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【日本の政党、??党】の、真っ黒な黒歴史〜💋美女👠〜💊ヘロイン💉〜🔥火炎瓶🔥〜⚠️💣爆発物💣〜 ((((;゚Д゚)))))))💦

元、日本共産党の篠原常一郎氏による、日本共産党の真っ黒な黒歴史などについての講座PRビデオです。日本共産党って、こんなヒドイ犯罪行為を繰り返し繰り返しやっていた政党なんですね。そのDNAは脈々と受け継がれているとの事です…。

「共産党」がイイ〜なんて勘違いしている人の事を「デュープス(お🐴鹿さん)」と英語では呼ぶそうです。そんな人には、このビデオの実話を教えてあげたいです。

7月31日まで公開のビデオは2種類あります。お時間の無い方は、ビデオ②から〜ご覧下さいませ〜

(7月31日まで公開されていた2種類のビデオは公開終了しました。それに代わって、8月1日から〜今現在公開されている下記のビデオもオススメですので、、こちらのビデオもご覧ください〜。 ビデオ ① ② は同じ内容のビデオです。)

👇

「共産主義の正体」日本共産党秘史 ビデオ ①
https://in.powergame.jp/sikyo3_2107_tr?cap=HS_1

「共産主義の正体」日本共産党秘史 ビデオ ②
https://in.powergame.jp/sikyo3_2107_vsl?cap=HS_4

( 下記は講座PRメールの転載です )


篠原常一郎が暴く 共産主義の正体
「日本共産党秘史」

共産党No3の政策委員長の
第一秘書を務め、
権力中枢部で様々な実務的経験をされた

篠原先生だからこそ分かる、
共産党の工作手法や真の思惑を暴いていきます。

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< 国会に潜むテロ組織 >

コロナや東日本大震災など、
有事の際には度々、
「国民の命が最優先」
と訴えながらも、

その正体はベールに包まれた
国会のある組織を
ビデオで暴露しています。


遂に、五輪が開幕し、
国内は日本人のメダルラッシュで
湧いていますが、

その裏では、
「命よりオリンピックが大事なのか!」
と、いまだ根強い五輪反対デモ。

実は、彼らの中には、
命の重要性を本気で訴える人を尻目に、

過去には、放火や鉄道爆破事件を、
現在は、水面下で日本の破壊工作

など、
数々の問題を抱えている
過激派団体がいることを
知っていましたか?

「命が大事だ」「国民を殺すな」
など街中で目にする姿からは
想像できない、

彼らの裏の顔ついて動画で暴いています。


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<北朝鮮を救った日本の秘密結社 >

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中国と北朝鮮にとって
“英雄”とも言える秘密結社を
あなたはご存知ですか...?

その秘密結社は
中国の人民解放軍ではなく、
北朝鮮の祖国防衛隊でもなく、

なんと、
日本のあの組織でした….


今から遡ること61年前...

日本は朝鮮戦争での
武器製造による好景気に湧き、
敵国だったアメリカとも
同盟関係を築くなど、

経済でも外交でも
順調な道を進んでいました。

朝鮮戦争で日本は
アメリカと韓国の側に付き、
大量の武器を支援する
方針を取っていました。

しかし、
実は、日本の中に、
アメリカ軍の戦力を削ぎ、
北朝鮮陣営で暗躍した
秘密結社がいたことを
ご存知ですか?

朝鮮戦争の“黒幕”とも呼べる
その組織は麻薬の密売により
アメリカ兵を薬物漬けにし、

そこで儲けた資金によって、
火炎瓶・爆弾といった武器を購入。

実際に、その武器を利用し、
1100人ものテロリストが
米軍基地への襲撃を目論み、

最終的には、米兵の自動車に
火炎瓶を投げつけ爆破。

アメリカ軍・准将に大火傷を負わせる
テロ事件を引き起こしました。

日本人であるにも関わらず、
アメリカ軍が弱体化するよう
工作を仕掛けたテロ組織の正体を...
動画でお確かめください。


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< “しんぶん赤旗” を彩る大物映画監督 >

これから紹介する
著名人にはある共通点があります。

・女優の小泉今日子氏

・国民的アイドルとして活躍する相葉雅紀氏

・落語家の笑福亭鶴瓶氏

・「白い巨塔」「戦争と人間」
が代表作の山本薩夫氏

・ジブリの監督として有名な宮崎駿氏

など
名だたる大物の名前が挙がりましたが、
どのような共通点があるのでしょう。

それは、
TVでの共演ではありません。
共通の雑誌に載っている
わけでもありません。

その答えは、
日本共産党が発行する
「しんぶん赤旗」
に登場したことがある著名人です。

もちろん、
共産党系の新聞に載っていた
という事実だけで
彼ら全員が共産党員だ、
と断言することはできません。

しかし、こうした大物を
共産党の新聞に器用できるほどの
影響力を持つには、

一体、どのような手口を
使っているのでしょうか?

P.S.
ここだけの話ですが、、
「天空の城ラピュタ」や
「となりのトトロ」を制作した監督
として有名な宮崎駿氏に至っては、

東映動画時代、
日本共産党を応援する活動で
政策ビラのイラストを描いたほどで、

実際に、
日本共産党員であることまで
公然化させています。

今回は、
日本が誇る映画界の大物すら
虜になる日本共産党の
活動内容を動画にまとめました。


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< 日本共産党消滅の危機 >


篠原常一郎が暴く 共産主義の正体
「日本共産党秘史」


共産主義の正体
「日本共産党秘史」 編では、

共産党No3の政策委員長の
第一秘書を務め、
権力中枢部で様々な実務的経験をされた

篠原先生だからこそ分かる、
共産党の工作手法や真の思惑を暴いていきます。

この講座で扱う内容は...

<第1章> なぜ日本共産党に入るのか?

・「なぜ人は日本共産党へ入るのか?」
高校生、地方議員、労働者...若き篠原が見た
共産党の内部「日本共産党消滅の危機」

・毎月党員300人の訃報?
篠原氏が分析した現政党を蝕む大問題

・「秘密結社の鉄の掟」
ソ連から日本共産党へ
受け継がれた悪魔の規律とは?


<第2章>日本共産党史(創立から壊滅まで)

・「治安維持法による大弾圧」
幸徳秋水、小林多喜二、山本宣治...
共産主義に熱狂した者の末路

・「文化に入りこんだ共産主義」
映画、文学、演劇...
あらゆる娯楽に浸透した
革命思想:プロレタリア

・「日本共産党創設の資金源」
コミンテルンの金を略奪?
ソ連から資金を引き出した手口


<第3章> 戦後の再出発と
朝鮮戦争期の挫折「自主独立」への模索

・「第二次大戦:日本共産党の暗躍」
日本軍捕虜へ共産教育?
中国軍へ入隊した大幹部の工作

・「GHQと”赤狩り”」
マッカーサーが共産主義者の
公職追放・レッドパージを始めた理由

・「闇の男・野坂参三」
ソ連からの4億円着服疑惑...
篠原氏が調査した事件の真相


<第4章>「自主独立」「民族の党」
宮本顕治時代の日本共産党

・「現共産党の源流を作った男」
40年以上の支配時代:
象徴する“2つの合言葉”とは

・「中国・ソ連との決裂」
きっかけは“核開発”?
揺れる日本共産党の内情

・「日本共産党の黄金時代」
“赤旗”読者は340万人...
その後なぜ衰退したのか?


<第5章> 日本共産党「最後のカリスマ」
不破哲三:停滞と「神格化」

・「共産党のプリンス:不破哲三」
神格化政策・党員追放...
今も君臨する最高権力者の出世劇

・「不破哲三 vs 志位和夫」
絶版にされた書籍の数々...
事実隠蔽に走った“現代のマルクス”

・ 「告発:共産党幹部の収入」
年収は1億円以上...
錬金術のカラクリを徹底解剖


<第6章> 見えてきた終わり
〜未来なき「未来社会論」〜

・「志位和夫の大罪」
現・政権批判のみに固執...
政治を混乱させる”理論なき最高幹部”

・「野党共闘の混迷」
現・日本共産党が唱える
"空想の社会主義理論"

・「現・日本共産党の終わり」
元党員・篠原が予測...
あと5年〜10年で党が崩壊する理由

などなど、、

この講座の本編では、
戦前・戦後に渡って暗躍した日本共産党が、
日本に対してどのように浸透し脅威を与えたのか?
その工作活動の実態は何なのか?

ここでしか聞けない日本共産党の実態を、
実際の党での経験と幹部から聞き出した
内部情報をもとに暴露しています。

すでに講座を楽しまれた方の声を
ご紹介します。

===

「文字通り秘史」
by えなるた 様

極めて素晴らしかった。
今の日本の政治の流れを
知るためには戦後の動きから、

表に出ないところまで仔細に
見ていかないとわからない。

それが戦前の流れから共産党
というひとつの切り口で
裏の裏まで見ていける講義だ。

丁寧にテキスト文もついてきた。
ただ、それを読めば足りるじゃないか
という話もあるが、語句の説明や、

なによりやはり篠原氏の情熱が
更に興味をもって学びを深めたい
というスパイスになる。

ただの読書体験とは全く異なる。
非常に意義が深い。

===

「素晴らしい講義」
by 岡村潮絵 様

田村智子さんや辰巳孝太郎さんなど、
私には優秀な政治家と思える方々が

なぜ日本共産党なのか、
なぜ日本共産党を激しく嫌う人が多いのか、
なぜいつまでも議席を
伸ばせない少数政党なのか?

等々、
これまでずっとモヤモヤしていた疑問が、
篠原常一郎さんの講義を拝聴して
霧が晴れるようにすっきりしました。

長い歴史を持つ日本共産党の変遷を
大変分かりやすく順を追って
丁寧に説明して下さって有り難いです。

===

👛🐧💦




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篠原常一郎氏によると、、、

・創設当初の「日本を内側から弱体化させる」と言うDNAは引き継がれたまま。

・北朝鮮勝利のため朝鮮戦争で暗躍した日本共産党員が裏工作をした。
共産党の、戦時中収監されていた幹部が、GHQの命令で出獄した時に出迎えたのは、在日朝鮮人グループです。資金を蓄えていた人々がすべて協力していた。

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大須事件・吹田事件・血のメーデー。こんな事ばかりして…本当にロクでもない。これらの事件に共通しているのが【在日朝鮮人】の存在。日本共産党と在日朝鮮人は【蜜月関係】だったそうです。日本を弱体化して、(ご主人様のソ連の指令で)日本をメチャメチャにして共産主義の国にするのが彼らの目的だったのでしょう。そして、なんと今、共産主義を日本人に広めようとしている不気味な動きがあるのだそうです。((((;゚Д゚))))))) くれぐれも罠に引っ掛からないように気を付けて欲しいですが、テレビに洗脳されていると危ない…危ない…。 🐧💦

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👎大須事件👎

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https://ja.wikipedia.org/wiki/大須事件

事件の発端

ソビエト連邦及び中華人民共和国を視察し、北京で「日中民間貿易協定」(当時の日本国政府の方針に反するものであり、正式な国家間の協定ではない)を結んで帰還した日本社会党の帆足計と改進党の宮越喜助の両代議士が帰国し[1]、1952年7月6日(日曜日)に名古屋駅に到着した。

両代議士の歓迎のために約1000人の群集が駅前に集合、無届デモを敢行したが、名古屋市警察によって解散させられた。

その際に12人が検挙されたが、その中の1人が所持していた文書から、翌日の歓迎集会に火炎瓶を多数持ち込んで、アメリカ軍施設や中警察署を襲撃する計画が発覚した。

事件の概要

1952年7月7日(月曜日)当日、名古屋市警察は警備体制を強化し、全警察官を待機させた。

午後2時頃から、会場の中区大須球場(名古屋スポーツセンターの敷地にかつて存在した球場)に日本共産党員や在日朝鮮人を主体とする群衆が集まり始め、午後6時40分頃に歓迎集会が挙行された[1]。

午後9時50分に集会が終わると、名古屋大学の学生がアジ演説を始め、その煽動によって約1000人がスクラムを組みながら球場正門を出て無届デモを始めた。

警察の放送車が解散するよう何度も警告したが、デモ隊は放送車に向かって火炎瓶を投げ込み炎上させた。

警察は暴徒を鎮圧すべく直ちに現場に直行したが、デモ隊は四方に分散して波状的に警察部隊に対して火炎瓶・投石・竹槍・プラカードで攻撃を行い、路上の一般の乗用車に放火するなど、大須地区は大混乱に陥った[1]。

また、大須のデモ隊とは別に、アメリカ軍の駐車場に停めてあった乗用車を燃やしたり、中税務署に火炎瓶を投下する事件も発生している。

この事件で、警察官70人、消防士2人、一般人4人が負傷し、デモ隊側は1人が死亡、19人が負傷した。

名古屋市警察は捜査を開始、最終的に269人を検挙した。

その内、半数以上が在日朝鮮人だった。 

捜査の結果、この事件は共産党名古屋市委員会が計画し、朝鮮人の組織である祖国防衛隊とも連携しながら実行に移されたと認定した。

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👎吹田事件👎



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吹田事件(すいたじけん)は、1952年6月24日(火曜日)から6月25日(水曜日)にかけて、大阪府吹田市・豊中市一帯で発生した吹田騒擾事件と、その裁判で起きた事件(吹田黙祷事件)の両方を指して吹田事件という。

ただし吹田騒擾事件のみを指して【吹田事件】とする場合もあり、定まっていない。同年に起こった【血のメーデー事件】【大須事件】と並んで三大騒擾事件の一つとされている。


事件の背景

1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発した。当初戦況はソビエト連邦が支援する北朝鮮が優位であったが、韓国軍とそれを支援するアメリカ軍やイギリス軍などを中心とした国連軍による仁川上陸作戦で戦局が一変、逆に韓国優位となり、韓国軍と国連軍の一部は鴨緑江に到達したが、急遽参戦した中国人民志願軍によって38度線に押し戻され、一進一退の膠着状態が続いていた。

当時の日本は、アメリカ軍やイギリス軍をはじめとする連合国軍の占領下にあり、朝鮮戦争に国連軍の1国として参戦していたアメリカ軍は日本を兵站基地として朝鮮半島への軍事作戦を展開していた。

またアメリカ政府は、日本政府に対し飛行場の利用や軍需物資の調達、兵士の日本での訓練を要請した。

首相の吉田茂は「これに協力することはきわめて当然」と述べ、積極的にアメリカへの支援を開始した。

吹田事件の舞台となった大阪大学豊中キャンパス周辺にはアメリカ軍の刀根山キャンプがあり、アメリカ軍兵士が駐留していた。

また吹田市では国鉄吹田操車場から連日、国連軍への支援物資を乗せた貨物列車が編成された。

北朝鮮系の在日朝鮮人は、北朝鮮軍を支援すべく、日本各地で反米・反戦運動を起こしていた。

当時、武装闘争路線を掲げていた日本共産党は、こうした在日朝鮮人の動きに同調していた。


事件の概要

吹田操車場になだれ込むデモ隊

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火炎瓶攻撃を受けた警察官

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1952年6月24日夕方、大阪府豊中市にある大阪大学豊中キャンパスで「伊丹基地粉砕・反戦独立の夕」が大阪府学生自治会連合によって開催された。学生、労働者、農民、女性、在日朝鮮人など約1000人(参加者数には800人から3000人まで諸説ある)が参加した。

集会では「朝鮮戦争の即時休戦、軍事基地反対、アメリカ軍帰れ、軍事輸送と軍需産業再開反対、再軍備徴兵反対、破防法反対」などのアピールが採択された。集会終了後、国連軍用貨物列車の輸送拠点となっていた吹田操車場までデモを行うことになった。

集会参加者は西国街道経由で箕面へ向かい、吹田に南下する「山越部隊」と阪急宝塚本線石橋駅(現在の石橋阪大前駅)から臨時列車を動かし、服部駅(現在の服部天神駅)から吹田に向かう「電車部隊」に分かれて行動した。人数は山越部隊の方が多かった。

山越部隊は警察予備隊豊中通信所の横を通り、午前2時ごろ三島郡豊川村に到着した。

ここで山越部隊は「ファシスト打倒」と称して笹川良一宅に投石したり、棒きれで玄関の扉を損傷させている。

笹川良一本人は留守で、けが人はなかった。休憩後、山越部隊は南下して国鉄労働組合吹田支部の中野新太郎邸に立ち寄り、庭で竹槍を振り回したり障子を破ったりしたが、けが人はなかった。

一方、電車部隊は大阪大学近くの石橋駅に入ったが、最終電車が発車した後だったため、駅長に臨時列車の発車を強要した。駅長はやむなく運賃徴収の上、臨時列車を発車させることになった。

電車部隊は梅田駅と石橋駅の間の服部駅で全員が下車し、旧伊丹街道の裏道経由でデモを行い、6月25日午前5時ごろ三島郡山田村(現吹田市山田南)で山越部隊との合流を果たした。

この間、警察は電車部隊が梅田駅に向かうと予想し、梅田で警官隊を待機させていたが、電車部隊が服部駅で下車したため行方を見失い、山越部隊についても電車部隊の対応をしている間に見失っていた。

合流後、デモ隊は南下し須佐之男命神社(摂津市千里丘)に到着した。神社前には吹田市警察や国家地方警察の警官隊が警備線を張っていたが、警察指揮者との交渉をデモ隊が受け入れなかったため、警察隊は警備線を解き、デモ隊に道を譲った。

大阪地方検察庁は、この時にデモ隊が暴徒と化して突進し、暴力で警備線を突破したと主張して騒擾罪を適用した。しかし証拠写真[1]や警察指揮者の証言からデモ隊が暴徒化した事実がないことが明らかになったとされた。

このため後の裁判で被告人全員が無罪となることになった。

須佐之男命神社から南下したデモ隊は、午前6時ごろ国鉄東海道本線岸辺駅経由で吹田操車場に入った。デモ隊は操車場内で「戦争反対」「軍用臨時列車を止めろ」などのシュプレヒコールをあげながらデモを行ったが、実際には軍用列車は事前に移動させられていた。吹田操車場から出たデモ隊は吹田駅に向かった。

なおこれらデモ隊の行動について、「うさぎ狩りのようでした」などという証言もなされた一方[2]で検察は「暴徒そのものだ」と形容したが、実際のデモ隊は京都方面に向かっていた在大津南西司令官カーター・W・クラーク(英語版)陸軍准将の車に石や硫酸ビンを投げ准将は顔に全治2週間の傷を負った事例や、午前7時ごろ茨木市警察のウィーポン車にむかって7・8名のデモ参加者が石や火炎瓶を投げたことで転げ落ちた警官が火傷や打撲傷を負った事例のほか、沿道にある駐在所や派出所に投石を行うなど、彼らが標的とみなした対象への攻撃を行った[3]。

その後デモ隊は西口改札から吹田駅に入り、同駅で流れ解散となった。

吹田駅の助役は裁判時に「デモ隊が順調に乗ってくれたので、『うまいこといきましたな』と駅長とも話していた」[4]と証言している。

解散したデモ参加者らは大阪行き8時7分発の列車に乗車しようとした。そこに約30人の警察官が追いつき、デモ隊はこれと衝突した。

これによりホームは大混乱となり、デモ参加者や一般乗客に負傷者が出た。事件では200人を超える大量逮捕が行われ、111人が騒擾罪で起訴された(被告人の1人が裁判中に死去、1人は韓国に強制送還され「行方不明」となったため最終的に109人)。

なおこの際に警官が発砲しデモ隊の4人が重傷を負った。列車内で撃たれたデモ参加者は吹田市を相手として賠償請求訴訟を起こし、裁判所は警察官の職権乱用を認め、吹田市も承認している[5]。

なお検察は「拳銃発射は暴徒のうちにもこれを行ったものがあり、これら負傷のすべてが警察官の発射した」[6]ものとは言い難いと主張していたが、証拠がなく現場にいた警察官、第三者証人だれも証言していないため、根拠が乏しいとされ裁判で認められなかった。なお検察は警察隊が撃った弾によって重傷を負わせたデモ参加者4人を起訴していない。





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