引っ越し 小説「カラーズ」16 (全17話)

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 子どもたちを連れて大きな公園に来ていた。幹線道路のすぐそばにある広大な敷地。トラックが走る音はほとんど届かない。背の高い木々に囲まれ、ゆるく蛇行した道を進む。平日の午後は小さな子どもを連れた母親たちや高齢の夫婦の姿も見える。

車椅子をゆっくりと押し、大きく息を吸い込んで、まわりの景色を見る。「きれいだね。気持ちいいね」重度の身体障害があり、話すことも自由に身体を動かすこともできないが、手足をいつもよりダイナミックに動かす振動で、話しかけに反応していることがわかる。顔を覗き込むとやはり笑顔だった。

 

 報告書を見た後、相談室に戻った土屋の元へ行き、パソコンの画面を突きつけて言った。「どうして土屋さんがいなかった日の記録に担当が土屋ってなっているんですか?私と橋本さんが受けたんです。名前を正しく書き換えてください!」

私のただならなぬ形相に、土屋はパソコンの画面を見たまま表情を変えず「なんか勘違いしてるんじゃないかな。これは相談室のためであって……」

「相談室のためってなんですか?自分が仕事をしていないのをごまかすためでしょう。いつもどこで何をしてるのか知りませんけど、私や橋本さんが対応した案件をよく抜け抜けと……」

声が震えていた。

「立花さん!訂正しないなら役所に報告します。今までの虚偽の書類についても」

室長の立花さんはオロオロしながらも「役所に?なんだって⁈待って、待ってよ。誤解だよ、佐倉さん、何言ってんのよ。」と大きな声で笑いながら怒り出した。私はとことんやる気で腹を決めていた。橋本さんは、終始黙ってカウンターに視線を落としたままやり取りを聞いていた。

 今思えばタイミング良く、起きるべきことが起こった。

それが三月のはじめだった。私はその一週間後、室長から異動を告げられた。四月から障害のある子どもをサポートする別な部署に行ってくれということだった。場所はとなりの駅だった。
異動の理由は、相談室に正規の職員で社会福祉士を配置したいということだったが、例の書類の件で私が邪魔になったのは明らかだった。

もちろん相談室に残りたいと言った。しかし叶わなかった。担当していたみなさんに挨拶をバタバタと済ませた。一人の女性は、「感謝しているのは佐倉さんがどんなときも私の味方になってくれたことです。」と言った。それが救いだった。

 四月になり相談室には新しく女性の社会福祉士が入り、別な部署から一人異動になった男性社員と並んで、私の席だった場所に座っていた。
たった一日だけ、事務の仕事を引き継ぐ時間を与えられた。
利用者さんについては、橋本さんは残るし記録もあるから、と特に時間を与えられなかった。大半を土屋が引き継いだ。

 異動先の放課後デイサービスの職員の方たちは気さくでいい人ばかりだった。みんな事情はわかっていたのだろう。根掘り葉掘り聞かず、温かく迎えてくれた。
 私は異動後も、橋本さんがいる日を狙って、相談室に行ける時は顔を出した。相変わらず室長と土屋はいつ行っても留守にしていた。


 その後の話をすると、半年ほど経ち、相談室の事業が正式にプロポーザルに出された。企画競争入札だ。役所では数年に一度、定期的に事業者の選定が行われるのだ。相談室をこの法人が続けていけるか存続の危機だった。翌年の2月に結果が出た。室長や土屋の努力も虚しく結果は最下位となり、他の法人に引き継ぐことになる。土屋も新しい社会福祉士も退職した。室長は法人が運営するグループホームの施設長になったが、一年だけ居て結局辞めていった。

 相談室を引き払う際には駆り出されて荷物を運んだ。小さな場所でよくこれだけの物があるなというくらいあれこれ出た。習字に使った半紙、墨汁、色画用紙、模造紙、絵の具、折り紙、大量の液体のり……懐かしいイベントの残骸。手分けして運んだ。

 膨大な紙の個人記録は次の事業者に引き渡した後だった。端から端までファイルがびっしりと入っていた備え付けの棚の中は空っぽになり、観音開きの戸は開けられたままになっていた。何もない棚はがらんとして大きな穴のようでもあり、その奥行きはどこまでも深く見えた。

電話は既に解約していて鳴らなかった。コードがはずれていた。新しい事業者では今頃電話を受けているだろうか。

空っぽの棚を、いつも座っていた場所から見つめた。


最終話へつづく↓



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