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【あとはあなたがゆびで押すだけです】


 自殺なんかじゃない、殺されたんですよ。

 依頼人の孫奈(そんな)真坂(まさか)の怒りに満ちた声を聞き、この案件はがっぽり金を毟り取れるな、と判断し、二つ返事でその事件を請け負った。

 興信所を営みはじめて十年が経つ。これまでにも厄介な依頼は舞いこんだが、殺人事件の調査は今回がはじめてのことだった。

 否、殺人事件であるとはまだ決まっていない。

 依頼人の話によれば、歳の離れた姉が先月遺体で見つかった。場所はひと気のない森のなかで、ロープで首を吊った状態で発見されたそうだ。状況からして自殺と判断されたようだが、依頼人は納得しなかった。

「姉は裁判中でした。勤め先の大手医療機器メーカーと病院を相手取って、医療ミスの告発をしていたんです。病院側も医療ミスを認めていて、メーカーのほうも、賠償金を払うことに同意すると意思表示してきた矢先のことでした」

「だからといって殺されたと言うのはあまりに短絡なのでは」

 ざっと調べたデータによれば、いくども示談を提示されておきながら、依頼人の姉はそれをつっぱね、過去の事例からすると法外としか思えない金額を要求していた。むしろ、その金額を受け入れる姿勢をメーカーや病院側が示したほうに違和感を覚えるほどだ。「医療ミスで亡くなったのは、あなたのお姉さんの息子さんだったとか」

「ええ甥です。姉の受けたこころの傷はいかほどだったのかと、想像するだに、胸が痛みます。甥っこは最新のナノマシン療法を受けていたのですが、どうやら製品に問題があったようで」

「因果関係はハッキリしているんですかね。いえ、ハッキリしているからこそ、裁判はあなたのお姉さんに有利に進んだのでしょうが」

「メーカーは商品の欠陥を認めています。病院側も不良品を掴まされていたとはいえ、治療のリスクを充分に説明していなかったことで被告に」

「なるほど。息子さんを亡くされたのだから相当に精神的にまいっていたことでしょう。法外な賠償金も、これは報復と見做したほうが正しいのかもしれませんな。とはいえ、勝つ気がある訴訟とは思えませんな」

 よく弁護士が見つかりましたね、と言うと、やはり散々断られたらしい、と依頼人はようやく頬を緩ませた。むかしを懐かしむような、遠くを見る眼差しだったが、それからすぐに表情を引き締め、

「人選には失敗したかもしれませんが」と意図の掴みかねる言葉を漏らす。

「それはそうと、お姉さんは訴えたメーカーにお勤めだったとか」

「ええ」

「何か社内で不正やらハラスメントやらを見聞きして、ヤキモキしていた、なんて話はお聞きになったりは」

「いえ、姉とは年に数回会うか、会わないかくらいでしたので」

「ちなみにお姉さんの旦那さんは」

「他界しています。甥が生まれたときにはもう」

「では、自殺ではない、と言いきれるほどふだんからお姉さんのお姿を見ていた方はいらっしゃらないわけですね」

「それはそうなのですが、でも」

「ええ、ええ、言いたい旨は理解できます。大金が手に入る前に不可解な死を遂げている以上、これは何かしら事件性を帯びていると、その可能性を考えずにはいられんでしょう。言い方を変えれば、お姉さんが自殺だとすると、なぜこんな大事な時期に死んでしまったのかの理解に苦しむことになる、だから納得できる理由を探したい。あなたの依頼はつまりそういうことなのでしょう」

 依頼人は座ったまま地団太を踏み、私は、と声を張りあげる。「真実を解明してほしいとお願いしているのです」

「真実など何も解かりはしませんな。真実などないと解かること以外にはね」

「真実がないのなら、その理屈もまた真実ではないことになる。矛盾であり、詭弁ですよ」

「いかにも。この世は詭弁であり、矛盾で満ちている。同時に、矛盾のあるところにしか真実は姿を現さんのですな」ぱし、と膝を叩く。「よろしい。まずはお姉さんの裁判を請け負った弁護士さんから話を聞いてみましょうか」

「買収されている可能性もあるかもしれません、気をつけてください」

「メーカー側にということですか?」

「姉の古い友人と聞いていましたが、会ってみたらどうも胡散臭くて。信用できないというか」

 人選に失敗した、とはそのことか、と合点がいく。

「なくはない話ですな。人ひとり殺してしまうくらいの組織ならばたしかに弁護士の一人や二人、買収するくらいわけないでしょうな。ただ、そういった背景があるのならばそれはそれで、こちらに有利に働くのも確かです。金の流れほど追いやすいものはないですからな。まあ、会えば判るでしょう、こちらもプロですから」

 件の弁護士には会った瞬間、クロだな、と判断ついた。亡くなった女性の話をしたところ、見るからに狼狽えた。うしろめたい何かがあるのだろう。動揺を隠そうとする素振りがないのは、女性の死にすくなからず責任があると思っている裏返しでもあり、消極的クロといったところか、と推量する。

 ひとしきりこちらの事情を話したあとで、単刀直入に切りだした。「何か弱みを握られていますね」

 弁護士は否定も肯定もしなかった。ただ黙ったまま、顔面を蒼白にするばかりだ。

 聞きだすのは無理そうだな。

 判断を逞しくし、礼を述べ、その場を辞そうと腰をあげたところで、

「彼女は言ってたんです」

 弁護士のつぶやきに襟足を掴まれる。その声はどこか、コーヒーのドリップの最後の一滴がぽつんと落ちてくるのに似た響きを伴っていた。

 彼は薬指にはめた指輪をしきりにいじっている。結婚しているのだろうか。前以って調べておいた彼の来歴をあたまのなかで展開するが、未婚だったはずだ、と引っかかりを覚える。が、恋人の一人や二人くらいはいるだろう、と思い直し、椅子には座り直さず、立ったままで首を傾げる。なにを、と問うたつもりだ。亡くなった依頼人の姉は生前、何を言っていたのか、と。

 伝わったのか、そうでないのか、弁護士は述懐した。

「裁判の勝敗には興味がないのだと。勝っても負けてもどっちだっていい。彼女はそう言っていました」

「どうでもいい? 裁判がですか。それはいつの話ですかな」

「つねづねです」

 勝っても負けてもどっちだっていい。

 弁護士はうつろな目で、やはり指輪をいじりながら、繰りかえした。

 ろくな話を聞けるとは思っていなかった。収穫はゼロに等しいが、収穫がなかったこともまた一つの判断材料になる。

 直接メーカーに乗りこむべくアポを取ったが、門前払いを喰らった。これは想定の範囲内だ。興信所を名乗る人間を社内に入れる企業はない。スパイと知って受け入れる公的機関がないのといっしょだ。

 依頼人の姉の同僚をあたり、すこしずつ情報を集めていくにつれて、なぜ依頼人が、姉の死が自殺ではない、と言い張っていたのかが徐々に解かるようになってきた。

 彼女はふだんから慎ましく、自己主張こそしない性分だったが、ここぞというときは、上司だろうと役員だろうと、構わず意見したそうだ。そのせいで社内では部署をたらいましにされていたようだが、彼女の人柄ともいうべきか、どの部署でも同僚からの評判はよく、また他部署との連携窓口として、しぜんと相談事を持ちかける機会が多かった様子だ。

 息子の死に自社メーカーの過失を発見できたのも、そうした彼女の辿ってきた人生があってこそだったと分析できる。

 だが、行き過ぎた正義感のせいで死んでしまっては元も子もない。

 賠償金が法外だったのも、こうして調べてみると、たしかに大金欲しさという感じではない。

 復讐だったのだろうか。

 それほど短絡的とも思えないが、最愛の息子を亡くした母親の心中を察しろというのも、無理がある。だったらまだ、狂人の気持ちのほうが理解しやすい。

 依頼を受けてからまたたく間に半年が経過した。

 状況証拠からして医療機器メーカーに殺されたと判断したいところだが、依頼人が欲しているのは物的証拠だ。揺るぎない真実によって、姉は自殺ではなく、殺されたのだ、と証明してほしがっている。

 幾度か調査報告書を提出した。いずれも依頼人は満足を示さなかった。しかし依頼を打ち切ることはなく、調査は続行してほしいと指示を受けた。当初の目論見どおり、金づるとしては申し分ない。

 こちらもプロだ。もらった報酬分は仕事をしてやろう、という気にもなる。

 いっぽうで、予想外のことがなかったわけではない。原告が死去したあとでも、医療機器メーカーと病院側は、独自にほかの被害者と思しき医療ミス患者への謝罪と賠償を確約した。

 すわ集団訴訟かと世間は、大手企業と病院側の凋落する未来を期待していたようだが、意外にも被告側が誠意ある態度を示しはじめたので、肩透かしを食らっている様子だ。ネットに限らず、マスメディアは、もはや火に油をそそぐような報道を控え、続報のみを申しわけていどに流している。事件発覚当時の、地獄の果てまで追求してやる、といった姿勢はもはや窺えない。

 ほかの医療ミス被害者たちはおとなしくと言ったら語弊があるかもしれないが、医療機器メーカーと病院からの謝罪と賠償を拒むことなく、受け入れる声明をだしている。ひょっとしたら、そうした声明をだすことが、示談の条件にあったのかもしれない。

 そういう意味では、医療機器メーカーと病院側の対応は冷静で、至極道理に適っていたと評価できる。裏から言えば、そうした小手先の術に翻弄されず、あべこべにおまえたちを地獄に突き落としてやるとばかりに抵抗しつづける女は、目のうえのたんこぶどころの話ではなかっただろう。それこそ、この世から葬り去りたいほどに邪魔に思っていたとして、ふしぎではない。

 殺害の動機は充分だ。

 証拠さえ掴めれば、依頼人からだけでなく、メーカーや病院側からも稼がせてもらえそうだ。

 この世は、弱みを握った者がルールをつくり、相手に強いることができる。戦争がなくならない理由だ。策略がモノを言う背景でもある。

 もし相手に弱みがないのならつくってしまえばいい、とまでくると、これはさすがに行き過ぎであり、身の破滅を呼ぶはめになるだろう。

 と、ここまで考え、おや、と思う。

 何かが引っかかるが、その何かが解からない。

 そうこうしているうちに、依頼人から緊急の連絡が入った。

「調査は難航しておりまして、いましばらくかかりそうで」

 すみませんね、とアルコールを摂取しながら前以って挟むこちらの釈明を遮り、依頼人は、

「聞いてないんですか、さっき連絡があって」

 捲し立てる内容を咀嚼するにかぎり、どうやら件の弁護士が自殺したらしい、との話だった。死に方は、依頼人の姉とまったく同じ、林のなかでロープで首を吊っていたそうだ。

「警察はなんと?」

「事件性はないそうです」依頼人の声は怒りに震えていた。「しょせん、権力が物を言うんですよ。そういうクソッタレな世のなかなんですよ。あなただってそうなんじゃないんですか。金のため、金のためって、どいつもこいつも、じぶんのことしか考えていない。姉はそんなあなたちの無責任な傍観に殺されたんですよ」

 違いますか、としゃっくりを挟み挟みわめく依頼人は、限界にちかかった。資金繰りに困窮し、私生活は崩壊寸前、もはや自己破産も時間の問題だ。彼は姉の遺志を受け継ぎ、頑なに、メーカーや病院からの賠償金の受け取りを拒んでいた。そんな彼に、金づるとしての価値はない。

 潮時か。

「違くはないでしょう」そのとおりですよ、と認めてみせる。「たしかにあなたのお姉さんはワタクシどもの無責任な傍観とやらに殺されたのでしょう。否定はしません。ハッキリ言ってしまえば、このさきどんなに探し回っても、あなたのお姉さんが殺された証拠はでてこないでしょう。もちろん、弁護士さんのほうでも同じだ。そんなヘマを犯すような相手ではないんですよ。あなたが挑もうとしているのは、そうした神のような相手です」

「泣き寝入りしろと、忘れろと、こんな理不尽を受け入れろとあなたは言うんですか」

「そうですよ。生きるというのは、理不尽を受け入れつづけ、忘れつづけ、泣き寝入りし、そしてじぶんもほかの大多数と同じように、無責任に日々を過ごしていくことなのです。あなたがしようとしているのは、そうした大多数の日々にヒビを入れるような、それこそあなた自身が理不尽の権化になるようなものです」

「だったらあなたはいったい何のために」

「労力と費やした時間分の対価はちょうだいしますが、いただいた報酬は半額、そのままお返しいたしましょう。お姉さんが殺されたという物的証拠をあげることはワタクシには不可能です、そんなことは初めから判っていましたよ」

「騙したんですか」

「いえいえ。状況からして、死人に口なしを地で描く事件のようでしたのでね。それこそ、死んだ者にしか、なぜ死んだのかは分からないでしょう」

「姉に訊けとでも?」かれの口調からは殺意の波動が感じられた。

「お姉さんには無理でしょう。しかし、弁護士さんは違う」

 電波の向こうで、一泊の静寂があく。

「二点ほど確認させてほしいのですがよろしいですか」返事を俟たずに続ける。「あなたはさきほど、弁護士さんの死を伝える連絡がご自身にあったとおっしゃった。ワタクシにはなかったのか、と訊きましたが、あれは警察から、という意味にしては文脈がおかしいですな。ワタクシが弁護士さんと接触しているのを知っているのは、いまのところあなただけだ。警察がワタクシに連絡をしてくるころには、ワタクシのほうでさきに情報を仕入れる時間的猶予があるはずです。ということは、あなたに連絡をしてきたのは警察ではない、ということになる。ここまで異論はありますか」

「連絡は」

「弁護士さんからだったのでしょう。自殺します、とでもテキストで送られてきたのではありませんか」

「どうしてそれを」

「仮定の話として、弁護士さんもまた強大な権力を持ったナニモノカに殺されたとしましょう。あなたのお姉さんのときにはいらぬ嫌疑を世間に与えてしまった。同じ轍を踏まぬように、こんどは明確に自殺として印象付けねばならない。とすれば、遺言状やら何やら、小細工くらいは弄するでしょう」

「だとしたらますます証拠なんか」

「いえいえ。きっとでてきますよ。それこそ、あなたの元に送られてくるとワタクシは睨んでおるんですがね」

「送られて? 何のことですか、さっきから話がさっぱり」

「視えませんか。まあそうでしょう。その前に、質問の二つ目です。あなたのお姉さんに恋人はいらっしゃいましたかね」

「旦那ということですか。病気ですでに他界していて。あなただってご存じでしょう」

「いえ、恋人ですよ。最愛の息子がいるからといって、母親が恋人をつくってはいけない、なんて法律はないわけで」

「そりゃいたかもしれませんが、とくには」

「聞いていませんでしたか。ちなみに、なぜあなたのお姉さんはあの弁護士さんを選んだのでしょう」

「ですから、古い友人だったと」

「それだけともどうも思えませんな。考えてもみてください、いったい誰があなたのお姉さんの弁護を引き受けますか。あの法外な賠償金を、過失を認めているメーカーにふっかけるなんて、ふつうの神経ではありませんよ。端から勝つ気がないとしか思えない。そんな裁判の弁護を誰が引き受けるでしょうか。むしろこう考えてみてください。あなたのお姉さんは、ほかの誰にも弁護を任せる気はなかったのだと。勝つ気もなければ、優秀な弁護士も探していなかった。なぜなら、彼女は端から、彼と繋がっていたからです。いいや、裁判を起こす案も、何なら法外な賠償金をふっかける案も、彼の考えかもしれません」

「あのひとが姉の恋人だったと? でもけっきょく彼まで殺されてしまった、そのくせあなたは何もしてくれない、つぎはぼくが権力に消されてしまうかもしれないんですよ、なぜそんなに冷静なんですか」

 しょせん他人事なんでしょう。

 念入りに研いだ包丁で刺すような響きに、声もなく陽気が漏れる。

「他人事ですよ。何もかも他人事です。あなたですら例外ではありませんよ。当事者はもうすでに亡くなっています。それはあなたの甥っ子であり、姉であり、その恋人の弁護士まで、みなまとめて巨大な組織に殺された」

「どうすることもできずに、忘れて過ごせと、あなたは飽くまでそう言うのですね」

「いえいえ。証拠さえあればいくらでも、現状を引っくり返せるでしょう。それこそ、あなたのお姉さんと弁護士さんの思惑通りにね」

「思惑?」

「そもそも初めから引っかかってはいたんですよ。なぜ医療機器メーカーや病院がああも簡単にミスを認め、裁判でも全面的に非を認めていたのかと。あなたのお姉さんが法外な賠償金を請求しなければもっと簡単に裁判は終わっていたでしょう。あなたのお姉さんはむしろ裁判を終わらせまいとしていたように感じていましたが、これは半分は当たっていたと見做してよさそうですな」

「言っている意味がいまいちよくわからないのですが」

「つまり、お姉さんの目的は賠償金ではなく、もっとほかにあったということです」

「復讐という意味ですか」

「そうでもあり、そうではありません。おそらくあなたのお姉さんは、医療機器メーカーに勤めているあいだに、組織の体質的なものを見抜いていた。これは息子さんが亡くなってから調べたことでわかったことかもしれませんし、元から知っていた可能性もあります。いずれにせよ【医療ミスは起きて当然だったのだ】と彼女は知っていたのです。もちろんメーカー側や病院側も充分承知していたはずでしょう」

「医療機器――ナノマシンに欠陥があったことを承知で、患者の治療に利用していたということですか」

「ええ。そして医療ミスが発覚する確率は極めて低く、仮に発覚したところで、そのときには莫大な利益をあげていますから、少々のマイナスくらいは織り込み済みだったということです。本来ならば、市場に流していい商品ではなかった。しかしデータなどいくらでも改ざんできます。知らないことは避けようがない。起きたならば改善をすればよい。一時的に市場への導入はストップするでしょうが、改良しただのなんだの言ってすぐにまた使われはじめるでしょう。なにせ、すでに世のなかはナノマシン療法の効果を知ってしまっていますからね。経済効果もバカにならない。いまさら【なかったこと】にはできないんですな」

「ですが、そんな、貧乏クジを引かされる者のやり場のない怒りはどうすればいいんですか。大勢の利益のために死を受け入れろと、黙って死ねと、そういうことですか」

「だからこそ、あなたのお姉さんは法外な賠償金を吹っかけ、世にアピールしたのですよ。裁判を長引かせ、敢えて話題が盛り上がるように演出した。金の亡者だなんだと悪しざまに言われようと、そのさきに描いた結末へと辿り着くように。恋人の弁護士と共謀しながらね」

「ですがあの弁護士は姉を裏切り、メーカーに買収されていたと、あなたの報告書にはそう書かれていたではありませんか」

「買収をした事実があったならば、それは何よりの証拠でしょう。あなたのお姉さんは殺されるかもしれないことすら承知していた。おそらく何度も脅迫まがいのことはされつづけていたはずです。それすら彼女は自身の計画に利用することを思いついた」

 依頼人が息を呑む。その音が、嵐のまえの静けさのような、台風の目に突入していっときの晴れ間が覗いたような、緊張感を伴った静寂を呼び起こす。

 姉は、とおそるおそるふたたび風がつよくなる。

「わざと殺されたと、そう言いたいんですか」

「お姉さんだけではありません。弁護士さんも、わざと殺されたのでしょう。そして殺される場面か、それに類する証拠が第三者へと渡るように細工をしていた。いまごろあなたがアクセス可能なデータバンク上にでも、大量のデータが届いているはずです。一連の事件の顛末から、お姉さんの立てた計画について、そして誰がじぶんたちを殺したのか、証拠映像ごと、転送されるように仕組んでいたはずです」

 もちろんワタクシの推測にすぎませんがね。

「姉は命がけの罠を張っていた。探偵さんの結論はそういうことですか」

「あなたのお姉さんは、命を賭して、メーカーの不正を暴こうとしていた。裁判の勝ち負けなどどうだってよかったんですよ、初めからね」

 奇しくもそれはいまは亡き弁護士が言い残していたことでもある。

「メーカーの悪事は、ミスが発覚したときの損失が、収益よりも遥かに下回ることが前提にある。もし裁判を起こされたときに、法外な慰謝料を払うハメになれば、同じような悪事はもう働けない。資本主義の暴走が一連の背景の根幹にあるためです。儲からないことはしない。企業の行動原理とは単純ですからな」

「ぼくはこれからどうすればいいんでしょう」

「証拠がなければどうすることもできないでしょうな。せめてメーカーから賠償金だけでも受け取って、すこしでも損をさせるのが最善です」

 ただし、と強調する。「もしあなたのもとに証拠となるデータが届いたのなら話はべつですがね」

「法外な慰謝料を、正当な慰謝料とすること――ぼくのすべきことはそれですか」

「あなたがメーカーをさいど訴えた場合、そのときは殺人罪を視野に入れた刑事裁判にもなるでしょうから、メーカー側は壊滅的な痛手を被ることになるでしょうな。それこそ、二度とこんな真似が起きないような、ズルをする考えもなくすような痛手を負うことでしょう」

「だといいのですが」

「いえ、どうでしょうかね。じっさいには、もっと巧妙なズルを思いつき、利益をあげるために悪事を働きつづけるのかもしれません。ただ、すくなくとも、あなたのお姉さんのしようとしていたことは無駄にはならないでしょう」

「勝っても負けてもどっちだっていい。姉はそう言っていたんですよね」

「言い方はわるいですが、彼女が目のまえの理不尽に立ち向かおうと決めたそのときからすでに、彼女は呪いを唱え終えていた。端からメーカー側に成す術はなかったのですな。どう対処したところで、あなたのお姉さんは呪いを達成する。彼女は自身の命と引き換えに、運命そのものになったのです」

「ではぼくは、その遺志を受け継がなければなりませんね」

「ええ。あなたのお姉さんはまだ呪いを成就させてはいませんから」

「探偵さん。もしぼくが自殺するようなことがあったらそのときは」

「報酬分は働きましょう。ワタクシはけっきょく証拠を掴めなかったわけですからね。すべてはあなたのお姉さんとその恋人、亡くなった弁護士さんの手柄です」

 終わらせましょう、と口にする。

「ドミノはすべて並び終わっています。あとはあなたがゆびで押すだけです」

 依頼人の鼻のすする音が、電波の向こう側からむなしく響いて聞こえている。

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掲載元:カクヨム【零こんま。124話
電子書籍:短編集【千物語(桃)

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郁菱 万

いくびし まん です。 小説を載せていきます。 過去作はこちらになります→https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex

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