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2004/06/12 13:31ネパール出張(最後)

6/11 今日も起きた時に微妙な格好で寝ていて、「そらないわ」ぐらいよだれがダラダラと垂れていました。もう今年で31なのに、よだれが垂れるのは治りませんねぇ、、、。よく家で「あんたは全く『よだちゃん』やなぁ」と言われておったものです。(近年でもたま~にしか聞きませんが、興奮してしゃべっている時にたらっ、と前触れなく垂れると言われます、恥ずかしい!)

 それはともかくなんだか半分夢の中でも感じていたのですがどうもお腹の具合が悪い。「う~、なんか変なもん食べたかなぁ、、、」と夢うつつでそう言えば考えておりました。起きてからもどうも調子が悪い。きっと気のせい、と小さいミネラルウォーターのボトルに持参した伊藤園の緑茶の粉末を適量入れ、ミネラルウォーターを注ぎ入れ、シェイク!『青汁』の様になったそれをぐびぐび飲み干して「ほー」となりながら『SMALL SOLDIERS』(スペル間違っているかも)をテレビで観ていた所、突然の吐き気が!うぷっ、となりながらも「気のせい、気のせい」と思っていたのですがその気持ち悪さは大きくなるばかり。やばい!とトイレにかけこみ、おえーっと。(お食事中に方、すいません、、、ってそんな人はいらっしゃらないか)当然の事と言えば当然の事ですが緑の、、、失礼しました。

 おかしいなぁ、、、なんだろうなぁ、、と考えてみても分からない。昨日はラジオでしゃべる前に外に出かけられないし、あんまりお腹空いて無いし、と言う事で日本から非常食に持ち込んだ春雨入りスープを食べて寝ただけ。。。 案外お昼の濃いPIZZAを消化する為に胃液ががんがん出てたのに夕食がそんなちょろっとしたものだったので逆に胃壁をいためていたのかもしれません、、、こういう時は、、、「食べる」。これに限る。 えー?と思われそうですが、過去たまにこういう事があると食べたものです。しかし、吐き気で外に出る事が出来ない私。 これまた非常食で持って来た「おかき」の様なものをベッドに寝そべりながら咀嚼しました、、、 しばらくするとまだ気持ち悪さは残っているもののさっきよりだいぶ良い。

 11時には約束していたのでとにかく出かけチャイ屋さんでチャイを頼んでMARVELへ。メールチェックしてから昨日の布屋さんへ。 聞くと荷物はどうも55キロ程になっているらしい。支払いの為にお金を用意したり、商品を整理したりしました。昼からまた来る約束をして今度はまたホテルへ戻って日本へ送る荷物の準備。 ひとりではとうてい郵便局に行けそうにも無い(行く気も無い甘えた私。)私をまた先日のダマルさんが「私が行きますよ、大丈夫」と連れて行って下さいました。

 結構遠く、「絶対ひとりで来れなかった」と安堵の私。これまたバリの5倍ぐらい「大丈夫?」な郵便局でえらく時間をかけてチェック、梱包、支払いを済ませ、友だちのお土産の切手を買ってこんどはバリの乗り合いバス、『ベモ』の様なものに乗って帰りました。(行きのタクシーは60ルピス、帰りのこれはひとり7ルピス。1.55かけると日本円になります)

 一安心の私は気付けば空腹! 近くのチョータリーと言う食堂にダルバート(定食)を食べに行きました。今日はちょっと奮発してチキンカレーの小さいのも付けてもらいました。また、これが、気が遠くなる程(大袈裟?)美味しい。あぁ、この味、再現してみせるぞ、とじ~っと眺めてしまいました。とり肉がやはり美味しい、、、これは中々再現難しそう、、、

 そうそう、私は今日調子悪かったんだ、と思ってとにかく部屋に帰ってひと休みしなくては、、と思うものの映画は高層ホテルの火事、パニックもの。なんやねん、それ、と思いつつ見入ってしまう。映画チャンネルと言うのは良い様な悪い様な、、、ですね。 2時以降に来てね、と言われふと気が付くと既に三時半!出かけなくてはなりません。

 お店に着くとどうも待ってくれてた様で「遅くなってごめんね~」と笑ってごまかす私。ま、もちろんお店で待ち合せだし、そこのボスで常にお店に居るから良いんでしょう、きっと。 送る量などを調整した所、どうも私が直接バリに持って行く布の量が7キロぐらい。それは半分程スーツケースがからっぽである、と言うのを意味します。それは実にもったいない、、、そこでボスは私に「もうちょっと布探しに行く?」と提案してくれたので、これまたお言葉に甘えて彼にくっついてローカルの人たちが集まる市場の方へ参りました。 今日はなんとまぁ行動的に動いているんだ!昨日とは雲泥の差、と思いちょっと重い胃を気にしつつやる気を出して(今頃)進んで行きました。 今回『リキシャ』には乗らない、と心に決めていたのに軽くこのボスに乗せられてまたもやハラハラドキドキのリキシャ移動でした。揺れる、揺れる。どんどんどんどんお尻が前の方にずれて行くのが分かる。タイミングを見計らって「よいしょっ」と移動しなければ、その時に穴なんかにはまった日にはどこに飛ぶか分からない。「あぁ、命が危険にさらされている!!!」と危機を感じました。

 何軒か寄ったお店は「どうもなぁ、、違うねん、分からんかなぁ」と思う布ばかり。リキシャも払ってもらい、ボス自ら連れて行ってくれているのに「要らん」とばかり言う訳にも行かない気持ちはあるものの、重い思いをしてバリ迄持って行きたい、と思うものは無い。「お香でも買おうかな」と妥協案を出したものの向こうも意地があるらしく「まだ探すよ、あるから」とどんどん私を引っ張って行く。 胃も重いし出来る事なら早く帰ってゆっくりしたいよ~、と言う所なのですが、今日の私もちょっと違い(昨日休み過ぎた、と言うのもありますが)「じゃ、行くかな」と食い付いて行きました。

4、5軒目のお店でやっと手ごたえがあり「はい、2階にあがって」と言われる私達。 こんな所ひとりじゃどうしようも無いで、、、大体来られへんし、と言う様な奥まった所。 そこで見つけたのはプリント柄とイカット(織物)風の布。ちょっと似たものがインドネシアにあるものの、微妙に違う。更に良い色合い!「これ、浴衣にしたらええんちゃう~」とちょっとテンションも上がり、色違いで幾つか購入しました。 ボスも「ほっ」とした顔で「この日本人、うちのお客なんだけどインドコットンみたいって言うから連れて来たんだ~」の様な(推測)事を言うておりました。

 荷物も約10キロ程あったのを全て持って頂き(申し訳ない)お店に戻り、CARGOの人と最終金額の打ち合わせ。私はインドネシアに送った場合とにかく税関が黙っちゃおらんから心配だ、と30回ぐらい繰り返したのですが「door to doorだから大丈夫、この前シンガポール大丈夫だったもんねー」と余裕の顔。うーん、おじさん、シンガポールとインドネシアを一緒にしちゃぁあきませんよ、と訴えても「大丈夫、大丈夫、うちとこのお店で50%ずつ保証するから、もし税金をくれ、と言われたら言いなさい」とこれまた繰り返す。ほんまかいなぁ、、、 以前古本を70冊程送り、もらい物ばかりだったのでまとめて「10ドル」と書いたのにも関わらず「50ドル以上の商品だと税金がかかるんだよね~、はい30ドル」と寝ぼけた事を言うてきたバリの税関。 大体10ドルやし、またどんな税率???と思ったら明らかにぼろぼろの古本の定価の値段かける70冊かける何%としている。大丈夫か、、、税関。 しっかり見ろ、、、と言いたい所ですが見てるし分かってるけど取り合えず言うんですね。くれたらラッキー★ぐらいで。

 「日本人はどうしてあのクルプック(せんべいの事)ばっかり送るのかな?あれもう飽きたよ」

と税関のおじさんが言うんですからどう言う事でしょうか??あんた、食べてるんやーーーん!と。 税関と言うのは郵便や小包が送られる時にチェックしてから郵便局などにまわすのですが、この段階で結構高価なもの、または彼等が欲しそうなものが税関(だけでもないのでしょうか)の手によって抜かれるんですね。郵便局の人が申し訳無さそうにびりびりに破れた封筒を持って来て(一応テープでとめている)、「あの、開けたのは税関だからクレームは税関につけてね」持って来た事もありました。

 と、まぁそう言う素敵な税関。私のラブリーな布達は無事彼等の毒牙にかかる事なく私の手元に届くのでしょうか?そしてその半々の保証はどこまで??? ちなみにバンコクから送ったUPSは雨に濡れた、とかで商品に損害が出ているそう。 それって、それって!!! また買いにいける訳でも無いし、、、こここら~~~! 私が現場に居たら「待て、こら~」と言う所なんですがいかんせん私はネパール。本当に気に入って買った商品も色移りなどしているそうで、泣きそうです。

 こっちで異様に「あのさ、雨に濡れないかな、ビニールで包んだ方が良いんじゃ無い?」と柄にも無く細かく口を出す私。あぁ、神様(どこの?)これらは濡れないで~~~、と祈る思いです。

 夕方とにかく帰って来て本日最後のメールチェックを済ませてから今回ネパール入りする前にメールで色々お世話になった電話屋の男の子に挨拶に。 とっても近所なのにも関わらず中々会えず2通程メールをもらっておりました。(「寄れそう?お土産あるし寄って」と)行くと彼に似たこれまた頭の良さそうな大人しそうな男の子が。「僕は彼の兄です」と静かに説明してくれる。 ちょうどバリにも電話したかったし電話をするのを手伝ってもらうのですがこれまた中々通じない。 そうこうしている内にお世話になった弟ちゃんがやって来る。(その前にお兄ちゃんが「僕のコレクション見せてあげる」とおもむろに取り出したアルバム状のもの。中を見ると世界のお金が!なんとまぁ見た事の無いものばかり!思わず私はインドネシアのルピアをあげ、彼からポーランドのお金をもらいました。じゃ、硬貨もあげるよ、と円もあげ、二人できゃっきゃ、となっておりました)「なおみさーん、やっと会えましたね、元気?」と小さい声で言う。二人でニコニコと笑ってなんとまぁ、育ちの良さそうなおぼっちゃんたち。 お茶をごちそうになり、更に一番上のこれまた立派なインテリな感じの物静かなお兄様まで登場し、このお兄さんには紅茶をまたお土産に頂き、「私は一体なにしに来たんだろう?確かこの弟に世話になったからお礼をしに来たはずなのに」とやや「?」になって部屋に戻りました。(一応お土産でチェルシーの大袋ミルク味をあげたら大層喜んでいた。そんな子供騙しなもんでごめんよー)

 部屋に帰ってシャワーを浴びるととっても気分爽快!やっぱり労働の後のシャワーは違うねぇっ!と久々に感じるばかりです。 そうしていると電話が。

 お昼またお世話になったダマルさんが「今日は家にゴハン食べに来ますか?」と誘って下さいました。奥さんが作るの美味しいがちょっとですけどどうですか?とお昼に言うて下さっていたのですが私が曖昧な返事をしていたのです。 付き合いが悪いのが案外知られていない私なんですが、、、更に出張中は引きこもりがち(一人の時は特に)な私は「ごめんね~、次の機会ね、ありがとう!また明日」と丁重にお断りしました。本日もうすっかり疲れてしまったのもあり、夕食どうするかな、と自分でも悩んでいたのです。また抜きにして「おえ~」となっても困るし、、、さりとてがっつり食べる気も、、、と言う事でシャワー後そのまま寝れるのか、ぐらいの無印のジャージに(どこでもはいてる)バンコクでお土産に買ったオレンジ色のシャツ(良い感じにしてあげている、つもり)で、手にはお財布と藤沢周平本だけでぶらぶら出かける。

 公私混同(ちょっと違う)な感じですが、なんだかOFFと言う感じでひんやりとなった夜風も気持ちよく、これまたホテルを出て2分ぐらいの『Macdonal’s Fast Food』と言う恐るべし名前のタンドゥーリ(北インド料理などで使われる窯)のあるレストランへ。 いろんなマックが(マクド)があるもんですねぇ、、、ふふふ。(前回も栗と大受けした!) そこでtandoori pratha(プランタとも言うと思うのですが全粒粉のタネを長く延ばして溶かしバター(ギー?)を練り込んでぐるっと丸めてそれを平たくして窯で焼いたもの。チャパティの発展したものでしょうか。ちょっとパリッとしてバターの香りがパイっぽい感じもして、非常に私は好きなパンの一種です)とtandoori chickenのhalfをtake outしました。お店のお兄さんに「カレーは良いの?」と質問されて「いや、あんまりお腹空いて無いから」などと言うものの出来上がったものを受け取ると結構な量。

 温かいそれを抱えて軽い足取りで部屋に戻る。部屋では”city of ghost”と言うM・デュロン主演のどうもくら~いベトナムを舞台にした映画が。。。もー、もっとパッと明るいのしてよ、もー、とぼやきながらわくわくと包みを開く。 あぁ、、、良いなぁ、インド料理ってのは。 私の幾つかあるソウルフード(幾つかあって良いものなんでしょうか?)のひとつであるインド料理。これだけのものを日本で食べようと思ったら2000円以上行くわな、ってものが150円ぐらいなんですから、これどう言う事でしょうか??? 結構長い事居たらインド料理屋さんで食べる事と思えば貯金で旅費が浮いてしまうんでは?と下らない事を思いつつ計算してしまう、例えば一回で1850円浮くから20回でえ~っととか考えつつ「アホやな、私30やのに」としみじみ思うのでした。しかし、また「あ、これこの前来た時にも考えていた様な」と思い出しこれまた「治らんなぁ」とひとり苦笑いしてしまうのでした。

 ただ、あれですね、30になると昔はすっかり大人になって考え方もそうでバカな事など考えないものだと思っていましたが、ちゃんといまだにバカな事を計算機迄出して考えているんですから私は嬉しいです。「こんな大人になれて良かった!」と。 昔は大人になるのがそう言う意味でいややったですね。 当然「わ~、私大人やわー」と思う事も多くあります。考え方丸くなって来たなぁ、、とか。しかし、そう言うのとはまた別にどうでも良い事にもちゃんと時間が使えている事をちょっと嬉しく思います。 40歳になってもこのままで!行くでしょう、きっと。 

 それにしても本日が今回のネパール最後の夜。 ちょっと感傷的になっても良いでしょうか、、、似合いませんが、なんだか私みたいに呑気に、と言うのはちょっと違いますが仕事と趣味と言うか楽しみを混ぜてどちらが優先されているのかどうかよく分からない様な状態にしつつもやって来れているのは本当にありがたい事だと感じてなりません。 もちろん私が好きでしている事が他の人にしてみれば「あー、そんなん絶対イヤ」と言う事もあると思います。逆に私にとってもそう言う事はあるのだろうし。 だからこそ上手い事行ってるんだと思いますが。 ただ、5年前にした決意(いや、もっと前からでしょうか)によって今の自分があるのだと強く感じます。

 そしてそれだけではどうしようも無かったと思います。本当に多くの人に会って話をして、生き方を見せてもらって今の私が作られたのだと思います。まだまだ未熟で「情けないなぁ」とちょくちょく思う自分ですが、少なくとも今のまだ発展途上ながらもこの状態が大好きで、幸せだと思います。 本当に「して」良かったと思います。 多くの諸先輩方もこの日記を読んで下さっているのでこんな事を言うのは本当に恥ずかしいのですが「するべきか」と色々な事を迷っている方がいらっしゃったら絶対にするべきだと思います。  一度やってみると案外簡単でとても気持ちの良い事に気付かれるはずだと思います。

 私も「しなくては」とか「したいな」と思っていてしていない事まだまだあるんですが、それはちょっとしたお楽しみ、として置いておいて。。。

 数年前は私は資金的な事もあり、まさかインドネシア以外の国に布を求めて行く事なんて無い。だって無いんだから、無い!と思っていましたがこうして去年からネパールに来る事になり「なんでもっと早く来なかったのか?」と思うばかり。しかし、とにかく「知って、来て良かった」と思っています。(今年から日本の布も普通に使える事になりそうですし) そう言う事をしてみると「って事は今も考えた事の無い国との取り引きがこれからまた出て来るんや!」と未知の可能性にわくわくします。 一度やってみると次は簡単なのですね。
 「出来ない」と決めつけているのは自分なのでしょうね、きっと。 ですからせっかくやからやっちゃって下さいね!そして面白い事、面白い場所、面白い話が出来たら是非教えて下さいね!

なんだか最終回みたいなノリになって来てますねぇ。明日も移動だし頑張りましょう!

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