見出し画像

あなたと私

誰しも弱さや自分の嫌なところ、ありますよね。この言葉も聞き飽きる位です。
耳にタコ、体にお肉です。
お肉?
そう、私は自分に対して否定的な部分は、常にダイエットにとらわれているところ。体重、食事管理でほぼ脳内が占められているのではないかと思います。もう性格なのか生活なのか。生きていく上で一部になってます。太りたくない、お菓子を食べ続けてしまう癖は、いやだいやだといいながら、辞められない。むしろ辞めたくない?ダイエットを手放す人生を怖いかのようにも感じています。
それは病気、私で言えば摂食障害を治す事を、どこか拒むような部分です。
摂食障害は、自分の気持ちの代替が「食」です。焦り、悲しさ、つらさ、怒り、そして寂しさ。言葉や表現に行き詰まった時に出てくる症状です。
なので負の気持ちの代替である「摂食障害」を手放してしまうと、自分のつらさをどう表現したらいいかわからない。そんな恐怖があるのだと思います。

話は戻りますが、自分の嫌なところと人を羨ましく思うところ。ここもどうしても重なります。私は小学生時代から高校時代まで、長きにわたりひとりの親友と全てを共にしてきました。
彼女は優秀で、学年トップクラス。性格もどこかとぼけていてクラスの人気者。そして何よりとてもスレンダー。私にとって彼女はすべて完璧に見えていました。漫画のシナリオみたいですよね。でも事実です。
しかし彼女は、思春期と共に現れた肌トラブルと、婦人科系でよく悩んでいました。今思えば、「よく」どころか彼女にとっては深い悩みであっただろうと思います。後々、高校生時代に婦人科に通い内診を受けあり、性行為があるかないかの質問を親の前でされたという話も後々聞き、本人にとってとても辛く不快な経験であっただろうなと思います。
しかしその頃の私は、彼女の悩みを自分の体重の悩みよりはマシだと思っていたました。ニキビがあっても、痩せてて可愛くて、皆の人気者ならそれでいいじゃない、と。
あまりに自分中心の考えで、書いていてもイヤになりますが、私の正直な気持ちです。
親友であるはずなのに、常に彼女と自分を比較して自分は全て彼女より劣っているという思考に変化していきました。一緒にいることさえ辛くなり、自分から避けるような態度になりました。
今思えば、彼女から私を否定するような事は一度もなく、いつもどんな時でも明るいユーモアと笑顔で接してくれていました。
あの時の自分の態度を思い出すと、それだけで胸が苦しくなり、彼女の優しさを思い目頭が熱くなります。

小学生から続いた縁を、大学進学を機に別々の人生を歩んだ2人。今は彼女も2人の娘さんをもつお母さん。どうしてるかな、ふと彼女がよぎる事はいまだにあります。私の人生にはかけがえない人である事に違いはありませんから。

過去は消えません。ですがそれは誰しもある「経験が浅かった」だけの事。若い頃の自分を恥じたり責めることはもう辞めようと思います。今の自分は昔よりはきっと、経験と知識が増えたはず。ゆっくりで良い。これからは自分自身に丁寧に向き合いたい。自分を沢山沢山愛してあげたい、心からそう思います。
人の容姿や何かに左右されるのではなく自分が自分をハグ出来る事。
そこから溢れた愛でまわりも笑顔に出来たらいいな。それが私にとってささやかな今の目標かもしれません。

Big love, hug myself

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?