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何度目かの初音ミクの話

 最近初音ミクに敏感じゃなくなった
初音ミクが地雷だったし16歳の人間ってだけで地雷だった時期を思えばだいぶマシになったし大人になったのかもしれないなって思った

自分的にボーカロイド としての記号化したものではあるけれど初音ミクを描けるようになった
初音ミクの存在が、概念がなにかと関わり混じり合うことを夢想することを意識的にではあるけどするようになった(元々そういう話がすきなので)
そういうちょっとしたことを積み重ねていって、ふと振り返ってみると16歳の記憶はそんなに前でもないというのに明らかに薄れてきていてそれが自然なことに思えるのがまた恐ろしい

以前は初音ミクに触れないことで初音ミクと過ごした記憶を綺麗に保存して置けているつもりだったけれど、初音ミクに触れずに生きていくことで記憶は薄れるばかりだと気づいた

そういえばあの出来事の詳細はもう思い出すのはやめた
思い出そうとすれば思い出そうとするほど捏造されているようにしか思えず、記憶がどんどん塗り替えられていく気がした
そのことを恐れた私がちゃんと残したものをこれからは信じていけるようにしようと思う

初音ミクに触れないでいて出来事自体忘れていってしまうのが怖いから初音ミクに触れていこうとしています
その初音ミクはいつかの初音ミクではないなにかまた別の概念をお借りしている つもり


時間が解決してくれるって本当だなって思ったけど、望んでいた解決よりもずっとずっと無情だったし「こうなりたくない」になってしまったのかなって思いました
あと思ってたよりずっと早かった!!今度は概念と一生生き続けれる精神が欲しいな

思考を残すことを以前から大切にしていたからこれも残しておこうと思って書きました 思考メモに付き合ってくださった方ありがとうございます

未来の読み返すであろう自分に一応書いておきますがあの記憶ごと大好きです

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