田中、「外国にルーツを持つ子ども」って呼び方やめるってよ。(小さくマニアックな新年度の決意)

呼び方定まらず、もやもや

年度末がまだ終わらないけれど、日付だけは新年度になったということで、2018年度の(小さな)決意を。「外国にルーツを持つ子ども」という呼び方はまだまだ定まりきっていなくて、支援者や地域によって「外国につながる」「外国につながりを持つ」「ミックスルーツ」「外国由来の」などなど、バラバラ。

そもそもこれらの呼び方が「良い」のかどうか、そもそも「当事者」である子どもたち自身にほとんどこれらの呼び方が知られていない、などを含めていろいろな議論や課題があるのだけど、一時的にでも「社会的な課題を有するグループ」としてなんらかの呼称はあった方がよいと思ってる。(課題の状況を表す言葉としては「言語難民」がもっとも包括的だと思う)

でもずっと、呼び方の問題は「しっくりきていない」状況が個人的に続いていて、もやもやしたままでいる。もやもやを抱えたまま、とりあえず「外国にルーツを持つ子ども」(あるいは同じ意味で「外国ルーツの子ども」)を使ってる。

(以前、呼び方についてぐだぐだ書いたブログも)http://ikitanaka.hatenablog.com/entry/2016/02/15/124057

「外国にルーツを持つ」が広がり始めてるけど・・・

最近、メディアなどを含めて「外国にルーツを持つ子ども」という表現が使われることが増えてきたように思う。個人的なもやり感はおいといたとして、少なくとも「外国人児童生徒」よりは「外国にルーツを持つ子ども」の方が、よほど好ましい。

けれど、やっぱりこのもやっとした感じを払拭すべきだと思う。

2015年ごろから、ジャーナリストの堀潤さんにいろいろと助けていただいているのだけど、堀さんはおおむねずっと「海外にルーツを持つ」という表現を使ってきた。

たぶんきっと、「外国」という響きが持つ排他的な印象だったり、国という概念に捉われない人も含まれるだろうという配慮からきているのだと思う。

それはすなおに良いな、と思っていたのだけど、すでに「業界」では「外国に・・・」が定着しつつあることもあって、なかなか「海外にルーツを持つ」に切り替えることができなかった。

そして小さく、マニアックな決意を

でも、最近は「国」という枠組みが少しずついろいろな意味で揺らいでいる。身近な例でも、実際に「○国人」とは呼びきれない子どもとの出会いも増えてきた。(二重国籍だったり、両親がそれぞれ異なる国の出身で、日本で出会い、子どもは日本で生まれ育った、など)

だからやはり、ここで「外国にルーツを持つ子ども」という呼び方を、いったんやめてみようと思う。とても小さな、そしてマニアックな決意なのだけれども、2018年度からは、なるべく「海外にルーツを持つ子ども」を使っていこうと決めました。(時には、周囲の状況から「外国」を使うこともあるかもしれないけれど、私個人の発信は「海外」にシフトしていく予定)


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