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「どのような形なら園部にヒ素は存在できるか」和歌山毒物カレー混入事件(14)

 もし、林死刑囚が犯人ではないのなら、シロアリの殺虫剤としてのヒ素ではなく、別の形で真犯人の周りにヒ素は存在していたはずだ。一体どんな形で園部にヒ素は存在していたのか、気になって仕方なくなってきてしまった。この可能性を突き止めることができれば、林死刑囚の周辺にしかヒ素がなかったという証拠の一つは崩れ去る。
 同一由来のヒ素(亜ヒ酸)は当時和歌山県内に広く流通していた。とある商店で小瓶に詰められ販売されていたヒ素は、中国の同じ原産地から輸入されたものだ。ヒ素についてしつこく調べてみる。

https://note.com/illuyankas/n/n9dcb4c711423

 亜ヒ酸(三酸化二ヒ素)は、分子量197.84、常温で固体、無定形と結晶がある。立方晶系の融点は275°C、単斜晶系の融点は313°Cで、沸点は465°Cである。常温の水に2.1g/100ml溶けるが、溶ける速度は遅い。水に溶けると弱酸の亜ヒ酸(As(OH)3)になる。塩酸、硫酸、水酸化ナトリウムに溶解し、白から僅かに黄色の粉末又は結晶状の粉末である。亜ヒ酸は非常に毒性が強い。
 判決文には「非常に手に入りにくいものである」ために、元シロアリ駆除業者で亜ヒ酸を過去に所持していた林死刑囚の夫と強力に結び付けられた。しかし、同じ販売元で他にも小瓶サイズで売られていたヒ素(亜ヒ酸)は本当に当時の園部には林死刑囚周辺にしか存在し得なかったのだろうか。

 ヒ素及びその化合物の主な用途は、日本ではガラスの脱色、脱硫剤、液晶用ガラス原料、化合物半導体・シリコン半導体材料、木材防腐剤、皮革・漁網の防腐剤、農薬(ヒ素鉛、ヒ酸石灰)、殺鼠剤、ダニ駆除剤、ヒ酸塩(ヒ酸石灰、ヒ酸鉛)原料、医薬品原料、散弾用鉛の硬化剤、その他染料の原料などが挙げられる。高純度のものは半導体の材料、低純度のものは合金添加に用いられる。
 ヒ素は様々な用途が存在するが、おそらく液晶用ガラス原料、化合物半導体、シリコン半導体材料や医薬品原料としてのヒ素は工場などで保管されており、アクセス自体が難しいと考えられる。木材防腐剤については前の記事を参照していただきたい。木材防腐剤などもヒ素をそのまま使用することがなさそうで、使用に特殊な機器を必要としたり、専門家による加工が必要なため、一般人が手に取るのが難しそうだ。倉庫やガレージに置けるもの程度で存在できるイメージから考えると、農薬や殺鼠剤としてのヒ素の存在の可能性は十分にありうる。

 昭和25年に制定された「毒物及び劇物取締法」によれば、亜ヒ酸は毒薬に指定されている。この法律は、日常的に流通する化学物質のうち、急性毒性による健康被害が発生するおそれが高い物質を指定し、保健衛生上の見地から必要な取締を行うことを目的としている。
 これらの物質を取り扱う場合には、毒物劇物営業者の登録制度、容器等への表示、販売(譲渡)の際の手続、盗難・紛失・遺漏等の防止の対策、運搬・廃棄時の基準などが定められ、不適切な流通や漏洩等が起きないよう規制されている。つまりは、紙コップに付着したヒ素を販売した人間が確実に存在するということだ。
 亜ヒ酸は毒物にあたるため、販売する際は容器及び被包に「医薬用外」の文字の表示と赤地に白字の「毒物」表示が必要となる。法律によれば購入にあたっては書類の提出が必要だ。

 ただし、例外もある。例えばヒ素化合物を利用してシロアリ防除を行う事業者はその購入の際には届出が必要だが、農薬として使用する農業者は届出は必要としないなどの例外も存在する。売る方は資格と登録が必要とされるが、買って使用する方は義務がないものもある。しかし、調べてみると農薬取締法に基づき登録されていた無機及び有機ヒ素化合物による農薬は、1998年までにすべて登録が失効しており、使用できなくなっている。しかし事件があったのは奇しくも同じ1998年、農薬という形ならまだ存在していた。

 もう一度農薬としてのヒ素について考えてみたい。

砒素剤は毒剤の代表的なものであって、咀嚼口を持つ害蟲に對して作物に撒布して、害蟲が作物を噛んだり或いは舐めたりすると消化管中で溶解して中毒作用を起させるものである。砒素剤は農用薬剤としては色々の種類のものが用ひられてきたが、今日使用されているのものには砒素鉛、砒素石灰、砒素鐡、弗加砒素石灰等がある。

「作物の薬害」杉山直儀著 河出書房 1947年

 農薬として使用されていたヒ素の主流は「亜ヒ酸」ではなく「ヒ素鉛」だったようだ。

亜砒酸石灰は比較的安価の毒剤なれはパリスグリンの代りにこれを使用するものあり然れとも本剤は往々甚だしく緑葉を損傷することあれ未だ安全なる撒布剤と云ひ難し

「農藝殺蟲劑」桑名伊之吉著 成美堂書店 1924年

 亜ヒ酸についてはその毒性は古くから知られていたようで、昭和初期からすでに利用されなくなっていたようだ。使用されたのも果樹においてで、除草剤として利用されていたのはさらに古い時代だったようだ。

亜砒酸亜鉛は近来市場に現れたる新毒剤にして粉状と糊状との二種あり粉状のものは普通四〇%の無水亜砒酸を含有し極めて有効なれとも苹果、梨等の如き砒素剤に対し強硬なる果樹以外のものに応用するは危険なり

「農藝殺蟲劑」桑名伊之吉著 成美堂書店 1924年

 また、昔のシロアリ駆除においてのヒ素を使った毒餌についての記述もあったが、これらにも亜ヒ酸はスタンダードには使われていたようではなかった。やはり亜ヒ酸の存在はかなり特異的だったのだろうか。

毒団子を調整するには幾多の方法あるもパリスグリン其の他の砒素をフスマに混しこれを糖蜜にて味付けたるもの又は馬糞に砒素を混したるもの最も広く使用せらる

「農藝殺蟲劑」桑名伊之吉著 成美堂書店 1924年

 調べてみるとどうも亜ヒ酸は農業において積極的に使われていなかったようだ。
 他にも、剥製の作成にヒ素は使われていた。動物剥製標本の製作過程では、付着血液の漂白、死後急速に進む腐敗防止、寄生している蚤・ダニ等の殺虫、皮の脱脂や収斂、その後の保管における防虫・防黴など、様々な問題に対処するため色々な化学物質を使用するようだ。昭和6年に出版された坂本喜一著の「剥製標本製作の技術書」では、剥製製作時の防腐及び完成後の防虫を目的として、三酸化二ヒ素(亜ヒ酸)を水などで溶いた亜ヒ酸水溶液、またはこれに樟脳と粉石鹸を混合しペースト状にしたものを皮の内側に塗布するとしている。一部の古い剥製ではヒ素が検出されるものもあるようだ。
 他にも、魚網の防腐剤においてヒ素が使われていたようだ。長期間海に設置される養殖網や定置網には海洋生物が付着するのを防ぐために、化学物質を含む塗料を塗布するようだ。過去には有機ヒ素化合物や水銀などが防汚塗料に使われていた時代があったが、1960年代に入り開発された有機スズ化合物を含む防汚塗料が抜きん出た防汚性能を示したことから、世界中で使われ始めた。だが1980年代後半から海洋環境に与える影響が大きな問題として取り上げられるようになり、有機スズ化合物の使用も衰退している。過去にはスタンダードな方法として使用されていたのかと調べてみると、

細菌を殺してしまふことに重きをおいて作った染料は、硫酸銅染料、又はこれを相當に含む染料であります。

「漁網の保存」社團法人 全國漁業組合協會 1937年

 使われていたのは硫酸銅やコールタールだった。やはりヒ素の毒性は古くから理解され警戒されていたのだ。そう考えると、本当に亜ヒ酸の存在自体が希少という点は正論に思えてくる。
 調べるとあまりにも亜ヒ酸の存在が特異的すぎてムカついてきたため、前提を疑ってみる。そもそも本当にカレーに投入されたのは亜ヒ酸(三酸化二ヒ素)なのだろうか?

紙コップには99%亜ヒ酸が入っていたが、Na濃度(393ppm)が他に比べて有意に高い。またBaも含んでいた。Na濃度が他の証拠亜ヒ酸に比較して高いという事実は、その原因を解明する必要がある。

「和歌山カレーヒ素事件鑑定の問題点」河合潤

 そもそも、林死刑囚周辺にあった亜ヒ酸は、ほぼ不純物を含まない亜ヒ酸であった。それに比べて、ナトリウムを多く含む紙コップのヒ素はもしかしたら何らかの加工がされていた可能性が考えられる。

 なぜそもそもを疑うのかというと二つの理由がある。ひとつは和歌山県警科学捜査研究所が最初は毒物を青酸化合物とし、ヒ素を発見するのに1週間以上を要したこと。もうひとつは林死刑囚の頭髪鑑定において、ヒ素を分析しようとした操作について問題点があったことである。

山内証言には「二〇%の水素化ホウ素ナトリウムという大変強い還元試薬を加えて、強力に反応を行います」とあるが、水素化ホウ素ナトリウムはマイルドな還元試薬であって5価ヒ素を3価に還元することはなく、3価ヒ素だけを水素化物とする。山内証言の通りなら、 5価ヒ素を水素化ホウ素ナトリウムが3価へ還元することになるが、実際には予備還元のためのpHが不適切だったため、山内助教授の分析手法では、 5価ヒ素の一部が3価に還元されるので、 3価ヒ素が存在しなくて も 3価が検出される。

「和歌山カレーヒ素事件における
和歌山地方裁判所再審請求棄却決定の問題点」上羽徹・河合潤著

 これによると「3価のヒ素が存在しなくても、操作によっては3価になっちゃう」と言っている。スプリングエイト大元帥閣下にカネを払うぐらいなら、その費用をヒ素の検出や分析に長けた方を集めるのに是非使っていただきたい。
 判決資料によると、蛍光X線分析による定量分析では西鍋カレー、既食分カレーでヒ素が検出された。その後、化合物の形態によりヒ素の毒性に違いがあることから、科警研では化合物の形態を明らかにするために、IC/ICP-MS装置を使用しさらに分析を進めている。その結果、西鍋カレーからは1600ppm(3価1560ppm)、カレー既食分からは8400ppm(3価8270ppm)が検出された。なんの突出した化学知識もない私が単純な疑問として思うのだが、ヒ素が検出された全量のうちその全てが3価でないのは何故なのだろうか。温めたり冷やしたりターメリックがついたり木のしゃもじでかき混ぜたりすると3価は4価になったり、5価は2価になったりするのだろうか。
 ちなみに、5価のヒ素である五酸化二ヒ素は加熱により酸素を放出し、三酸化二ヒ素(亜ヒ酸)となる。5価のヒ素といえば「ヒ酸」で、「ヒ酸」であれば十分農薬として存在しうるのだ。紙コップに付着していたのも、カレーに入っていたのも本当に「亜ヒ酸」だったのだろうか?

 1998年当時の園部の航空写真を見てみると、田園が多い。私は農薬としての小瓶に入ったヒ素の存在を疑わずにはいられない。

 もう一度亜ヒ酸についての情報をまとめる。この亜ヒ酸(正確にはドラム缶の亜ヒ酸であり、紙コップの亜ヒ酸ではない)は1983年ごろ大阪の貿易商社T社が中国から同時に輸入した60缶のうちの1缶だったことが、荷印から判明している。T社は1960年創業の貿易商社で、亜ヒ酸を輸入し始めたのは1973年からだそうだ。1973年から1985年まで年2回、毎回2〜3トンずつ亜ヒ酸を輸入し、そのうち1〜2トンがガラス工業用に使用されていた。T社の亜ヒ酸は、K薬品社を通じ和歌山市内のN商店に納入されていた。N商店の亜ヒ酸購入量は最小でも50kgドラム缶で、N商店はそれを小瓶に分けて売っていた。

 さらに、もう一点だけ。紙コップの指紋並びに掌紋については、鑑識に回されていることは裁判資料に記載されているが、あったのかなかったのかすら記載されていない。

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