見出し画像

「悲しんでくれる人」のハードル

私が死んだら誰か悲しんでくれるだろうか

深夜に起きているとろくなことは考えないのだけれど、例の如くそんなことを考えていた

幸い実家には恵まれていたので親は悲しむだろう

姉妹は、残念だと思うくらいかもしれない

友人も、職場の人たちもほとんどは「そうか、残念だ」「まだ人生半ばだろうに」とかその程度だと思う

毎日会ったり連絡を取るような仲でない限り、それほど喪失感はないだろう
感じたとしても人というものは意外とすぐに適応して3ヶ月もすればその人がいない世界になれることが多いように感じる

例えばこの先連絡を取ることも会うこともなければ生きていても死んでしまっても同じような事で、
私と関わっていない人は世界では存在していないものと同じこと
それは相手にとっても同じこと

幼い頃は無邪気に「私のことを1番に選んでくれる人が1人でもいたら嬉しい」とか「死ぬときに悲しんでくれる人がいたらいいな」とか思っていたけれど、
大人になって、人が簡単に変わるものだと知ってから
本当の意味でのそのハードルはなかなかに高いことを知ったのだった

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?