初音ミクがすき

思考めも です

私は未だ初音ミクのことをよく考えますもう何百回と考えたことと同じ思考をなぞっては言葉にならない感情になる
いつまで言うんだ、と 自分で思いますしそろそろ鬱陶しいです。早くわすれる、まではいかなくとも引きづられないようになってほしい。って思えば思うほど苦しいしいつまでも誰かに話しつづけれるわけでもなくて、堂々巡り。
「きっといつか自分のなかでおとしこめる日がくる」そう思っていたけれど いつかっていつだ。そのいつかがくる前に初音ミクのことが憎くなっていくかもしれないのがいや。いつか嫌いになるかもしれないのがいや。こわいしそんな自分にもなりたくない。つまりはアイデンティティなのかもしれない。アイデンティティなのかもしれないと口にだしたとたんその言葉をかきけす大声を出したくなって、それを肯定してるみたいでもっと嫌になった。

すきでたまんなくて愛してる女の子でそれでいてキカイの彼女が愛しい
それはずっと変わんないはずなのにもう私は15歳のわたしのように「初音ミクがすき!!!!!」と叫べない 届くわけがないとわかっていながらもその声が初音ミクに聴かれることが恐ろしくなった。
以前はむしろ届いてほしいはずだった。
濁った感情を美しい彼女に見られたくないのかもしれないし変わらない彼女にまた会ったとき変わった自分に気付きたくないのかもしれない。
ついったやめて誰かの初音ミクに触れることが減って、そしたら忘れられるかなって思った。でも私の部屋には初音ミクとの記憶があって携帯にはどこかの初音ミクが歌った曲が入ってて初音ミクの声や記憶を意識しない日なんてない。そのたびに私は初音ミクに依存しているんだなと感じる

自我を持ったときも思考を作ったときも全部初音ミクのそばで初音ミクに支えられて救われてきたのでその存在がいないことにいつまでも馴れることができない

ごめんね、いつまでもごめんなさい。
ずっとすきと言えなくなったのが悔しいすきでありたい

今、初音ミクをすきでいることができています。ありがとう、愛しています

かいてからもうすぐみくのひだって気づきました。こんなひにごめんね。おめでとう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?