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生命(いのち)のトータルデザイン

海水を汲(く)み、そこに釣った魚を入れても、すぐ酸欠になって死ぬ。汲み置きの瓶(かめ)の水は淀(よど)んで腐ってしまう。つまり海に棲(す)む魚も、瓶の水も酸素が無いと、死んでしまう。また人は二、三日水が飲め無いと簡単に死ぬ。こうして生きるには、水と空気が不可欠と解(わか)る。それで人間の人体においての水と空気とは、酸素と血液で、これが滞(とどこお)ると病気になる。家や部屋、そこに有る家具に風通しが悪いと運気が下がってしまう。それはカビ臭さで表現されたりする。山や森に水と空気が循環しないと、木々は立ち枯れし、山火事が起きやすくなる。よく大量の魚が酸欠で死んだりする。だから海も川も生きていくには酸素がいる。体中に酸素と血液を循環させるためには、運動するのがよい。地球だって自転や公転することで運動不足を解消している。呼吸と鼓動、つまり酸素と血液、すなわち空気と水で、人も山や森も、海も川も生きている。気が病むと病気になるが、この病むとは止むで、循環の停滞とか停止、そこに酸素や血液が行かないからである。気とは空気の気であり、同時に気持ちの気でもある。水や空気、水素と酸素はここで「気」という目に見えない何かに変換され、旧来の科学はギブアップとなる。大体ウイルスだって直径1万分の1ミリとか普通肉眼では見えない。紫外線だって人間の目には見えない。従来人々の信じていた科学はもう限界に来ている。まして量子コンピューターとか五感で捉え難い世界になっていく。「気」が気づきの気だとすると、気持ちや気づきや病気の大本(おおもと)とは一体何なのか。それを仮に「生命の煌(きらめ)き」と呼ぶことにして、続きは次回に委(ゆだ)ねたい。

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