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三島由紀夫の死生観

三島由紀夫はこう言った。「人間は自分の為に生きて自分の為に死ぬほど強くは無い。」

日本は戦争に負けて、一旦「日本という国家は滅亡」したわけです。この時インテリたちは、さあ新しい知的日本を再建するぞと敗戦を喜んだ。

だが三島はそれを訝(いぶか)しがった。
「日本の精神的再建とは一体何なのか?」

戦場で戦死せず、病院のベッドで或いは畳の上で息を引き取るのは、英雄の死では無いし、ドラマチックな死でも無い。

それは本当に「生を全うした」と言えるのだろうか?死と隣り合わせにあるから、生は充実しうるのでは無いか?

江戸中期の葉隠は、「武士道とは死ぬことと見つけたり」と言った。なのに病院のベッドで死ぬなんて一体どうなってんだ?

生か死かの二者択一で死を選ばない奴は武士じゃ無い。

三島由紀夫は自分を武士たらんとした。町人や農民の死生観では無かった。

日本は戦争に敗けたことで、自虐史観を植え付けられ、戦後は敗北史観だけで生きて来た。

三島の「日本の精神的再建とは一体何なのか?」という問いにインテリたちは答える気はサラサラ無くて、グローバリストたちにその魂を売り渡した。

三島は享年45歳と長生きしなかったので、「日本精神の再建」には「縄文以前にまで」遡(さかのぼ)らねばならないといった悠長な考えは生じ無かった。

つまり戦前と戦後を駆け足ですり抜けて行った。

去年の米国の自殺者は約4万9000人、「米国と言う戦場」で生き抜くのも至難の業です。



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