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運命の服に会いに

わたしの今のコンセプトのイメージのもとになった服がある。
わたしは運命の服、と呼んでいる。
それはとあるブランドの、数年前のシーズンの服である。

今日はその服の話。




穏やかさか、それとも


その、運命の服をはじめて見たのは2月のはじめ、その時に自分の老後の姿を鮮明に思い浮かべた< のは前々回の記事に書いた通りである。


その服が、とある中古販売店のオンラインショップにあるのは知っていた。というのもその服を見たその日にいつのものか調べるのに画像検索をしていたら検索に引っかかったからである。
そしてその中古販売店はありがたいことに取り寄せができた。つまり試着もできる。

そのことがずっと頭の隅にひっかかっていた。その頃のわたしは、まだ以前に決めたコンセプトにしがみついていた。あれだけ強烈なイメージ(理想のクソBBA像)が脳裏に浮かんだとはいえ、それまでに考えたコンセプトをひっくり返すのが怖かった。

わたしは元々感情的になりやすいほうである。そして自分のそういうところが嫌いだった。だから以前に決めた穏やかなコンセプトに執着し、そう見える服装にもまた執着していた。
脳裏に浮かんだ姿に憧れもしたが、同時にこの感情的な性分を助長するのではないかと一時その憧れごと蓋をしようとしていたのだ。

何度も自問自答してようやく、その憧れを選んだ。よく考えて好きを突き詰めた時、優しそうに見えることよりも自分に自信を持ってその服を着たいと思った。
元々の自分は穏やかに見えることよりも、舐められないことを好み、自分の独特の雰囲気を持つことに憧れ、なにより自分に自信を持っていたかった。

そうして、ようやくわたしは取り寄せボタンを押した。



怖がり



でもようやくその服に袖を通せるかもしれない、となってから今度は別の恐れを感じるようになった。
もし実際に袖を通してみて、それでわたしに似合わなかったら?その時わたしの抱いたあのイメージごと崩れてしまったら?

刻一刻と試着に行く日が近づいてくる。
他にも思うところが色々とあって、わたしはnoteのアカウントを削除した。



鎧とおかえり



結論から言えば、前々回の記事でも触れたけれどわたしはnoteのアカウントを作り直して戻ってきた。わたしの自問自答にはnoteが必要だったのである。

そして、試着にも行ってきた。恐る恐る。
服を目の前にして最初に感じたのは恐れだった。

袖を通して「これは鎧だ」と感じた。
鏡にうつる自分の姿、それも服でも全体でもなく顔をしばらく見ていた。これが「なるべきわたしの姿」だと思った。
とは言え、試着室から出て少し冷静になると値段のことを考えて尻込みしそうになった。
店内をぐるぐるぐるぐる、自問自答した末に出した結論は買うだった。
とはいえレジで金額を読み上げられた際は心臓が跳ね上がった。
「何を恐れることがある、くそったれ」
バクバクうるさい心臓に、心の中でそう言い返す。

会計のあとその服に着替えて、店を後にした。
夫は「いいね」と笑った。



おかえり自分


彼は今までだったら絶対に選ばない色だから新鮮だと言った。そのうち嫌でも見慣れるよと言い返すとまた笑っていた。

この運命の服を着て過ごすにあたって、夫とふたつ約束をした。
ひとつはカレーを食べる時に着用しないこと。
もうひとつはトマトソースパスタを作る時と食べる時に着用しないこと(先日これにより夫は服を駄目にしかけたのだ)。
彼なりの大切に長く着てね、というメッセージなのだと思っている。

いつかこの約束を忘れてきっとシミをつけてしまう。焦ってクリーニング屋に駆け込む日が来る。そのうち穴が開いて洋服のリフォーム屋の扉を叩くこともあると思う。毛玉だってできるだろう。
それでも大切に、大切にしていきたいとはじめて服に対して思った。



さいごに


わたしの大好きな映画のひとつにオンリー・ラヴァーズ・レフト・アライブと吸血鬼の話がある。

この映画を最近ひとりの時間によく見返している。いつも流し見しようと思うのだが引き込まれてしまい他のことはできずに終わる。

今日も思わず引き込まれて見ていたのだが、
「そのコートも4世紀着てる」
「1586年に贈られて以来のお気に入りだ」
といった会話や
(ギブソンの作られた年代を当てるシーンで)
「1905年製よ」
「思ったより古い」
「あなたのこのガウンはさらに1世紀ほど古いけど」
という会話があって、そういえばこの会話毎回好きなんだよなあと思った。
物持ちの良さに憧れがあったらしい。

もしかしたらずっと、長く愛せる物を求めていたのかもなあ、と運命の服を眺めながら思った。


さいごのさいごに


先ほどの映画の好きなシーンで、自殺を考える夫に妻が
「そんなに長く生きていてどうしてわからないの?自分の心に囚われるのは生きる時間の無駄遣いよ」
「困難を乗り越え、自然を味わい、他者を思いやり、友情を育む。それにダンスも」
「愛情には恵まれているんだから、私がいうのも何だけど」
と言ってダンスするシーンがある。
いつもそのシーンの度に反省してしまうのだが、今日はダンスしてみるか、と思った。

これがいい兆候なのかはわからないが少しずつわたしの中で何かが変わってきている。
自問自答ファッションに出会っていなければなかった変化だと思うのでなんだか嬉しい。



補足

こちらのつぶやきにも書きましたが、Alexander McQueenのニットがわたしの運命の服です。
本文中で明言していなかったことに特に意味はないのですが、書いている時はふんわりぼかしたかった。そういう気分だった。
でも読み返して不親切だな、と反省したので補足としてここに。

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