを感じました。暑い時に汗をかきながら自分で野菜を作って、それを食べて生きてる自分。野菜を作っている中での虫たちとの出会い。本当にその時に生きてるという感じがしました。その経験があったので、これを日常のことにしたいという思いがあって、都会に居続けることの方が不安でしたね。


藤本:移住や別の地域で生きる上で、住む場所や働く場所が非常に大事だと思うんですけど、地域の人たちあるいは一緒に何かしてくれる仲間をどうやって見つけていくのか、つくっていくのかという点はどうですか?

東:関係性のつくり方に関して言いたいんですけど、地方というとやっぱり若い人より高齢の方が多いので、高齢の方をいかに攻略するかですね。それで大事なのが、まず第一にいつもにこにこしておくことです。ちょっとアホっぽく。こいつちゃんと見てないといけないなと思わせることです。でもなんかやりたい思いがあってこっちがグイグイいくと、逆に引いちゃうこともあるので、その辺の駆け引きも大事ですね。あとは、ちょっと頼まれたときにめっちゃちゃんとやること。やりすぎるぐらい最初にやっておくと、若いのにこいつちゃんとやってくれるじゃんと。こうやって心をつかむことです(笑)。

藤本:木村さんは何かありますか?

木村:けっこう身近に生かせるものがあったりします。僕の場合は、伊勢型紙に興味はなかったんですね。おじいちゃんが職人だったり、うちの地域にはたくさん職人さんがいてそれが普通なんです。でも東京や海外に出て白子に帰ってきた時に、「あれ、これって白子にしかないな」と魅力的に感じて差別化できました。別の視点をどうやって得るかというと、やっぱり外には出ないといけないのかなぁと。一回出て自分の足元を見ると、意外といい仕事があったりするのかなぁと思いますね。

藤本:今後の話になると思うんですが、それぞれが思っている仕事とはどういうものなんでしょうか?

吉野:私の場合、気づいたら仕事をいっぱいもらっていました。大学を卒業した時は一応就活をしたんですけど、それ以外の仕事は人との関わりの中から。自分がやりたいことを言ったら、「これ優実ちゃんに合いそう」と言われて仕事をもらったりすることが多いです。

東:お金を稼ぐ仕事に関しては発展途上で、あんまりちゃんとやってません。家庭教師や草刈り、公園の木をチェーンソーで切るなど頼まれたことは大体何でもやるよって感じで、安定はしてない気がします。ただ僕は人と人の関係を注目にしているというより、人と他の生き物の関係、食べ物である稲や野菜、ニワトリ、卵との関係を大事にしたいと思ってます。

交換の話で言うと、交換をする相手は人間に限らないと思います。例えば米作りをすることで、労力の対価として田んぼから自然のエネルギーをもらえるかもしれません。田舎なので、玄関に突然何か野菜が置かれていることもあります。そんなことが当たり前にあって、僕としてはもっと他の生き物との関係を築きたいんです。だから生業というのに当てはまるか分からないんですが、何かもっといい形で異種との、他の生き物との関係をつくっていきたいと思ってます。

木村:生業って、自己実現する方法なのかなと思います。僕の自己実現は、自分の居場所づくりです。居場所づくりって普通は、家の中でいい家具を買ったり自分の家の中で終わっちゃうんですよね。でも僕はそれだけじゃ足らないので、まち全体を拡張したい、自分の居場所にしたいと思っています。それで「テラコヤ」や「ふぁっしょんしろこ」を作った結果、うまくお金も回ってるのかなぁと。

藤本:三人が今まで生きてきた中での哲学というか、いろいろなタイミングで思ったことを自分の生き方として表現しているのが多様で、すごく面白いなぁと個人的には思いますね。

最後に、これからの展開について一言ずついただこうと思います。

東:田んぼの上に山があるんですが、全部杉山なんです。それを雑木林に変えていく200年計画を考えてます。まだ何も手を付けてませんが、これから進めていきたいと思ってます。自分も関わりたいという方がいれば、あとでお話ししましょう!

吉野:自分の人生のテーマである「どうやって生きていくか?」を周りの人と一緒に考えていきたいなと思ってます。

木村:白子をテキスタイルクリエイターが集うまちにするという計画は2020年までに成し遂げようと思ってまして、その次何をするかというと、同じように後継者不足などに悩んでいる生産地に僕が行って、まちづくりクリエイターの復活のようなことをやっていきたいと思っています!

藤本:是非それぞれの地域に遊びに行ってください。では、これでセッションを終わりたいと思います。みなさんありがとうございました!


Written by 若山千夏 尼崎ENGAWA化計画インターン生

Photo by 吉田雅美
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