予想外のアクシデントに思うこと(虫が嫌いな方は読まないでください)
予想外のアクシデントに見舞われたとき、人の本性が表れると聞いたことがある。
先日、私がアクシデントから感じた4つのことを書きたい。
いつもの夕方、のんびり愛犬とお散歩をしていたときのことだ。いきなり、目の中に羽虫が飛び込んで来た。
危機において身を守ること
びっくりして確かめようとしたのだけれど、鏡がない。手には散歩中の犬のリードをしっかりと握っている。
愛犬を撫で回したその手を自分の目の中に突っ込む勇気はなかった。大切なファミリーだけど、犬はイヌ。私は、結膜炎になるのが怖かった。
それであきらめて、歩くことにした。
でもこれがすごく気持ち悪い。なぜなら虫はまだ、生きていたからだ。
想像してみて欲しい。
いきなり目の中に小さな同居虫が現れ、所在なさげにモジモジしている様子を。
家主もちっとも落ち着けない。
「通行人を見つけたら、声をかけてこの虫を取ってもらおう!ヨシ!」と、考えたところで気づいた。
誰でもいいわけじゃない?
目の中に入ったものを誰かに見てもらうということ。
それは、息がかかるほどの至近距離からお互いを見つめ合う行為。
洋服の香りから相手のランチメニューまで言い当てられる、親しい人限定の超プライベートエリア。
おじちゃん...
おじちゃん...
おじいちゃん
すれ違う通行人をよそに、私は無言で足早に歩き続けた。
いつの間にか、虫は動かなくなっていた。
人間のカラダはすごいんです
結論として、虫は私の目の中で死んだ。まるで自分が食虫花にでもなった気がしてイヤだった。
もう開き直ってしまうしかない!と決めた私は、そこから栄養素(Caカルシウム?)をいただいているのだと思い、感謝することにした。
約1時間半後に目尻から出てきた虫は、思っていたより大きくてちょっとびっくりした。
眼球の裏側にはポケットがあって、そこには落ちた虫とまつげがたまっているのではないかという私の不安は、杞憂にすぎなかった。
人間の体に入った異物は体の外に排出されるようにできている。
平凡な自分の体にそんなとんでもない機能が備わっていることに改めて、感動させられた。
死に場所はきっと、選べない
広い大空を飛んでいた小さな羽虫が、どうしてわざわざ私の右目を死に場所に選んで飛び込んだのかわからない。確率的にありえない。
でも、私が誰かと偶然街で出会ったり、目にしたりする確率もそうしたものなんだろうと思えた。ありえないことの連続の上にあるのが、日々の暮らしなんだと思った。
予想外のアクシデントに見舞われたとき、人の本性が表れると聞いたことがある。
結局、虫を目に入れたまま花を愛で、夕日を愛でて帰宅した私の本性はどこら辺にあるんだろう?
平凡な日常をただ、面白がって暮らしたい。
「瞬きが遅いんじゃない。虫が速かったんだ。」
今日の空でした。
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