見出し画像

今日11/6は本田美奈子.さんの命日です。

美奈子さんとは、87年から88年にかけて、
私が23歳の頃にMINAKO with WILDCATSのギタリストとして一緒にお仕事させていただきました。
21歳のMINAKOは、音楽への情熱とストイックさ、そして可愛さと優しさにあふれた素敵な女性。
16歳で芸能界に入った彼女のプロ意識は半端なく、まだまだ「ガキんちょでアマチュア」マインド全開だった自分は、毎日が本当に彼女から学ぶことばかりでした。
(とはいえ、ボンドの社長やエラい大人たちには心の中で反抗しまくってましたが…😓)

ほんの1年足らずだったけど、そうとは思えないほど
めちゃめちゃ濃く貴重な経験をさせていただけたことに感謝しています。
今思うと、起業し会社を経営しているのも、あの時にMINAKOに出会えたからと思っています。

WILDCATSでのバンド活動自体は、音楽もファッションも私の好きなジャンルではなかったし、
辛く苦しい思いや情けない思いもいっぱいしたけれど、ツアーやイベントで全国を飛び回ったり、
音楽番組に出演したり、レコーディングしたり、香港と韓国のイベントに出演したりと、
「絶対プロになる」と誓って就活もしなかった私の夢が叶った幸せな時間でした。
16ビートのカッティング命で、ツインリバーブでクリーントーンのギターを弾いていた私は、
ツインギターのパートナーで、マーシャル爆音でハードロック大好きゴリゴリで派手な相棒と
常に比較され自信がなかったけれど、それを救ってくれたのがMINAKOのフラットさと、
裏方スタッフの優しさ、そしてファンの声援や出待ちやお手紙などでした。
(自分のバンドのデモテープを「聞いてください」とくれるファンの人たちも少なからずいて、
今思えばコンシェルジュ相談のよう…)

当時のTV番組の動画にはほとんどいい思い出がないけれど、
88年韓国でのソウルオリンピックのプレイベントの様子をYouTubeで発見したときに、
大勢の人の前で感動を与えるライブでの楽しさが思い出されました。
この日は大雨で機材も用意できず、急場凌ぎのステージとなり、でもなんだか雨の中、
非日常で気楽で、みんなでびしょ濡れになりながらの数万人の前でのステージは本当に楽しかった。
今では韓国の音楽業界はグローバル市場だけど、当時は本当に機材も何もかもがお粗末でびっくり。
どんな時もアテ振りはしないバンドだったけど、それも叶わず。。。
でも、どんな時にも落ち着いて慌てず受容し、笑顔で楽しんで挑戦し続けるMINAKO。
彼女と一緒だったから、辛いこともアクシデントも乗り越えられたと思います。

その後、彼女はミュージカルスターとして活躍し、声楽にも挑戦、
そして2005年38歳の若さで亡くなりました。
バンド卒業後は会う機会はなかったけれども、きっとどの現場でも、
弱音を吐くことなく、受容力と笑顔で自分の限界に挑戦し続けていたと思います。
彼女が生きていたら、今頃どんな歌手になっていただんだろう。
R.I.P.

よかったらYouTubeご覧ください。
https://youtu.be/xkijkMnh9Lk?si=89pzkUfz5RdrP8Cr
https://youtu.be/Lr9qTCq6QRY?si=sOC-YvOXu7GLM3ny

※YoutubeのUP主さんのコメント翻訳
1988年8月のオリンピック開催の30日前に汝矣島漢江公園で祭りがあった。
この日の公演には日本の「本田美奈子」が専属バンドの「ワイルドキャッツ」と一緒に参加して
素敵な公演を見せてくれた。
当時、雨が土砂降りで屋根のない舞台だったので、
歌手たちはほとんど雨を全身で打たれながら歌わなければならなかった。
その他、電子機器などは感電危険で全部電源を消さなければならなかったし、マイクもちゃんと使えなかった。
それでも慌てずに最後まで最善を尽くして舞台を輝かせてくれた本田美奈子に感謝する。
彼女がもっと生きていてほしいという物足りなさが大きい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?