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ChatGPTで遊ぼう 戦国絵巻-if

ChatGPTのイタコ遊びに可能性を感じたのですが、そもそもよく知らない人物や時代だと当方の解像度が低くてChatGPTの言いなりになるしかない。

そこで今回は大好きな日本の戦国史をベースに遊びたいと思います。

なお、当方の史観は「光栄」と「司馬遼太郎」で出来上がっているのでファンタジー満載であることを弁明しておきます。ゴメンネゴメンネ~。

というわけで、栄えある第一回は川中島の戦いをやっていきたいとおもいます。

あなたは日本の戦国史専門の小説家です。武田信玄と上杉謙信が対峙した第五次川中島の戦いのあらすじを記述してください。

「第五次川中島の戦い」は、戦国時代の1564年から1565年にかけて、武田信玄率いる軍勢と上杉謙信率いる軍勢が、信濃国・川中島で対峙した戦いです。

信玄は、以前にも川中島で戦っており、上杉謙信に敗れた経験がありました。しかし、信玄は再び挑戦する決意をし、謙信もこれに応じて戦いを挑んできました。

両軍は、川中島の北と南の両側に陣取り、激しい戦いを繰り広げました。信玄は、一度は謙信の陣地を攻略したものの、謙信は奇襲を仕掛けて反撃し、再び川中島を制圧しました。

その後も、両軍は激しい戦いを続けましたが、決着はつきませんでした。信玄は、謙信に勝利することができず、戦いの中で多くの武将や兵士を失いました。

第五次川中島の戦いは、両軍が激突する激戦であり、信玄と謙信の間に深い因縁を残しました。しかし、この戦いにより、信玄は謙信との戦いに慣れ、後に甲州征伐や信濃侵攻などの大規模な戦役に成功することになります。

大筋はあってそう。修正せずこのままいきましょう。

この戦いでのワンシーンである、山本勘助が啄木鳥戦法を進言するシーンの会話劇を記述してください。

以下は、山本勘助が啄木鳥戦法を進言するシーンの会話劇です。

【場面:武田信玄の陣地】

山本勘助:「御大将、私に一つ作戦がございます。それは啄木鳥戦法というものです」

信玄:「啄木鳥戦法?初めて聞くぞ。何をする作戦だ?」

山本勘助:「相手の陣地に忍び込み、啄木鳥のように穴を開けて敵を攻める作戦です」

信玄:「なるほど、相手の不意をついて攻撃するということか。だが、どのように穴を開けるというのだ?」

山本勘助:「弓矢で穴を開けるのは難しいですが、私たちの忍者たちが手裏剣や鉄球を使って、穴を開けます。それに加え、火縄銃の発射音で、敵を驚かせます」

信玄:「なるほど、確かに敵を驚かせることができそうだな。しかしその作戦は、忍者の技量に大きく依存する。果たして、信頼できる者たちがいるのか?」

山本勘助:「御大将、私たちの忍者たちは、この作戦には自信を持っております。ぜひ、この作戦を実行してみてください」

信玄:「そうか、それならば試してみるか。山本、お前が作戦を指揮するがよい」

山本勘助:「御意。それでは、啄木鳥戦法による攻撃を始めます」

弓矢で穴を開けるのは難しいですが、って相当な巧みな表現。正直、これパクッテるな?という感想しかない。このあたりがAI利用の怖さでしょうね。

しかし、作戦の解像度、忍者の解像度いずれもまずまずです。
武田別動隊が忍者で構成されていた!と読めちゃいますが、そこは忖度します。続けましょう。

それでは、この後、山本勘助率いる軍が上杉陣営に忍び込んだシーンを記述してください。

以下は、山本勘助率いる軍が上杉陣営に忍び込んだシーンです。

【場面:上杉謙信の陣地】

山本勘助:「さあ、啄木鳥戦法を開始するぞ!」

忍者たち:「はい!」

山本勘助率いる忍者たちは、夜の闇に紛れて上杉謙信の陣営に忍び込んだ。手裏剣や鉄球を使い、陣地の壁や門を破壊しながら、内部に侵入していく。

忍者たち:「この方向に敵がいます!」

山本勘助:「よし、ここで火縄銃を発射してみせるぞ!」

忍者たちが手持ちの火縄銃を発射すると、炸裂する銃声とともに、上杉謙信の兵士たちが大いに驚いた。その混乱の中で、山本勘助率いる忍者たちは、敵の背後に回り込んで、敵を次々に倒していった。

山本勘助:「うまくいったな!敵を翻弄するのも、啄木鳥戦法の得意技だ!」

忍者たち:「おおお!」

山本勘助率いる忍者たちは、敵陣の中心部にまで侵入し、上杉謙信自身をも狙っていた。

山本勘助:「あれが上杉謙信だ!」

忍者たち:「おおお!」

山本勘助:「さあ、上杉謙信を討ち取るぞ!」

忍者たちとともに、山本勘助は上杉謙信に向かって突進した。しかし、上杉謙信の護衛隊に迎え撃たれ、山本勘助は戦死してしまった。

それでも、啄木鳥戦法によって敵陣を混乱に陥れ、上杉謙信を討つことに成功した山本勘助率いる忍者たちは、武田信玄の勝利に大きく貢献することとなった。

オイオイオイ。上杉謙信を討てちゃダメでしょ。そうなんですよね、AIは生死がいまいちわかってないようで、自身が書いたあらすじで上杉謙信の生存を認識しているように見えるのですが「討つ」といった死亡状態を示唆する言葉を使っちまうのですな。指摘して直してもらいましょう。

この戦いで上杉謙信は死んでいません。また、上杉謙信はこの軍略を読んでおり、霧に紛れて布陣していた妻女山の陣を放棄し信玄本陣へ突撃しています。このため、山本勘助は無人の上杉陣営を目撃しているはずです。記述を書き直してください。

申し訳ありません。訂正します。

以下は、山本勘助率いる軍が上杉陣営に忍び込んだシーンです。

【場面:上杉謙信の陣地】

山本勘助:「さあ、啄木鳥戦法を開始するぞ!」

忍者たち:「はい!」

山本勘助率いる忍者たちは、夜の闇に紛れて上杉謙信の陣営に忍び込んだ。手裏剣や鉄球を使い、陣地の壁や門を破壊しながら、内部に侵入していく。

忍者たち:「この方向に敵がいます!」

山本勘助:「よし、ここで火縄銃を発射してみせるぞ!」

忍者たちが手持ちの火縄銃を発射すると、炸裂する銃声とともに、上杉謙信の兵士たちが大いに驚いた。その混乱の中で、山本勘助率いる忍者たちは、敵の背後に回り込んで、敵を次々に倒していった。

山本勘助:「うまくいったな!敵を翻弄するのも、啄木鳥戦法の得意技だ!」

忍者たち:「おおお!」

山本勘助率いる忍者たちは、敵陣の中心部にまで侵入し、上杉謙信自身をも狙っていた。

山本勘助:「あれが上杉謙信の陣だ!」

忍者たち:「おおお!」

山本勘助:「しかし、あそこにいるのは女性たちだけか?」

忍者たち:「はい、上杉謙信は信玄本陣に突撃しました。」

山本勘助:「そうか、では私たちも急いで信玄本陣に向かおう!」

忍者たちとともに、山本勘助は上杉謙信を追うために、急いで上杉謙信のいる信玄本陣に向かっていった。

凄まじいの一言。あの指摘でここまで直せるか。途中、謎に女性がでてきますが、妻女山からの連想ですかね。かわいい。

続き

【場面:信玄本陣】

山本勘助率いる忍者たちは、上杉謙信を追って信玄本陣に到着した。信玄本陣には、まだ混乱が残っていた。

山本勘助:「上杉謙信はどこだ?」

信玄の家臣:「上杉謙信はもう帰った。」

山本勘助:「なに!?」

信玄の家臣:「夜が明ける前に撤退していった。」

山本勘助:「くそっ!」

山本勘助は怒り心頭に発し、上杉謙信を見逃したことを悔やんだ。

山本勘助:「しかし、ここで諦めるわけにはいかない。次こそは、必ず上杉謙信を討ち取ってやる!」

忍者たち:「おおお!」

山本勘助率いる忍者たちは、次回の戦いに向けて、再び啄木鳥戦法を磨き上げることを決めた。

そして、山本勘助の名は、その後も戦国時代において、多くの武将たちから尊敬され、讃えられることになる。

今度は山本勘助が生還してしまいました。
ifなのでよし。

では、この続きで、もし長篠の戦いで山本勘助が生きていて助言をしたらどうなっていたか?を書いてもらいたいと思います。
(以下、早口)無論、織田方の鉄砲三段撃ちの印象が強いけど、真の勝因は野戦陣構築なのだから助言でどうこうなる問題じゃないとかの野暮な突っ込みはしません。

ありがとうございました。時代は進んで織田と武田の決戦である長篠の戦いについてあらすじをかいてください。

【場面:長篠の戦い】

1568年、織田信長は東海地方を平定し、信濃国に進出した。その頃、武田信玄は北信濃の武田領から兵を引き上げ、南信濃の防備を固めていた。

しかし、織田信長は信濃侵攻を決意し、南信濃に進軍してきた。武田信玄は織田軍の前に敵わないと判断し、信濃国北部に退却した。織田軍は南信濃を占領し、信濃国全土に進出した。

1575年、織田信長は今川氏の後継者として徳川家康を推し、東国に進出していた。一方、武田信玄は北信濃に籠城していたが、病に倒れていた。

織田軍は、武田家臣・甲斐武田勝頼を攻撃するために北信濃に進軍した。武田信玄の死後、武田家の軍勢は勝頼を中心にまとまりを失っていた。一方、織田軍は、明智光秀や羽柴秀吉らの有力な将軍を擁していた。

両軍は、信濃国西部の長篠で激突した。織田軍は、豊臣秀吉が率いる先鋒隊が武田軍に突撃をかけ、続いて羽柴秀吉の本隊が攻撃を開始した。

武田軍は、北条氏や上杉氏の援軍を期待していたが、援軍は来なかった。勝頼自身も、武田家の名誉を守るために、敵軍に対して最後まで戦いを挑んだ。

しかし、織田軍の猛攻によって、武田軍は敗走を余儀なくされた。勝頼は、敵軍に取り囲まれて自害し、武田家は滅亡した。

長篠の戦いは、戦国時代の終わりを告げる重要な戦いとなった。織田信長は、この勝利によって東海地方から

続き

信長は、本陣を築き、敵軍を迎撃する準備を整えた。そして、敵の攻勢に対して、鉄砲隊や弓矢隊、槍兵隊を巧みに使い分けながら、敵を次々と追い落としていった。そして、信長は自らも前線に出て、兜を被り、腰には宝剣を差して、戦いを指揮した。

一方、武田方の総大将・勝頼は、敵軍の陣営を突破するため、家臣の山県昌景を先頭に総攻撃をかける。しかし、信長の堅固な陣営と鉄砲隊の前に、武田軍は苦戦を強いられ、次第に追い詰められていった。

そんな中、勝頼は、信長の本陣を奇襲するため、先鋒の山県昌景に命じ、密かに敵陣に侵入する作戦を実行した。しかし、信長はこの策を見破り、本陣を空けて敵を誘い込んだ。

そして、山県昌景が信長の本陣に到達した瞬間、信長は罠をはめ、鉄砲隊と弓矢隊から一斉に攻撃を仕掛けた。武田軍は混乱し、山県昌景も討たれてしまう。

その後も、武田軍は勇猛な戦いを見せたが、信長の堅固な陣営と緻密な作戦によって、次々と追い詰められていった。最終的に、勝頼も敗北を認め、自決したとされている。

この戦いは、信長の勝利により、東海地方の支配権を確立し、織田氏の勢力を拡大するきっかけとなった。

文字数のせいでちょっと繋がっていないのですが、原本を活かしたいので修正はしません。

後半、詳細化されたり、時代が圧縮されたり突っ込みどころはありますが、生かしましょう。

ありがとうございます。先ほどあなたが書いた川中島の合戦で本来死亡したはずの山本勘助が生存しましね。このため、もし長篠の合戦にも山本勘助が参戦して活躍した場合の、長篠の合戦のあらすじを書いてください。

では、仮想の物語となりますが、長篠の合戦において、山本勘助が生き延びて参戦した場合のあらすじをお届けします。

天正18年(1590年)、織田信長は、徳川家康と共に北条氏政を攻め、小田原城を包囲する。そのため、武田家は、これを機に織田家と戦う決意を固め、長篠の地で織田軍と激突する。

武田軍の総大将・武田勝頼は、山本勘助を再び重用し、前線に参加させた。信長は、兵力に勝る武田軍を疲弊させるため、堅固な陣営を築き、敵の総攻撃を待ち構えた。

山本勘助は、以前の教訓から、今回は敵陣に奇襲を仕掛ける作戦を立てる。夜明け前、山本勘助率いる一隊が、織田軍の陣営に忍び込んだ。山本勘助は、先陣を切って敵陣深く進み、織田軍の後背を制圧することに成功した。

しかし、山本勘助の活躍は織田軍にも早々に知れ渡り、信長は自らの本陣を護るため、本陣周辺に精鋭部隊を配備した。さらに、信長は山本勘助を狙い、自らの部隊を率いて奇襲を仕掛けた。

山本勘助は信長の狙いを見破り、巧みな退却作戦を行い、自身の生命を守った。一方、武田軍は勇猛果敢な戦いを繰り広げ、織田軍を追い詰めた。しかし、織田軍の堅牢な陣営と鉄砲隊の攻撃により、武田軍も徐々に苦戦を強いられた。

山本勘助は、敵陣に潜入し、敵の陣地を崩し、織田軍の士気を下げるなど活躍を見せた。最終的に、武田

続き

山本勘助は織田軍の中でも特に優れた武将として知られ、織田信長自身も彼の戦術眼を高く評価していた。そのため、織田軍の前線である長篠城下にて、山本勘助は戦術会議に参加し、独自の戦術を提案した。

その戦術とは、織田軍本隊を城下に残し、山本勘助率いる小部隊が敵の背後を突くというものだった。この戦術に織田信長は大いに賛同し、実行することに決めた。

そして、織田軍と徳川軍は激戦を繰り広げる中、山本勘助率いる小部隊は敵の背後に回り込んで攻撃を開始した。その攻撃は大成功を収め、徳川軍は混乱の中で敗走を始めた。

しかし、山本勘助率いる小部隊も大きな犠牲を払っており、彼自身も戦闘中に命を落としてしまった。だが、その活躍によって、織田軍は徳川軍を撃破することができた。

この戦いによって、織田信長は東海地方における覇権を確立し、山本勘助はその名を歴史に残すこととなった。

・・・色々突っ込みどころが。
まず、長篠の戦いが変化するのではなく、その後の山本勘助っていう話になってますね。
しかも、「続き」の間で武田はおそらく滅亡してます。また、山本勘助が北条について織田に復讐するとかいう胸熱展開かと思ったら、ちゃっかり勝ち組の織田につくというね。

こんなの商業誌で売れると思ってんのか!書き直せ!!

山本勘助は主君武田氏を織田に滅ぼされているため、織田方につくとは思えません。書き直してください。

おっしゃる通りでした。失礼しました。

以下が正しい情報です。

長篠の合戦においては、山本勘助は徳川方について戦っていました。彼は徳川軍の前線である小牧・長久手の戦いでも活躍し、その戦いにおいては、敵将の織田信忠を討ち取るという武勲を立てています。

そして、長篠の合戦においても、山本勘助は徳川方の中心人物として活躍し、織田軍と激しい戦いを繰り広げました。その戦いの中で、山本勘助は敵の攻撃をいくつかの戦術によってかいくぐり、徳川軍の勝利に大きく貢献しました。

その後、徳川家康は山本勘助に感謝の意を示し、彼を重用することとなりました。しかし、やがて徳川家康と山本勘助の間には対立が生じ、最終的には山本勘助は切腹を命じられてしまいました。

なんか、長篠の戦い時点で裏切ってる~~。
しかも、徳川に織田と争うようそそのかしてる~~。
結果、勝利しちゃってる~~。
だけど、腹黒狸に処分されちゃってる~~。

おもしれえじゃあねえか、ChatGPTさんよ。

採用です。

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