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怒り狂うメカニズム

あくまで自分自身のことだが、どうも怒ると怖いらしい。しかも、想像以上に。

誰しも経験はあると思うが、聞き分けの無い人や舐めた態度を取られた際にちょっと強めの口調で注意や指摘をすることがあるだろう。無論、自分も同じだ。しかし、その注意や指摘がかなり威圧的に聞こえるらしいのだ。

昨晩のこと、1歳9ヶ月の息子が物を散らかした為、仕舞うように促したが聞かず、10回程言い聞かせたときに少し強めの口調で「閉まって」と言ったところ、泣きもせずどこかシュンとした顔で仕舞い始めた。これを見たときに「まずい」と感じたその瞬間、妻から「今のはダメ」と言われ、息子をハグした。さすがに母親である。反省したのは言うまでもない。

このエピソードから何が言いたいかと言うと、注意や指摘は自分の心をコントロールしないと威圧的言動に変わることだ。自分の怒り方の一番いけないところは、注意や指摘をするときに「なぜ当たり前のことが出来ないのか?」「常識がないのか?」という心が入っている点である。そもそも当たり前や常識の基準は相手によって大きく変わる。自分本位の「当たり前」で発言すると、言われた側はそのギャップについて行けずに不快感を示したり、落ち込んだりする。自分自身もその経験をされたにも関わらず、誰かに同じ行為をする。まさに愚行である。
自分自身の注意や指摘で息子と同じリアクションをした人たち、振り返ると何人かいた。思い出すだけで誰かの顔が浮かぶということは、もっと多くの人たちへ愚かな言動をしていたことになる。本当に申し訳ないと思う。

昨今の議員らによるパワハラ報道。本人のコメントで「そんなつもりはなかった」「業務上、注意しただけだった」などを見るにつけ、ふざけているのかと言いたくなる気持ちにもなろうが、本人たちは恐らく大真面目に言っていると自分自身は感じる。同時にこれらの議員らは真剣に仕事しているからこそ、自分の軸に反している言動に対して怒りを禁じ得ないのだ。要は視野が狭いのである。

頑張り過ぎる必要はない。自戒を込めて。

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