(一)コンクール編 ④
現在、日本のテレビ業界では、20人くらいのトップクラスのシナリオライターを、各テレビ局で奪い合っている状態です。
では、トップクラスのシナリオライターになるためには、どうすればいいでしょう?
子供の頃からの豊富な読書量、それ以降の豊富な人生経験、そして、これが一番肝心なことですが、いいコーチ(師匠)に出会うことです。
このどれが欠けても、トップクラスのシナリオライターになるのは無理でしょう。
さらに、“御三家”と言われた、倉本聰、山田太一、早坂暁といった、その上に“超” がつく一流シナリオライターになるには、発明王エジソンが言う所の、99%のパースピレーション(発汗・努力)と1%のインスピレーション(霊感・才能)が必要です。
それはもう、努力だけではいかんともしがたい、遺伝を含めた“血の継承” “神の領域”と言っていいでしょう。
直居氏からは、こんな話を聞いたことがあります。
昭和30年代初頭、一人の若者が直居氏の自宅を訪れ、
「僕は、映画のシナリオを書きたいのですが-----」
と言うので、
「あなたと話していると、感覚が新しい。これからは、テレビの時代だから、テレビドラマを書いた方がいいのでは」
と、助言したそうです。その若者こそ、テレビドラマで一時代を築くことになる、のちの倉本聰氏です。慧眼(けいがん)と言うべきでしょう。
先ほども書きました、一般社会で超エリートと称される職業である医師、弁護士になるには、その気になって猛勉強し、難しい試験をクリアすればなれます。事実、日本の医師は、全国に30万人以上いますし、弁護士も4万人います。
しかし、シナリオライター、小説家というフィクション作家は、試験こそありませんが、こんなにはいません。数から推測しても、現役でそれだけで生活している人は、先に書きました職業に比べ、数の上では圧倒的に少数です。ほんの一握りの人たちと言っていいでしょう。
つまり、この世の中で、一番なるのが難しい職業ではないでしょうか。
この業界は、プロのスポーツ選手同様、俳優、政治家、経営者のように、親の七光りは通用しません。実力が全てです。
しかし、その方法、方向さえ間違えなければ、3年でプロのシナリオライターになるのは、決して夢物語ではありません。
要は、一日でも早く書く技術をマスターし、この業界で顔と名前を知られることです。
どの業界でもそうですが、この業界は特に、
「何人の人を知っているかではなく、何人の人に知られているか」
が、成功のカギとなります。
一般社会において、大学で学び、社会人としてデビューするのは、名の知れた超一流会社に入るのは別にして、それほどハードルは高くありません。しかし、スポーツ、芸能、芸術(絵画、音楽、作家)の分野でプロデビューするのは、並大抵のことではありませんし、画家のゴッホやモディリアニの例を見るまでもなく、才能、実力があれば必ず認められるという世界でもありません。
初期の私のように、独学でシナリオを書いてはコンクールに応募している人がいますが、それではハードルの高いコンクールには入選しないでしょう。何故なら、コンクール応募作は、入選しなければ、その原稿は清掃所に直行で、添削して返却されないので、どこが悪くて一次、二次、最終に残らなかったかが分からないので、学習できないということです。
応募してはダメ、応募してはダメの繰り返しで、進歩がないからです。その弊害を解消するためには、やはりいいシナリオコーチ(師匠)につくことが最短距離です。
しかし、何事につけ、例外ということがあることも事実です。
もうずいぶん前になりますが、現役の女子大生が初めて書いたシナリオをコンクールに応募して、入選したという珍しい出来事がありました。私が聞いた話では、それが最初で最後のような、唯一の事だったように記憶しています。
その女子大生は、シナリオを書いたことがないし、シナリオ教室にも通ったことがなく、市販されているシナリオの入門書を参考にして、シナリオを書きました。
そのシナリオは、シナリオコンクールでは珍しく、最終審査員全員一致で入選作になりました。コンクールでは、審査員の好み、考え方、見方がそれぞれ違うので、小説も含め、満場一致で入選することはまずなく、小説審査の最高峰と言っていい、芥川賞、直木賞ですら、必ず審査員の票が割れます。
何故、その作品が高く評価されたかというと、若い女性でなくては書けない女性心理が、見事に活写されていたからです。
つまり、審査員であるプロのシナリオライター(多分、年配の人たち)では書けない、みずみずしい作品でした。
当然、初めて書いたシナリオゆえ、技術的にはそれほどのレベルではなかったのでしょうが、コンクールでは、“どう書くか”ではなく、“何を書くか”(注)ということが重要なポイントになります。
プロになれば、技術など数をこなし、人の目に触れて、批判され評価されることによって、否が応でも向上します。
そのコンクール入選者の女子大生は、そのコンクール入選のプロセス、現役の女子大生という話題性もあり、その後、映画、ドラマのシナリオ執筆の依頼が殺到し、アッという間に売れっ子脚本家になりました。
しかし、“好事魔多し”というか、豊富な読書量、豊富な人生経験、いい師がどれも欠けていたゆえ、仕事に忙殺され、創作者としてすり減ってしまい、短命に終わり、今ではその名をこの業界で聞くことはありません。
こういうときこそ、いい師に恵まれていれば、適切なアドバイスを受け、そういうことは回避されたと思われます。作家としての才能に恵まれていただけに、残念なことです。
(注) 私の場合も、今まで誰も書いたとのない、胆石手術の手術法をめぐる喜劇だったことが、入選したものと思われます。
『グッバイ・ストーン』
http://www.amazon.co.jp/dp/B077LV4VPD
私が何故、この記事のタイトルにもなっている“プロ”にこだわるかというと、小説と違ってシナリオは、趣味でやるということが成り立たないからです。小説の場合は、同人誌、自費出版、今流行りの電子書籍という無料の自主出版で、インディーズ作家(出版社を通さないで、執筆、編集、宣伝すべて自分でやる作家)として、いとも簡単にデビューできるという手段がありますが、シナリオの場合は、あくまでも映像のための設計図なので、書いただけでは単なる紙切れでしかありません。
映像化されて、初めて脚本料がもらえるのです。
先ほども書きましたが、私もデビューというスタートラインにたどり着く前に、2ヶ所のシナリオ教室に通い、研修科で5人目の先生で、やっとコンクール入選という、デビューのためのパスポートを摑むことができました。
それまでにかかった授業料は約50万円で、シナリオコンクール入賞金額が50万円だったので、「ご苦労様でした」というところでしょうか。
50万円と言えば、こんな話を聞いたことがあります。
あるベテランシナリオライターが思いついた、実にユニークな方法です。
それは、シナリオを教えてもらいに来た人に対して、「前払いで50万円くれれば、必ずデビューさせてあげます」というシステムです。
確かに、シナリオ教室に通ってもそのくらい必要なので、教える方としても、前払いで50万円貰えば、手取り足取り教えて進ぜようという気になり、払った方も、50万円を取り戻そうと必死になって勉強することでしょう。新人の1時間ドラマの脚本料がそのくらいですから、元本保証というところでしょうか。
残念ながら、その人はもう鬼籍の人です。名前を聞けば、業界では知らない人はいない、有名シナリオライターでした。
その点、シナリオ教室は、書き方は教えてくれますが、仕事を紹介してくれるアフターケアはありません。
⑤に続く(次回、最終章)
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