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幼少期の思い出

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さて、私が幼かった頃のお話をします。

私はなんてことない普通の家庭に長女として生を受けました。
祖父母・両親は未だに健在ですし、仲も良く、円満な家庭といっても過言ではありません。
4つ上の兄がいて、2人兄弟でした。

幼少期から明るく元気な子ども

自分で言うのも恥ずかしいですが、私はやんちゃなタイプだったと思います。話し出したら止まらず、騒ぐタイプでもあります。
末っ子というのも関係があるんでしょうか、自分の我を通すために駄々をこねる事も少なくありませんでした。

私は優等生になりたかった

私は3歳からピアノの習い事をしていました。
その他にも、小学生に上がる前から学習塾・習字を習っていました。
学習塾については、幼稚園に上がる前に自分から塾に通いたいと母に懇願したのを覚えています。

その頃から、人より秀でたものがあると母が(大人が)、私のことを褒めてくれると分かっていたのだと思います。
ですから、自ら塾に通いたいと申し出たのでしょう。私を褒めろと言わんばかりに。

小学生に上がってからは、打算的に行動を起こすことが多くなりました。

宿題には含まれていない自己学習を担任に提出したりもしました。
授業中は積極的に手を挙げ、学級委員長も幾度となく担当しました。
正直、小学生の頃のテストは常にいい点数でしたし、通知表でオールAを頂くのも珍しくはありませんでした。

でも、それでも足りなかったのです。
私の記憶の中の母は、いつしか褒めてくれなくなっていました。

98点は100点じゃないから。
もっと私より絵が上手い人はたくさんいるし、私は読書感想文の賞を受賞できなかったから。

当時の私は、優等生になりたかった。
非の打ち所のない、完全無欠の優等生に。
そうでないと、褒めてもらえないから。

本当は、母から

1位じゃなくても、勉強がんばったね。
お前が書いた 読書感想文のここがよかったよ。
自慢の娘だよ。

と褒めてほしかったのだけれど。

そもそも、なぜそこまでして褒められたいのか

・自己顕示欲が強い
・目立ちたがり
・自己中心的で自分が1番でいないと嫌
etc...
様々な理由が考えられました。

根本的には、両親が共働き・兄の部活動につきっきりで寂しかったんだと思います。

優秀でいれば、母が私を見てくれる。
母が期待している事をすれば、私を褒めてくれる、と
まだ若干6-7歳の私が導き出した答えが 母の期待に応えること でした。

大人に拒絶される事に対する恐怖

裏返しで、大人に怒られたり拒絶される事には大きな恐怖を抱いていました。
期待に応えられず、大人に失望されることは 私にとって絶望だったのです。

大人は私の世界の全てでしたし、大人に気に入られることが生きる目的でした。

大人が困るようなことは言ってはいけない。

学習塾に通っている時に、トイレに行きたいと先生に言い出すことが出来ずにそのまま席で漏らしたことがありました。
そして何も言い出せずに、椅子をビシャビシャに濡らしながら黙って塾を後にしました。

その日は習い事が立て続けに入っていて、次のピアノ教室でもズボンを濡らしたままレッスンを受けて、親にも言わずに帰宅したのを覚えています。

今考えれば、おもらしされる方が大迷惑なのですが、授業を中断させてまで自分の主張をすることが怖かったのです。

認めてほしい幼少期

もちろん、この時期からADHDの特徴は表れていました。

ですが、何よりも幼少期は 「認めてほしい」と強く望み、好んで優等生でいた時期でした。
(ADHD的なお話はまた別途お話できたらと思います。)

そして、この頃に抱いていた感覚は、今後私を形成していくコアになるものだと思います。
成長していくにつれ様々なことを経験しましたが、私がとる行動の原点には「認めてほしい」という気持ちがあるような気がしています。


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