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【あちき、なつみ!】

 なつみは思った。

 い、いけるかも。

 淡い期待が泡と消えないよう、緩んだ気を引き締め直す。まだこの世界で目覚めて三十分も経っていないのに、となつみは短い記憶を振りかえる。

 きのうはベッドに入ってそのまま寝たはずだ。空気の流れが身体をくすぐり、夢でも見ているのかな、と目をぱちくりしたときにはもう、目のまえに荒涼とした野原が広がっていた。

 なだらかな丘がデコボコと波打ち、一種、サハラ砂漠に似た印象がある。異様なのは、それを埋め尽くす野獣の群れだ。否、野獣は総じて二足歩行しており、頭からは角を生やしている。鬼というよりもそれはどちらかと言えば、ヤギの角じみている。

 目覚めたその瞬間からすでに囲まれていた。軍勢だ。うしろを向いても同じような風景が、恐怖を引き連れ、広がっている。

 野獣どもはただ静かに距離を詰めてくるばかりだ。唸り声の一つでもあげてくれれば、こちらも泣きだす準備はいくらでも整っているというのに、淡々と、それでいて歩行を揃えずに、ぞろぞろと土の色を野獣色に染めあげていく。

 刻一刻と近づく危機になつみは思わず、ふだんの癖で、ポケットからメディア端末を取りだし、構えている。レンズを向ける。

「めっちゃバズるなこれ」

 試しに一枚撮ってみると、地平線の向こう側まで蠢く野獣たちの姿がフレームに一挙におさまった。最新型の端末に買い替えたばかりだ。画質は言うことない。津波がごとく押し寄せる野獣たちの一匹一匹まで、画像を拡大することなく鮮明に映っている。

 さすがいいカメラつこてるわぁ。

 技術力の高さに思わず端末を、いいこいいこ、する。

 目覚めたときから鼓膜を満たしていた耳鳴りが、どうやら野獣たちの足音だと気づいたとき、なつみの頭上を黒い影が覆った。

 天を仰ぐ。

 背後に、最初の一匹が到達していた。

 やっば。

 あちし、死ぬかも。

 使ったことのない一人称でなつみは死を悟った。

 もうだめだぁ。

 こんなことならきのう冷蔵庫に仕舞った食べかけのプリン食べておけばよかった。老舗ランオウの新作だったのに。

 まだ着てない服だっていっぱいあるのに、こんなんだったらもっと遊んでればよかった。

 先月、無事千秋楽を終えた舞台は、初めての主演で、しかも一人二役の大役だった。脚本はあの大ヒットアニメ映画の磯部(いそべ)ヤキ監督が手がけ、舞台監督は歌舞伎の人間国宝こと千代目石川五右衛門、演出家はなんとアカベコー賞そのものを手掛けた世界的プロデューサーのオレニ・マッカーセ・テロだった。

 死んでもいい。そう思いながらあの日、カーテンコールに立ち、時代の寵児たちと肩を並べた。

 そしていま、なつみは死にたくなーい、と半分ブチ切れながら、こんな最期じゃ死にきれないよー、と勃然と立ちあがった。拳をぎゅうと握り、チワワと名高いつぶらなひとみを、きゅっと鋭くうるおわせ、

「あに見てんだよー。泣いちゃうだろー」

 買ったばかりのブーツ、それは厚底のくせして履き心地抜群で、あまりにうれしかったので昨夜履いたままベッドに潜りこみ、こうして目覚めたいまも足にフィットしつづけている――そんな厚底のブーツで、身の丈おおよそミノタウロスとどっこいどっこいの野獣の、くそでけぇナリのわりにか細い足首を、これでもかとなつみは蹴りあげた。

 これでも空手を習っていた。瓦の一枚や二枚、割ることだってできる。うえに乗りジャンプすれば。幼稚園児でもたぶんできる。

 するとどうだ。一撃、二撃、三撃目の蹴りをいれたところで、なんとその場にうずくまるではないか。

 コイツ……!

 めっちゃカテェ……!

 なつみのほうがダメだった。

 おニューの厚底ブーツであっても、身の丈ミノタウロスの野獣には歯が立たない。

 せめてフライパンがあれば。なつみは奥歯を噛みしめる。お腹がグーと鳴る。

 ホットケーキ食べたい。

 寝る二時間前には何も食べない健康児として定評のあるなつみだ。ぜっさん、腹の虫が、オイラはらぺこだぜ、と舌をちょいとだして、ウインクしている。こういう絵柄のTシャツはダサかわいくて、一枚あったら寝間着にしたい。誰にも見せない。だってダサいから。

 そんなことを考えているあいだに、最初に撮っていた画像を無意識のうちにSNS上に投稿していた。すごいぞなつみ。反響がある。通知は切っていたはずだが、そんなの知るか、と世のフォロワーたちがこぞってなつみのあげた画像に、ひゅーひゅー、それいいね! と絶賛の嵐を送っている。この「嵐」は、肖像権にうるさい例の事務所とは関係がないので、切り取らなくてOKです!

「おまえこれ見ろ」なつみは野獣につきつける。「どうだ。これでもあちきを食べるのか。痛いことしたらすごいぞ。おまえなんかつぎの日には、ヤッホーニュースのトップを飾って、ツブヤイターのトレンド1位におまえの顔があちきの顔にすげ替わって、なんかいろいろすごいことになっちゃうんだからな」

 想像したら死にたくなった。

 そんなのってないよ。

 あちきを誰だと思ってんだ。こんなにかわいくてかっこいい生き物を痛くしたら、世界中のフォロワーが黙ってないんだぞ。

 ホントにホントに、容赦ないんだぞ。

 たとえば、人気アーティストをおもしろおかしくへんてこに当て書きなんかしたら、作者特定して、すんごいいじわるなことされちゃうかもしれないんだぞ。

 なつみは天に祈るように、支離滅裂な野次を飛ばした。「あちきのフォロワーはみんないいこ!」

 その祈りが通じたのか、灰色に染まった曇天の合間から、一筋のサマーキラキラが差しこんだ。

 日光のようなそれは、キラキラとまたたきながら一筋の糸となってなつみの頭上にするすると垂れていく。

 なつみはその先端を握り、そして叫んだ。

「あちき知ってる。これのぼると、途中で性格のわるい作者にぷっつんって切られちゃうやつ。落とされて、ザマーってされるやつ。あちき知ってる!」

 なつみは読書が趣味であった。プロフィールにそう書いてあったもん。

 しかしなつみの天才的な記憶力によれば、例の芥川龍之介の「蜘蛛〇糸」は著作権が切れているので、こうして伏せる必要はないし、そもそもそこ伏せる意味ある?

 上手にノリツッコミをしながらなつみは、あの名作はこんなへんてこな物語じゃなかった、きっとオチも違うはず。

 鋭く知性を働かせ、頭上に伸びたサマーキラキラに、えいや、と飛びついた。

 サマーキラキラはなつみを乗せたまま、するすると、びみょうにうねりながら、床屋さんのぐるぐる回るやつみたいに(若い子にこれ伝わる? あるのね。床屋さんに。店のまえに。DNAみたいに青と赤の絡みあった螺旋が、こうぐるぐるしてる置物っていうか、看板が、あるのね。それみたいに)、なつみのほっぺたを無駄に、むにむに鞭打ちながら、地上の野獣の群れを置き去りにしていく。

「い、いけるかも」

 なつみは思った。そして眼下に蠢く無数の野獣たちに、やっほー、と余裕綽々で手を振り、あわや体勢を崩し、落下しそうになったり、思いのほかちんたら昇るサマーキラキラにこれみよがしな欠伸を向けつつ、おまえマジで事務所から訴えられるからな、と天に唾を吐くようにひとりごち、最後にじぶんごと地上が映りこむように端末を顔のななめうえに掲げてみせ、

 やっほー。

 それはそれはステキな風景とステキな笑顔でひときわきれいなインスタ映えにござりましたとさ。

 とってんぱらりのぷう。


「なー! あちきまだしがみついたままなんすけどー!」 

______
掲載元:カクヨム【零こんま。133話
電子書籍:短編集【千物語(桃)

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