予告のある最後と、ない最後

予告のある最後と、予告のない最後は、どちらがいいのだろうかと考える。

予告は早ければ早いほどいいかと言えばそうでもないし、短い予告でも何もできない。

「平成最後の夏」は予告付きだったけれど、「昭和最後の夏」は予告なしだった。

そして予告を深刻にとらえるかどうかは本人次第なんだと思う。


Photo by Aaron Burden on Unsplash

もう9年前のこと。

兄から携帯に何度も着信があって、嫌な予感で電話をとった。兄は今まで聞いたこともないような緊迫した声で

「お父さんが倒れたから早くきてほしい」

と言った。

当時新宿で働いていた私は、電車で1時間ほどかかる、指定された病院に向かうことになった。

急いで電車に乗る。動悸に対して、電車はいやにゆっくりと進む。不安だけが募った。

少し経った頃、

「急ぐような状況じゃなくなったから、ゆっくりきて」と兄からのメールが届いた。

私はそれを見て、これから闘病生活が始まるのだろうと思った。

しかし実はその時もうすでに父は息絶えていた。兄は私が動転しないようにメールをくれたのだと思う。


最寄りの駅まで迎えにきてくれていた兄の車に乗り込むと、兄は無言だった。

私も何も聞けなかったし、言えなかった。いい状況ではないことがわかった。

病院で母に会い、父がいる場所に連れていかれた。

父は静かに横たわっている。

父、母、私、医者がその部屋にいて、みんな無言だ。

耐えきれなくなった私が、そこに居合わせた医者に「これからどう治療するんですか?」と聞くと、医者は驚き「えっ」という顔をした。

間髪入れずに母が「何言ってるの、もう死んでるのよ!」と叫んだ。

今から考えたら意識を失った人間が、酸素マスクもつけずに、なんの管もつけずに、そんな風に横たわっているわけがないのに、私は父がもうすでに死んでいるということだけは決して予測していなかった。

兄は私に対して決定的なことを伝えていないことを、母には話ていなかったのだろう。今思い出すとなかなかシュールな場面だ。

あとから聞くと、父の病名は大動脈解離で、倒れた瞬間にもう亡くなっていたそうだ。

私たち家族は生のあっけなさに呆然とし、それでも決めなくちゃいけないことややらなきゃいけないことが、次から次に降りかかり、その都度決断し、思い出したように泣き、泣き止むと呆然として、また決断した。


Photo by Fischer Twins on Unsplash

今になって、あの短かった予告について考える。

父に何かがあったということはわかっても、死ぬということだけは全く考えなかった。

父は病気をほとんどしない、元気な人だったから。60過ぎても、大型バイクに乗り、いろいろなところに行っていたし、私は父の生が強いと信じていた。

父の死が確定したあとも「なんで?」「いやだ」の繰り返しだった。

葬儀で一番つらいのは、火葬の瞬間じゃないだろうか。肉体がなくなる。その時私は「あっ」と思って、「最後はありがとうって言おう」と母と兄に言った。

「なんで」でも、「いやだ」でもなくて、最後は「ありがとう」と言いたいと思った。その時私は初めて、あの予告を受け入れたのだと思う。


父の死の予告が短すぎて、私は父に何もしてあげられないまま別れることになった。

その自分を癒すために、私は後悔なく今を生きようときめたのだと思う。

亡くなった父と一緒に生きるための私なりの方法だ。


「平成最後の夏」は確かに今、ここに存在しているけれど、後から振り返ったらいつ終わったのかも曖昧な一瞬のできごとなのだと思う。

誰もが予告のない最後を生きている。

友達だと思っていた人から突然連絡がこなくなったり、ずっと読み続けていた漫画が終わったりする。

今だって、平成30年7月9日5時31分が予告なくおわり、32分がきている。

飲み込まれるのではなく飲み込め。

この理不尽な今を。

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Vita et Mors ―生と死の哲学―

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