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「デスク移動・本・本・日本語」4月1日の日記

一日中雨だった。こんな天気でリモートワーク推奨期間にもかかわらずデスク移動をしなければならず出社した。デスク移動のお知らせがきてから年度末のギリギリまで放置していた自分が悪い。

人もまばらな中デスクの引っ越し作業をしていると、そういえばこんな本買ったな、というものが色々出てきて読んでいるうちに作業がどんどん滞っていった。部屋の掃除と一緒。

こんな本を買っていた。amazonの履歴を見ると3年前?くらいに買っていたらしい。たしか当時、急に書類を書くことが増え、とにかく文章の書き方に困って買ったのだ。自分の「書く力」小学生並みだと査定し小学生向けのドリルまで一緒に買っているが半分くらいやって白紙になっていた。

日本語は息をするように話せるし、識字ができるため「読めてるつもり」「書けてるつもり」になっていることがものすごく多い。これが曲者で、ニュースやネット記事の「読みやすく」「短く」書かれたものを読み流しているとなぜか、自分はある程度の文章が書ける気が勝手にしてしまう。

さらにtwitterなどの短文投稿に特化したSNSでは瞬間的に流行りの言い回しが日々発生しては即時に消えていく猛スピードの新陳代謝が起こっている。新しい言い回し=既存の日本語の文章・ルールをを崩し、その「崩れ」にユーモアを感じるという構造があるため、日本語が大喜利的に爆速で誰かが崩し続けていくのを笑って使って飽きて…を繰り返していると、楽しい反面、元の日本語から100回大喜利されて崩された言い回しを正しい日本語に直せ、と言われると、はたして自分は直せるのだろうか?

ふくしま式200字メソッドでも回答を隠してしまうと、難易度が中級編レベルのお題に対して、ぱっと正解の構成を思い浮かべられない。そしてだいたいそういう時は文章をこねくりまわしても何も出てこないので「詰み」だ。

SNSの流行りの言い回しの独特のユーモアは大好きだし、日本語の危機!美しい日本語を使いましょう!と言いたいわけでもないが、端的に誤解なく他人に何かを伝えたいときに、日本語が正しく使えていないとものすごく不便だし不親切になることだけは身をもって知っている。

半分白紙のドリル、続きを始めるか…

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