子どもが不登校だった1年間とその後

②悩みながらの不登校期間と転機

2歳年上の姉は、学校の謎ルールに文句を言ったり怒ったりしながらも行き、たまに噴火して休んだり妹と一緒に相談室へ行ったりした。でも、完全に行けないということはなかった。
表面的には攻撃的でも、姉としての責任感だったのかもしれない。

学校でカウンセラーに相談したが、いろいろ話しても最終的に、「海外の自由な学校を知っていると窮屈なんでしょうね」という感じでまとめられてしまい、わたしも二女も話を聞いてもらって楽になるようなことはなかった。

そんな人ばかりではないとは思うが、学校へ来ているカウンセラーと言うのが、ずっと教員をしていて定年退職したおじいさんで、子どものカウンセリングを特に学んだのかはわからないが長年の経験でいろいろ知っていますよという雰囲気だったのが、残念だった。

「保健室でいいからおいで」、と言われて学校へ行くと、「1時間だけでいいから教室へ行ってみようか」と言われ、保健室へ戻りたいと訴えても「熱がないなら保健室へはいけないよ」と却下された、というようなことがあり、裏切られた気持ちになった二女は頑なに行かない、と言うようになった。

休む場合は、同じクラスの子に、連絡帳を持って行ってもらわなければならない。長女に渡してもらい、帰りは同じクラスの子がわざわざ家まで持ってきてくれるという仕組み。

毎日クラスメイトにも悪いから、電話にさせてもらえないでしょうかと担任に頼み、欠席連絡は電話になった。普通のことみたいだけど、規則ではダメだったことが信じられない。

昼間は、近くの公園で一輪車に乗る練習をしたり、虫を観察したり。しかし学校が終わる時間になると、同じ小学校の子が公園へ来て「どうして休んでいるのに外で遊んでいるの」と言われることもあった。

家の中では裁縫が好きな娘は服を作ったり本を読んだりしていた。

泳ぐのが好きで、プールへも通った。どうしても平泳ぎが苦手で、25メートル泳ぐようになるまで一生懸命で、わたしのほうが音を上げそうだった。

わたしが週に3日仕事があるため、何度か職場へ連れて行ったこともあった。勤務先のボスがとても理解のある人ばかりで、連れておいでと言ってくれたのだ。

しかし、娘は何かをしているときに話しかけられたり気を遣ってもらうのが気まずかったのか何回か行った後は、家で留守番するようになった。

そしてひたすら本を読んでいた。図書館で借りた本、進研ゼミのインターネットライブラリーで片っ端から読んでいった。図書館では娘の好きな「くま」で検索して、ヒットしたものをまとめて10冊借りてきたりした。

月に1回ほど、担任、養護教諭、校長、教頭、教務主任対わたしで面談があったのだが、あるとき、小児科の心の相談を受けたり、知能テストを受けてはどうかと言われた。知能テストと言われたときはドキッとした。

家から遠くない小児科に心の相談室の時間があり、予約は1か月以上先になったが、30分ほど時間がとってもらえた。

予約を待つ間に、別のカウンセリングや知能・性格テストをしてくれる機関でテストを受けた。

学校から知能テストと言われたときには、なぜだろうと思ったが、そこのカウンセラーによると、学校に適応できないのが学習障害があるのが理由なのかそれ以外なのかがわかれば、学校にも説明しやすいとのことだった。

テストはその日にカウンセラーと娘が1対1でやるものと、家へ持って帰ってやる部分があった。

次の面談のときに、結果が渡された。学習については何も問題なく、むしろ記憶力がとてもいいと指摘された。しかし、性格面では相手の言葉を受け入れすぎて自分の意見が伝えられないこと、迷うと答えが出せなくなる傾向があると言われた。

大まかには普段親として感じている娘の性格そのままだったので、それが専門家の見立てや試験の数値としても表れているんだなという感じだった。

小児科の心の相談では、最初からずばり踏み込んだ話になった。

女性の医師は、見るなり、この子はなんでもない。大丈夫、行きたくなければ行かなくて。だってこの子はズルで休んでるんじゃないよ。この子は弱いんじゃなくて意志が強いの。勉強なんていつでもどこでもいくらでもできるんだから。

あまりに爽快すぎて、録音していろんな人に聞かせたい気分だった。

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