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私のお仕事ヒストリー 1

一番上の写真、やはり何か入れた方が良いよ、とのことでウブドで私がスペイン人の友人としているベジタリアンカフェのスタッフたちとの写真を。

左の2人のスタッフの緊張具合と右の私たち3人のリラックス具合の対比がおかしい笑える写真です...といきなり脱線しましたので話を元に戻して。

私は1999年にバリ島ウブドに単独でやって来まして2000年から今のメインの仕事というかお店、オリジナルバッグ"sisi"をしています。18年間通算9-10店舗をsisiに関しては開けたり閉めたり引っ越ししたりしながら、運営して参りました。(昔から住居や仕事もですが、引っ越し癖があるのでしょうか)

どうも新しい所で、ゼロから何かを積み上げて行く作業が「好き」なようです。

私が初めて外で仕事をしてお給料を頂いたのは高校一年生16歳の時でした。学校は大阪堺の一応進学校ギリギリ入っている入っていない?ぐらいのところ。「アルバイトはしない方が良い」というようなルールだったようですが、学校が良いと言おうが悪いと言おうが「決めるのは私」ですから、ここのルールの所は全く気にしておりませんでした。

記念すべき最初のアルバイトは『ダイエー』光明池店!!って今調べたらまだちゃんとある!30年前の私の職場〜

ちなみにここでは高校生のアルバイト募集、選べたのはこれら。

○「精肉」対面販売
○「精魚」販売
○「生鮮」(野菜)販売
○「お惣菜」対面販売
○レジ打ち

2つまで希望を出して良かったのですが、私は「精肉」「お惣菜」の対面販売を希望しました。

理由は魚は「匂い」がつくのかな?(女子高生らしい)生鮮は苦手な青虫などが出るのかな?(女子高生らしい2)、そしてレジは「計算が弱い」から。

後になって「女子高生、肉屋選ぶ??」と言われたものですが、結局精肉屋さんに配属されました。

スーパーで何グラム、と言って計ってもらって買うところ。ハムやサラダなんかも売っていました。 先輩パート(日中韓とさまざまな国籍)さんや他の高校から来てる先輩アルバイトの男女や社員の男性チーム。

大阪堺の田舎の中学を出たばかりの高校生にとっては充分すぎるぐらいの「大人の世界」でした。 お仕事に厳しいパートリーダーの奥さまがいらっしゃったけれど、きちんとしているととても優しく、その人の厳しい言葉を「こういう意味やからね、気にせずこうしたら良いからね」とちょっと冗談まじりに教えてくれるオモシロ マニアな雰囲気のパートの女性も居て、本当に楽しい職場でした。

コレ、完全ヤクザ!な「マネージャー」と呼ばれる大柄で坊主頭の、それこそ「ブッチャー」(肉屋)な主が居て、我らが精肉売り場を取りまとめ引っ張ってはりました。(包丁の持ち方(肉屋限定?)も教えてもらった)

今になって考えたらマネージャーも今の私と歳が変わらないぐらい。いや、もうちょっと若かったかも?? 娘をかわいがるような感じで私たち高校生バイトには接してくれて「あんじょう頑張りや!」という感じでした。私たちが彼に直接仕事を教えてもらう、というような事は無く、彼が来ると職場の社員さんたちがピリリッとしていました。

関西は長いけれど、もともとは四国辺りの人だったのかな。独特な関西弁で荒々しく社員さんたちを指導してました。 完全にヤンキーやったやろ、という「切れポイント」が分かりづらいお兄ちゃん(恐らく20代前半)が居たのですが、ちょくちょく手を抜くらしく、ものすごい怒られてました。でも、すごく気にかけてる、というのが分かり、見てても「ドキドキするけれど安心して見てられる」光景でした。 ものすごい良い職場やったんでしょうね。

牛の部位も色々見せてもらって、センマイ、シマチョウ、ミノに始まりコブクロ他いろいろ、などをあれだけ触ったり詳しかった女子高生も珍しかったかも?

お休みの日にはスーパー全体の朝礼にも参加して「大人っぽい!」と本当に嬉しかったです。 生鮮食品のフロアにおいて「精肉」が一番立場が強かったみたいで(そりゃあのブッチャーマネージャーやったらなぁ...)食堂に一緒に行くと皆がソワソワして一番良い席をなんとなく精肉チームに譲っていました。(派閥とかそういうのは嫌いだけれど、もっと原始的なサバンナのような雰囲気?でした) 鮮魚とはちょっとバチバチッとしてたのも笑えた!私にとっては どっちでもええやん、な事も「男と男の意地の張り合いや」みたいな事がありましたね。 すごい覚えてますもんね、本当に楽しい職場でした。

2年は居たんじゃないかな?

この職場では
◎強いリーダーシップに引っ張られる快感(チームワーク)
◎お金をもらって「労働」する厳しさと喜び
◎接客の歓び
を知ることになりました。

次の職場は大学生になって奈良に引越して(一人暮らし)してから。天理と言うこれまた田舎に住んでいたのですが、「近所で気軽なバイトをしよう」と、実はYAMAHAの音楽教室の受付のバイトをしました。 楽なアルバイトでした。先生や主に子どもの生徒さんが来たら挨拶してカードを渡したり、電話を取り次いだり。 平日遅い時間だと歳の違い高校生が来たりして世間話をしたり。有り難いことに、その時の生徒さんとまだ奈良で会う機会もありました。

もうちょっとチャレンジしてしっかり仕事して稼ぎたいな、と思い出した私は、大阪ミナミへ行った時にはちょこちょこ行くインド料理屋さんにバイトの面接に行く事にしました。下の写真の信号渡ってすぐの右のビル。昔はヒロタビル。今もかな?シュークリーム屋さんでした。

バリに来る時もそうでしたが、私は心配性で気が小さい...もので、でも「やるぞ」と決めたら「心配心」が出て来る前に目をつぶって「えいやっ」と行くようにしています。

この大阪・ミナミでの初めての、そしてバイト史上一番長続き(?)することになるNANAKにも「どうしてもここに勤めたい!」という訳では無く、もう一番最初に見た求人のレストランにバイトに行こう、と決めていた、様な所がありました。

ここでのアルバイトはとにかく刺激的でした。初めてのアルバイト先でも外国籍の人が居ましたが、普段ずっと一緒に仕事はしてなかったのですが、ここはもうドップリ!

バイト初日が土曜日の朝9時半頃からだったのですが、雑居ビルの5階、エレベーター降りたら左がトイレ、右がNANAKというワンフロアにひとつのお店!というところ。幅の狭いシャッターが1,2mぐらいだけ開いてて、下から這うように出勤。薄暗い店内の一番手前のテーブルに3人のコックさん達が食事していました。

NANAKのコックさん達はほとんどがネパール人で、私が出たり入ったりした時期は6-7年にも及んでいました。

さて、「初めまして、生島と言います。どうぞ宜しくお願いします」と挨拶をした所「はい、ヨロシクお願いします。私シャンカール・シャルマで、こっちの人がジャンパラール・ガイレさんで、この人アトマラームさんねぇ〜」と(わたし、良く覚えてるな!)言われても...覚えられへんわっと思いながらも彼らとのガッツリお仕事が始まりました。

もう詳しく書くと3日間ぐらいになるのでここでは割愛しますが、とにかく彼らはそれぞれ日本に来て数年経つものの、ネパール人同士でインド人経営のお店で仕事してるもので、ほぼ、レストラン内はインド・ネパール。(インドなんてものすごい広い訳だけれど、その時の私からしたら、とにかく違う!!)

身に染みて「文化の違い」を感じました。 私の本当の意味での最初の外国とのふれあい、「カルチャーショック」はこのNANAKだったと思います。インド料理は好きだったものの、特に絶対行きたい、とか、とても興味がある訳では無かっただけに、変な思い入れも無く、「違うなぁ」と純粋に思えました。 外国人だからゆえに許し合えた、許せないところもありましたし、「ナニジンだから好き、嫌い」ではなく、やっぱりは「個人の問題なんだ」と思いました。

私と同じようにアルバイトで入っても翌日から来なくなる人も少なく無かったです。あの環境、無理な人には無理なのでしょう。 長く残っていたバイトの子たちは学生が多かったですが、個性豊かでした。 未だに繫がりのある人もわずかながらあり、やはり、あの伝説のバイトの話になります。

社長はコックさんや私たちが「シャチョラール」と呼んでましたがシン三兄弟の長男。後に、(私のバイト後半期)に弟のタランジットさんが出て来て、いろいろかき回してはりました...シャチョラールとは13-4年程前に福岡で会い昔話に花が咲きました。「アナタ、インドネシアかどっか行った人よね??」と。 普段は福岡の本社に居て、ちょくちょく電話がかかって来たり出張で大阪に来たりしていました。電話で話しただけでは「ものすごい福岡なまりのおじさん」ぐらいの流暢な日本語です。

この写真は去年、福岡で撮ったもの。
一番左の人はザッパル・バハドル・バスネットさん。
私に「働く」ということはどういうことか。「出稼ぎ」の気合いと哲学を教えてくれた人です。本人は教えたろう、なんて思ってなかったんだろうけれど、私は彼との出会いで「そのまだ知らないけれどその世界」を感じる事が出来て、バリに移住し仕事をしていた時に何度も思い出して励みとしました。15年?18年ぶりぐらいに会えたザッパルさんは「去年心臓の手術したんだよ、タイヘンだったよー。だからイクシマさんも体を大切にしてね、外国だからね」と気にかけてくれました。

お互い今度 生きて会えるのはいつかな?なんて思ってたんじゃないかな、大げさだけれど。バス停で別れるとき、しっかりハグ出来た。FBでも繋がったし! 今は福岡のインド、ネパール料理カジャナ』中呉服店のオーナーさんです。他にも支店があるようですが、彼はこのお店に普段いますのでお近くの方は是非行ってみて下さい!

上にも書きましたが、このお店では

◎違うを「常識」とする世界がある(外国)
◎出稼ぎの気合いと哲学
◎語学は強みになるものの、語学のスキルが人の良さには決して反比例しない

という事を強く学びました。日本語べらべらのものすごい嫌なコックさんが居たもので...英語、インドネシア語が通じず落ち込んだ時はこの人のことを思い出して励み(?)にしていました。

まだまだこの先10軒以上のお店を回るのにこんなペースで大丈夫なんでしょうか、私...

どうぞお付き合い下さい😀

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