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春暁やたなびく香のやうな歌

きょう、3月15日は
フィッシュマンズのvo.佐藤伸治さんの
23回目の命日である。

佐藤さんには、瑞々しい、ほわんとした音ながら、しっかりとした芯を感じるフィッシュマンズの音楽をとおして、だいぶ救ってもらっていた。



中学のころ、通っていた不良学校になじめなくて、アルバム「宇宙 日本 世田谷」を、家に帰ってからヘビロテするのが日課だった。


ヤンキーたちが我が物顔でのさばり、生徒指導の先生より「スカート丈の長さや髪の色」にうるさい。かといって真面目に勉強するわけでもなく、授業中さわいだりして、まじめに勉強しているひとたちの足をひっぱる。

それに従うだけどころか、わかりやすくヤンキーたちに媚びたりして、ファッションまで彼らに寄せていく同級生たち。

流行っている音楽だけが「おもしろい」と言っては、マイナーな音楽を認めようとしない友人たち。それなのに、ともに行動することを暗に求められる。


フィッシュマンズの音楽は、そんな生活のなかに唯一存在した、「癒し」だった。

聞いて聞いて、佐藤さん。
うちのクラス、ほんとバカばっかりでね。

そんなふうに、佐藤さんに語りかけるように、
まいにち「宇宙 日本 世田谷」を
聴いていた。

透明感のある音と、佐藤さんの声が、日々のストレスを、怒りを、すーっと取ってくれた。



「宇宙 日本 世田谷」収録曲 "pokka pokka"




中学生活が終わりに近づけば近づくほど、フィッシュマンズのアルバムは手元に増えていった。

大事な受験を控えるなかで、不登校にもならず、卒業できただけでなく、無事に志望校合格を勝ちとれたのは、佐藤さんのおかげだ。


高校の合格祝いは、当時リリースされた初期アルバムの「復刻版」に消えていき、

「このままでは制服も買えない」

と母に叱られた。

透き通った空のような、フィッシュマンズの音楽とともに、わたしは同級生が誰もいない世界へ旅立ち、高校生になった。



その年の夏休みに出たライブアルバム「8月の現状」冬休み前に出たシングル「ゆらめき〜in the air〜」など、

新譜が出るたびに、なけなしのお小遣いを財布に忍ばせ、高鳴る胸をそのままに、タワーレコードへ向かった。あの、緊張感をともなったワクワクした気持ち、忘れられない。

これが、ずっと続くと思っていたのに。



23年前の今日、終わってしまった。
まさか、



まさか、風邪に命を奪われてしまうなんて。




当時のことを思い出すと、いまでも、ハートをまっぷたつに、日本刀で切り裂かれたように胸が痛む。


妹の合格祝いのために並べられた、ご馳走を横目に、まっくらな部屋に引きこもった。

マンションの4階に住んでいたので、枕のある頭の先には、ベランダがあった。

飛び降りてしまいそうなのを、必死で堪えながら、ぶあつい掛け布団を頭までかぶって、せんべい布団の上で泣いた。


1週間ほど学校を休んだあと、3日登校したかしないかのうちに、春休みになった。

そういえば、仲のいいクラスメイト8人くらいで、宮古島を旅する約束をしていたんだった。


みんなにくっついていって、泊港を出る船に乗って、ミヤコブルーなんて言われるほど、宝石みたいに青い海で遊び、カラオケに行って、さとうきび畑のど真ん中で星を見上げた。


その、どれにも「色」はなかった。


青い海も、緑のさとうきび畑も、みんなグレー、いや黒だった。

みんな「星がキレー」と感嘆の声を上げていたが、星なんかひとつも見えなかった。


春の闇見えてくるのは虚無ばかり


虚しい。
とにかく虚しかった。


佐藤さんのいない人生、まっくらだ。




佐藤さんの死後、すぐに発売されたベストアルバムに収録されていた、"Go Go Round This World!"  

この歌いだし「もういいよ 歩き出そうよ」
に励まされ、「いつまでも、落ち込んでなんかいられないぞ!」と浮上したり、「もうダメだ……。生きて、歌ってる佐藤さんに出会えないなんて地獄だ」と沈んだり。

そんなことを、10年くりかえした。


佐藤さんの告別式が行われた、
10年後の3月20日。

その日は、10年前の告別式と同じく、
雨のそぼ降る日だった。

しんしんと降る、霧雨をじっと見ていると、

……あ。
佐藤さんとお別れできたかも。


すとんと、そんな気持ちが、落ちてきた。



それから、フィッシュマンズの音楽を聴く機会は、グッと減った。

数年後、92歳の祖母が自宅で倒れた。
病院に緊急搬送され危篤なのだと、母から連絡を受け、急いで職場から病院へ向かう車の中で聴いたのは、高1のころ、胸をときめかせてタワレコで買った、フィッシュマンズの最後のシングル「ゆらめき〜in the air〜」だった。

動転するなかで、ふっと思い出し、どうしても聴きたくなったのは、フィッシュマンズの曲だった。佐藤さんの歌だった。

ハンドルを握る手に力がこもり、
優しい歌声に胸が詰まって熱くなった。




それから、さらに10年経ったいま。

俳句を始めてまだ3ヶ月も経たないわたしは、
無性に、フィッシュマンズの音楽を句にしたためたくなった。



「宇宙 日本 世田谷」など、フィッシュマンズの後期のアルバム制作において、欠かせないエンジニアだったZAKさんいわく、


「フィッシュマンズの音楽は、
針の穴から宇宙を覗くような、そんな感じの曲」
1998年夏発売の「TVガイド」のインタビューより。
うろ覚えの記憶ですが……


だそうだ。



針の穴から宇宙を覗く。

フィッシュマンズの音楽は、わたしたちのいる「日常の世界」から、どこまでも広い、きらめく世界にトリップできる、「万華鏡」のような音楽。そう感じた。

おなじ時期、欣ちゃんことdr.茂木欣一さん(現・東京スカパラダイスオーケストラ)は、こうも仰っていた。


じぶんの立っている場所は、変わらない。
でも、その周りの世界が、変わっていく。
「位相を変える」って、いうのかな。
フィッシュマンズの音楽は、そんな音楽。



たしかに、わたしの「立っている場所」は、
変わらなかった。
不良中学は、不良中学のままだったし、
ヤンキーたちにおもねる同級生たちも、
そのままだった。


でも、フィッシュマンズの音楽に出会って、
わたしの人生は、わたしの心のなかは
「バラ色」に変わった。

おなじ場所にいるのに、佐藤さんの生きた音楽に触れることができた日々は「バラ色」で、佐藤さんのいない世界は「灰色」になった。


フィッシュマンズの音楽は、聴くひとの立ち位置を変えることなく、いろんな色の世界を見せることで、わたしの心を救ってくれた。

何ものにも、流されないように
支配されないように、してくれた。


そのことに、驚きと感謝こめて
何度も、何度も推敲して、
ひょっとしたら、また直すかもしれないと思いながら詠んだのが、タイトルの句である。

春暁やたなびく香のやうな歌


気づけば万華鏡の要素は見つからない。

それでも、音を聴けばスーッと気持ちが落ちつく、あの瞬間は詠めた気がする。














【おまけのあと書き】

えーっと……

「歌から俳句」みたいな企画があったと思うんですけど……(宇宙杯のスピンオフ)


間に合いませんでした!

ざーんねーーーーーん!!!



ホントは10日までに出したかったんですが、
1曲に絞れず断念しました😭



でも、まあ、
佐藤さんの命日には、ギリセーフだから
まぁいっか😅




そして、俳句幼稚園の皆さまへ
いつも、ありがとうございます♪

「春の闇」は、


「芽ぐみ花ひらくものへのいぶきやさざめき」を孕んだ神秘的な闇だと歳時記にあったので、
「見えてくるのは虚無ばかり」と詠むのは、
ちょっと違うかなぁと思いました😅


そのへんも含めて、コメント「ふつう」にて
以下の句へのご意見ご感想お待ちしています。


春暁やたなびく香のやうな歌

春の闇見えてくるのは虚無ばかり


よろしくお願いいたします。ぺこり。


いただいたサポートで、たくさんスタバに通いたい……、ウソです。いただいた真心をこめて、皆さまにとどく記事を書きます。